- Eric_Ridel
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昨日の話は炎上的なので補足程度に。世代や入学時の年代によっても状況違う。団塊世代40s生だと出たくても火炎瓶で休講休講の連発、50sだと学園闘争の名残り、80sだとゆとり全盛期でまあ昨日書いたような惨状。 惨状がピンと来ない60s中-70sの頃の方法に戻せばいいと思うんですよ
2010-12-30 10:40:38基本的な対立軸の設定はアカデミズムvs茶々入れてくる目の上のたんこぶ。私は言うまでもなく一貫してアカデミズム側。人間の能力を全力発揮させるには、強制でも放任(≒「”自主性の尊重”)でもなく、やりたい奴が頑張る「自発性の重視」と考えます。自発性が最大限尊重されれば自ずと最適になる。
2010-12-30 10:46:07「ジシュセーのソンチョー」という時、それは投げやりな放任・職務放棄の同義語である事多し。人間の能力を全力発揮させたい時、意欲的な学生と教授の距離、学生n人辺りの専任教員数の多さは極めて重要。教授とお近づきになるため、自発的な自己決定で全出席という戦略は、これならGoodでしょう。
2010-12-30 10:50:25@Lito_tweet まぁ、確かに「理工系の学問は毎日の積み重ねが重要であり・・・」と要項の冒頭にあるからその辺は違うのでしょうが。しかし、1単位が45時間の学習に対して評価されているものだと考えると、なかなか逸脱しているものがありますね。その辺の文系事情見てるとイラッとする笑
2010-12-30 10:53:22まあゼミ入ったほうがいいし、大規模私大より小規模かつ教授距離感近ければ近いほどいいよな、やっぱ。大規模中規模でも15人に対して最低1人面倒みてくれる専任教員いるとか。大学の就職予備校としての偏差値ブランドの側面より、ある意味大事。大学(院)生活と直結しまくりだから。
2010-12-30 10:53:49俺はその意味で教授距離感はめちゃめちゃ近くてゼミ充だった。そこには何の不満もなかったね。大学学部学士課程を就職予備校じゃないと、錯覚するほどに…。
2010-12-30 10:55:28あと非常勤講師も主に人文思想系でいい人にも接触できたね、うん。講義終わったらスタコラサッサと帰る人が多い(普通)ですが、そうじゃない人もいてさ。貴重な話聞かせてもらったよ。文科省のアレな方針とか、日米英での大学制度の違いとか。
2010-12-30 10:58:30最後にFDについて。これは昨日話した弱者連合の「お達し」とは正反対で、学生と教授の距離感が極めて遠い、双方やる気のない環境で起こる問題でしょう。マンモス私大や、外部生と内部生を酷く差別する大学院で起きる事例ではないかと。距離感が遠ければ、教え方を改善する発想が生まれないからね。
2010-12-30 11:01:52ただどうなのだろうFD。 学生の不満・要望・改善点要望を、たかだが学部学生が「開発」することなんてできるのかなと。そこまでの判断能力はあるの?って思う。M・Dになると別でしょうが。 通常想定されているBのケースでは地道に研究してれば同時に教育力も向上するのでは、ないかな。
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