山本七平botまとめ/【1990年代の日本/1990年に向けて⑤】政治倫理を声高に叫んだり、自浄作用に期待したりするのは非民主主義的な考え方

山本七平『1990年代の日本』/1990年代の日本/1990年に向けて/政治倫理と法/255頁以降より抜粋引用。
国際 政治倫理 1990年代の日本 田中角栄 星亨 禁酒法 モスカ ノン・カタギ 民主主義もどき 山本七平 聖人政治
山本七平bot @yamamoto7hei
①【政治倫理と法】…では基本の政治倫理はどうなのか。 前に、日本人の政治意識には奇妙な分裂があり、一方では聖人君子を期待し、一方では「ノン・カタギ」を期待していると記した。<『1990年代の日本』
山本七平bot @yamamoto7hei
②そして「ノン・カタギ」を最大限に発揮する政治家は大きな勢力をもちうるが、聖人君子を期待する心情からは極端に嫌われる。 田中角栄は戦後のみの存在ではないし、それへの批判もまた戦後のみのことではない。
山本七平bot @yamamoto7hei
③…(星亨〔明治の政治家〕を糾弾する新聞記事省略)…これは明治33年11月27日の「萬朝報」の記事だが、この論説に完全に欠如しているのが法である。 星享は結局、伊庭壮太郎に刺殺されて生涯を終る。 この記事も相当に刺戟的だが、暗殺を使喉するかの如き記事は当時は別にまれではない。
山本七平bot @yamamoto7hei
④だが星享を暗殺して何かがよくなるわけではない。 この記者もそれを知っているが、ここで問題とされているのは、専ら、直情径行、傲岸不屈に対して、便佞利巧、懦弱、卑怯、陰険、詐謀といった生き方のこと、 いわば倫理的資質のことなのである。
山本七平bot @yamamoto7hei
⑤そして「永劫に星享の出現を過止せんとせば」ただ強くなれであって、それ以外に何もない。 という事は彼以上に直情径行、傲岸不遜になって彼のような者の出現を圧倒せよという事なのであろうか。 ではその者が星享以上の星享にならないという保証はどこにあるのか。
山本七平bot @yamamoto7hei
⑥この点、不思議な論理といわねばならない。 が、もしこれを筆者に問いただせば、それは末尾に暗示されているように、 星以上に星的能力をもちつつ、同時に崇高な人格と高い倫理性をもて ということであろう。
山本七平bot @yamamoto7hei
⑦そしてそういった国民倫理・政治倫理をもち、同時に星享にまさる資質と能力をみながもてば、星享の出現は永久に防圧できるということになる。 だがこれでは、超人的・聖人の出現を期待することになってしまう。 だがおそらくそんな人間は居ないであろう。
山本七平bot @yamamoto7hei
⑧田中角栄もまた「決断と実行の人」といわれたから「其言はんと欲する所を明言す直に其行はんとする所を遂行す」であり、ある意味では傲岸不屈、直情径行である。 自民党から離れ無所属となり、マスコミの総攻撃を受ける被告でありながら、自民党のみならず政界を圧している。
山本七平bot @yamamoto7hei
⑨この点では星享的かも知れぬ。 では彼以上の能力をもち、聖人のような高い倫理性をもって田中角栄を圧倒する人が出現するであろうか。 それはあり得ないであろう。
山本七平bot @yamamoto7hei
⑩彼であれ星享であれ、その能力は「ノン・カタギ」を傍若無人に発揮しうる点にあるのだから、 その能力をもち、かつ聖人であれ という要求自体が無理である。
山本七平bot @yamamoto7hei
⑪そしてこの、明治33年から現在に至るまで欠けている発想は 「永劫に星享の出現を過止せんと欲せば」まず「王の上に法を置かねばならぬ」。 それでは次に 「いかなる法を制定すべきか」 という発想である。
山本七平bot @yamamoto7hei
⑫確かに、その発想があればすべてが片づくわけではないが、その発想がなければ何も始まらない。 徒らに「ノン・カタギ的能力をもつ聖人」などという、あり得ぬものを求めても無意味である。 第一それは、民主主義ではない。
山本七平bot @yamamoto7hei
⑬「ノン・カタギ的能力をもつ聖人を民の上に置く」などという発想は、民主主義の世界にはあり得ない。
山本七平bot @yamamoto7hei
⑭「そりゃそうだろうけど、また法が規範をつくって、常識まで変えることもあり得るのだろうけど、現実問題としては無理だな。 第一、その法を審議して可決して制定するところが国会じゃないか」 という意見はあるであろう。
山本七平bot @yamamoto7hei
⑮何もする気がなければ議論はここで終り、例によって例のような「なるなる論」を展開すれば終りである。
山本七平bot @yamamoto7hei
①【法を王の上に】だが意志があれば方法は発見できるし、現在すでにそのヒントがない訳ではない。 まず少なくとも今までは、投票は「党か人か」などと論じられた事はあったが、党でも人でもない、 ある法の制定への賛否、ある政策への賛否で投票すべきだ という発想はなかった。
山本七平bot @yamamoto7hei
②だが民主主義とは、国権の最高機関である立法府の上に法を置く制度なら、国民の投票はある法の制定への賛否、ある政策への賛否で行われるべきであろう。<『1990年代の日本』
山本七平bot @yamamoto7hei
③たとえば、「あなたは臨調の答申通りに行政改革を行うことに賛成か反対か」を候補者に明確に証言させ、賛成ならば投票する、反対ならば投票しないという行き方で、それが政党を横断していても少しもかまわないという考え方である。
山本七平bot @yamamoto7hei
④アメリカの政党は…ある法のまたは政策への賛否を問うという傾向が強い。 もっともどの行き方も問題を含む。 例えば禁酒法制定の時は「禁酒法に反対の者は落選させよ」ということになり、これはどこの国でも同じだが、落選を恐れる議員の間に一種の「雪崩」現象が起って制定に至ったという。
山本七平bot @yamamoto7hei
⑤こういう行き方には確かにプラスもマイナスもあるであろう。 そしてマイナスを消去していくには民主主義的経験の積み重ねしかない。 さらに過去に於て失敗の歴史があればこれは貴重な資産である。 しかしいずれにせよ、昨日まで酒を醸造し販売し飲酒することは当然のことであった。
山本七平bot @yamamoto7hei
⑥ところが法が制定され公布された瞬間、その行為はすべて許されざるものとなり、犯せば刑の対象となる。 それは大統領以下全員を拘束する。 これが「法を王の上に置き」その「法は民がつくる」ということであろう。
山本七平bot @yamamoto7hei
⑦我々には矢野教授の表現を借りれば「民主主義もどき」はあった。 だが、民主主義があったとは言いがたい。 従って先人の行き方を参考にして、様々な試行と模索を行ってよい筈である。 まず「臨調の答申通りに行うことに、あなたは賛成か反対か」ではじめよう。
山本七平bot @yamamoto7hei
⑧いわば「禁酒法に反対の者は落選させよう」と似た行き方、「臨調答申通りに反対する者は落選させよう」という行き方をしてみよう。 何事も、しなければ始まらない。 そしてこれで雪崩現象を起し得たら次にかかろう。 政治の合理性はそのような形でしか追究できない。
山本七平bot @yamamoto7hei
⑨政治倫理を声高に叫んだり、自浄作用とやらに期待したりするのは非民主主義的な考え方であり、それはむしろ、前に引用した「萬朝報」の系統をひく考え方であろう。 そうでなくまず選挙法から検討し、政治団体関係法ともいうべきものを検討し、問題点に一つ一つ合理的な新しい改正案を作成していく。
山本七平bot @yamamoto7hei
⑩そのために「政界の臨調」ともいうべき機関を置いてもよい。 おそらくまず、この機関の設立から検討すべきであろう。 そして昨日まで当然とされて来たことが、今からは罪になるという状態にして、そしてそれが規範となり常識となって、はじめて改革は可能なのである。
残りを読む(3)

コメント

コメントがまだありません。感想を最初に伝えてみませんか?

ログインして広告を非表示にする
ログインして広告を非表示にする