浮世絵の戦争画~源平の戦いから日露戦争まで~

太田記念美術館(原宿)で2015年7月1日~7月26日まで開催しておりました、「浮世絵の戦争画~国芳・芳年・清親」展について執筆したツイートをまとめました。 展覧会の概要については太田記念美術館HPをご覧ください。http://www.ukiyoe-ota-muse.jp/H2707-ukiyo-esenso-ga.html なお、展覧会図録は作成しておりませんが、関連書籍として、『戦争と浮世絵』(太田記念美術館監修)を洋泉社より刊行予定です。 また、本展は、江戸時代から明治時代にかけての「戦争」を題材とした浮世絵を学術的に紹介することを目的としております。過去の戦争、あるいは戦争という行為自体を賛美するものではございません。
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太田記念美術館 Ota Memorial Museum of Art @ukiyoeota

本日7/1より「浮世絵の戦争画~国芳・芳年・清親」展(~7/26)が開幕。60点の作品を通して江戸から明治の戦争表現を紹介します。展示の詳細やリストはukiyoe-ota-muse.jp/H2707-ukiyo-es…。スライドトークは7/3、9、18です。 pic.twitter.com/R9tgwM534z

2015-07-01 10:23:35
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太田記念美術館 Ota Memorial Museum of Art @ukiyoeota

インターネットミュージアムのHPに、「浮世絵の戦争画~国芳・芳年・清親」展の取材レポートが掲載されました。展示作品の写真や、担当学芸員のインタビュー動画もございますので、是非ご覧下さい。museum.or.jp/modules/topics…

2015-07-06 12:28:58

源平・戦国時代の合戦

 源平の戦いのような、敵対する軍勢が衝突する合戦(戦争)の様子が描かれるようになったのは、安永年間(1772~81)頃からです。その理由として、歌川豊春や北尾重政が、西洋の透視図法を利用した空間表現を自由に扱えるようになったことが挙げられます。すなわち、広々した野外の戦場で、大勢の人々が戦っている様子を描くことが可能になったのです。
 19世紀に入ると、勝川春亭が迫力ある三枚続の合戦絵を手掛けるようになり、歌川国芳、さらにはその門人たちが合戦絵のジャンルを継承しました。源平の合戦のみならず、川中島の戦いを中心にした戦国時代の合戦も数多く描かれるようになります。

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【浮世絵の戦争画~7/26】歌川国芳の師匠である歌川豊国による源平の戦い。空には満天の星が輝いています。小さくて見づらいと思いますが、実は、源平の戦いのさまざまなエピソードが散りばめられています。時系列はめちゃくちゃなのですが…。 pic.twitter.com/UhMyCPkKTZ

2015-07-12 16:36:24
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【浮世絵の戦争画~7/26】例えば、那須与一が扇の的を射るシーンであったり、源義経が八艘飛びをするシーンであったり。西洋の透視図法を取り入れて戦場の空間が広がったことにより、大勢の武者たちが合戦する様子を描くことが可能になりました。 pic.twitter.com/8fiGoz8kSS

2015-07-12 16:41:30
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【浮世絵の戦争画 7/1~7/26】歌川国芳「川中嶋大合戦之図」。永禄4年(1561)の川中島の戦いで、武田信玄の参謀山本勘助が上杉軍に包囲されている場面です。敵兵たちがまるで某ゲームのように空高く吹き飛ばされています。 pic.twitter.com/VmQRhz36Fb

2015-06-24 14:05:38
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【浮世絵と戦争画~7/26】歌川国芳による川中島の戦い。西洋風の表現を取り込んで、独自の世界を作り上げることに巧みだった国芳。こちらの作品も、赤い陣羽織や馬の体につけている陰影の表現に、洋風のものを感じます。 pic.twitter.com/YDcfu46rxQ

2015-07-15 16:58:01
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【浮世絵と刀剣】本日は歴史上の有名人が刀剣を持つ姿をご紹介。まずは風景画の名手である歌川広重が描いた上杉謙信。刀を振り上げて武田信玄に襲いかかる、川中島の戦いの一場面です。「浮世絵の戦争画」展で7/26まで展示中。#文化遺産 #刀剣 pic.twitter.com/EmZMUfuzrs

2015-07-08 13:05:30
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【浮世絵の戦争画 7/1~7/25】歌川芳虎「武田上杉時田合戦之図」。天文21年(1552)に地蔵峠で勃発した上杉軍VS武田軍の時田(常田)合戦の様子。画面を横断する銃弾の軌跡や、立ち込める硝煙の描写が強烈な印象を残します。 pic.twitter.com/O2Ivw6Arnf

2015-06-27 15:32:39
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幕末の動乱

 嘉永6年(1853)、ペリーが浦賀に来航して以降、日本の政情はどんどんと不安定になっていきました。薩摩藩や長州藩が欧米諸国と紛争を起こし、幕府軍は諸藩とともに長州藩を攻撃。さらには薩摩藩と長州藩が薩長同盟を結び、戊辰戦争によって徳川幕府が滅亡しました。
 幕府は当時起きた事件や出来事を出版することを禁じていたため、各地で起きていた戦いの様子を浮世絵として絵画化することはできませんでした。そのため、表向きは源平の戦いや戦国時代の合戦を描きながらも、当時の戦争を暗にほのめかすような作品が刊行されるようになったのです。国貞の門人である貞秀、あるいは国芳の門人である芳虎や芳年といった、歌川派の絵師たちが積極的に手掛けています。

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【浮世絵の戦争画】歌川貞秀「大内合戦之図」(日本城郭協会提供)。応仁の乱を題材にしていますが、まるで江戸城が燃えているようだと評判になり、幕府は出版を停止させ、版木の没収を命じました。浮世絵の表現に幕府は常に目を光らせていたのです。 pic.twitter.com/v8h3y1cUTU

2015-07-26 16:48:37
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【浮世絵の戦争画 ~7/26】今話題の河鍋暁斎も戦争画を描いています。こちらは「蒙古賊船退治之図」の部分図。鎌倉時代の元寇で、神風によって軍船が大破しています。放射状に広がる爆発が画鬼・暁斎ならではの迫力です。 pic.twitter.com/x1aAPbgBsv

2015-07-02 10:31:05
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【浮世絵の戦争画~7/26】暁斎の「蒙古賊船退治之図」の全体図はこちら。元寇を題材としていますが、実は幕末に長州藩が外国船を砲撃した事件の暗示となっています。現在の事件を絵画化できなかったため、昔の時代として描いたのです。 pic.twitter.com/VWcl3lwmXu

2015-07-02 11:09:21
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【浮世絵の戦争画・本日7/26(日)が最終日】一勇斎国雪「蒙古合戦図」(日本城郭協会提供)。題名は蒙古合戦、すなわち鎌倉時代の元寇を描いているのですが…(続) pic.twitter.com/SwBh2qrPJs

2015-07-26 11:16:01
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【浮世絵の戦争画・本日7/26(日)が最終日】(承前)蒙古軍の船をよく見ると、外輪のある蒸気船になっています。この絵は、元治元年(1864)、仏英米蘭の四ヶ国が長州藩の下関を砲撃した事件を、元寇の場面として描いています。(続) pic.twitter.com/2JslOpN8hC

2015-07-26 11:21:24
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【浮世絵の戦争画・本日7/26(日)が最終日】(承前)作者は「一勇斎国雪」ですが、国雪なる絵師の作品はこれしかありません。幕府からのお咎めを警戒して偽名を使ったのでしょう。一勇斎と名乗っていた国芳とその周辺が関わっていたと思われます。 pic.twitter.com/8ZgLcRoulf

2015-07-26 11:28:42
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【浮世絵と刀剣】月岡芳年「名誉新談 伊庭八郎」。新政府軍との戦闘で隻腕となるも、旧幕府軍として五稜郭まで戦い続けた伊庭八郎。岡田屋鉄蔵氏の漫画『MUJIN‐無尽‐』の主人公。「浮世絵の戦争画」展で7/26まで展示中。#文化遺産 #刀剣 pic.twitter.com/Raokjpbnnz

2015-07-07 11:15:36
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【浮世絵の戦争画 7/1~7/26】月岡芳年「魁題百撰相 駒木根八郎兵衛」。寛永14年(1637)の島原の乱に参加した人物。しかしその姿は慶応4年(1868)上野戦争に参加した彰義隊として描かれています。銃口を向けた眼差しが印象的。 pic.twitter.com/FtP9Tq07lD

2015-06-21 13:08:53
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【浮世絵の戦争画~7/26】月岡芳年「魁題百撰相 滋野左ヱ門佐幸村」。傷ついた兵士を介抱するのは、かの有名な戦国武将・真田幸村(信繁)です。陣羽織には六文銭の文様が。大坂の陣の場面ですが、上野戦争の彰義隊のイメージが重ねられています。 pic.twitter.com/86D04g2GFp

2015-07-03 16:24:54
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【浮世絵の戦争画 7/1~7/26】歌川芳虎「信長公延暦寺焼討之図」。題名は織田信長とありますが、絵は明らかに薩長軍と彰義隊の上野戦争です。当時の出来事を絵画化することが許可されていなかったため、昔の出来事という設定で刊行されました。 pic.twitter.com/ygEiuu4oOX

2015-06-28 13:07:52
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西南戦争

 明治政府の樹立によって、西洋からの新しい文明が導入されるとともに、庶民たちの暮らしも大きく様変わりしていきました。それは浮世絵師たちも例外ではなく、どのような題材の作品を描くか、あるいは、そもそも絵師としての生活が成り立つかなど、それぞれの葛藤がありました。
 そのような中、浮世絵版画の新たな活路として見出されたのが、西南戦争を描いた戦争画です。明治10年(1877)、鹿児島に下野した西郷隆盛が盟主となり、士族たちが明治政府に反乱を起こしました。江戸時代のように当時起きた事件を絵画化することは禁じられていなかったため、新聞による間接的な情報を元としますが、西南戦争の動向を伝える目的で続々と作品が刊行されたのです。月岡芳年や楊洲周延を筆頭に、小林永濯や小林清親なども手掛けています。

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【浮世絵と刀剣】「人斬り半次郎」の異名で知られる中村半次郎こと薩摩藩士の桐野利秋。西南戦争で奮闘する一場面です。作者は月岡芳年。芳年は西南戦争の浮世絵を最も多く描いています。「浮世絵の戦争画」展で7/26まで展示中。#文化遺産 #刀剣 pic.twitter.com/9SJ5khzeLu

2015-07-08 13:16:40
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