【感情よりも理屈】「被害者側にも原因がある」という言葉が好きだ。

「被害者側にも原因がある」という言葉が好きだ。原因があるということは対処できるということで、自己救済の余地があるということである。原因(cause) を否定することは自己救済の望みを絶つということである。自分では何もできない、周囲が対応するまではどうにもならない、を強いるというのはあまりにも残酷すぎる。
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(1/6) 突然だが私は「被害者側にも原因がある」という言葉が好きだ。原因があるということは(適切なアドバイス)があれば対処できるということで、被害者側の努力で自己救済ができるということだ。

2015-07-09 01:39:40
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(2/6) 「君の側には原因が無い。君は圧倒的弱者で自力で結果を変えることはできない。」と言われるよりも「原因は君の側にもある。君の努力で結果を変えることができる。一緒に方法を考えよう。」が圧倒的に優しい。

2015-07-09 01:39:54
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(3/6) 第三者が「被害者に原因があるなんてとんでもない」と感情的になって騒いで酔いしれるのは当人の感情的欲求を満たして気持ち良いかもしれないが、それは被害者の自己救済の望みを絶つ行動だ。

2015-07-09 01:40:06
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(4/6) 感情では無く理屈で考えよう。被害者側に自己救済の余地があるならばそれを追求し、次の犠牲者が出ないように先にも繋げていこう。結果を変えることが至上目的であることを忘れてはならない。その為には自己救済は除外するべきでは無い。

2015-07-09 01:40:18
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(5/6) 私は今は図体が大きいが、昔はもやしっ子だった。不合理には自分でできる限り対処するように育てられたし、必要に応じて大人を頼ったこともあった。「被害者に原因がある」というのは別に被害者を責めているわけではない。原因を分析することによって被害者に希望を与えるものだ。

2015-07-09 01:40:33
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(6/6) 「全員があなたのように行動できるわけでは無い」というのは尤もだ。その為に子供時代に経験を得て成人した我々大人がいる。加害者側の排除方法の検討に明け暮れて、被害者側の救済を盲目的に否定することはあってはならない。

2015-07-09 01:40:42