元関脇 竹乃節によるACECOMBAT04論 その6

プレイヤー(P)、プレイヤーキャラクター(PC)、そしてノンプレイヤーキャラクター(NPC)の三項構造の観点から見て、シリーズの中でも04が特異であるということについて解説します。
11
元関脇 竹乃節 @take_no_fushi

まずはこれを読んでほしい P-PC-NPC の三項構造 critiqueofgames.net/2004/02/_01_pp…

2015-07-09 00:24:12
元関脇 竹乃節 @take_no_fushi

ゲームの種類によっても違うし、同じジャンルのゲームですら、プレイヤーとプレイヤーキャラクター、両者の関係性は異なるものであることは、04と5を対比して説明した通り明らかである

2015-07-09 00:29:11
元関脇 竹乃節 @take_no_fushi

さきのHPでの説明を借りれば、04はゲームの中であらかじめ用意されたモノを味わう側面が、5はプレイヤーによって物語が紡ぎだされて行く点が評価された、とあるが、これには若干の異論を挟まねばならない

2015-07-09 00:32:46
元関脇 竹乃節 @take_no_fushi

さきの「P-PC-NPC の三項構造」の大前提となるプレイヤーとプレイヤーキャラクターの関係性で言うと、まず5は分かりやすく、プレイヤーをプレイヤーキャラクターに合一させようとする意図の元に物語が描かれている

2015-07-09 00:35:01
元関脇 竹乃節 @take_no_fushi

「意識の二重性」の項で説明されている部分を当てはめるなら、5はその「プレイヤー」と「プレイヤーキャラクター」の間にある間隙を埋めるべく設計され、意識の二重性を認めない作りになっている

2015-07-09 00:37:40
元関脇 竹乃節 @take_no_fushi

基本的に5の物語で語られるのは自陣の視点からであり、04のようなプレイヤーキャラクターと関わりのない距離には踏み込まない

2015-07-09 00:35:56
元関脇 竹乃節 @take_no_fushi

対して04は、プレイヤーキャラクターと全く関わりのないNPCの物語が、ゲーム外(AC04Web)なども含めて語られる さらにはゲームの中の世界を知るためのコンテンツが、プレイヤーキャラクターの視点を借りていない形で提示されてもいる

2015-07-09 00:39:58
元関脇 竹乃節 @take_no_fushi

そしてサイドストーリーに目をやると、そのシナリオは「視点人物(少年)がまなざしをむける主人公(13)を、そのライバル(プレイヤーキャラクターたるメビウス1)が殺す」というものになっている この視点からみた人物の価値の比重は、あきらかにゲーム本編と相反している

2015-07-09 00:41:37
元関脇 竹乃節 @take_no_fushi

にもかかわらず、プレイヤーはサイドストーリーにも(物語単独としてではなく、)ゲームの一部分としての価値を見いだす。

2015-07-09 00:43:26
元関脇 竹乃節 @take_no_fushi

そう思えるのは、サイドストーリーにてプレイヤーがゲーム的に関わりうる部分が描写されているというのがまず一つあり、もう一つはWebの段階から、構築されている「あちら側の世界」をプレイヤーに提示し、そのなかでゲームもサイドストーリーも進行しているからであろう。

2015-07-09 00:44:49
元関脇 竹乃節 @take_no_fushi

こうして04では、「P-PC-NPCの三項構造」でいうところの、「PCの役を演じるプレイヤー」の側面と「観客としてのプレイヤー」、両方の性質がそれぞれゲーム本編とサイドストーリーとで与えられる

2015-07-09 00:47:50
元関脇 竹乃節 @take_no_fushi

さらに04の視点提供のしかたは絶妙で、視点そのものはユージア世界の誰かの物を借りていながら、そこで描かれるものに向けられる感情のバイアスは極力排除されている

2015-07-09 00:50:04
元関脇 竹乃節 @take_no_fushi

そうすることで、サイドストーリーからの視点で言えば「主人公をプレイヤーの手で殺す話」でありながら、そのことが悲劇でも悲願でもなく、淡々としたものとして提示されるのであるが そこに感情を見いだすとすれば、それはゲームが押し与えた物ではなく、プレイヤー自身によって想起される感情である

2015-07-09 00:53:27
元関脇 竹乃節 @take_no_fushi

キュビスムというのは、一つの題材を多面的な視点で捉え、その異なる視点から見えたものを解体・単純化・抽象化した物なのであるが、まさに04の視点提供は「ユージア世界を多面的に捉えて再構築したもの」という意味でキュビスムの性質を持っている

2015-07-09 00:58:03
元関脇 竹乃節 @take_no_fushi

敵の無線が聞こえてくるのも民間人の物語を見てしまうのも、音楽が必ずしも自陣の側の心象を表していないのも、04のキュビスム的手法による物だと考えると分かりやすい

2015-07-09 00:59:30
元関脇 竹乃節 @take_no_fushi

例を挙げると、「無敵艦隊封殺」で流れる「INVINCIBLE FLEET」という曲、曲調からするとエルジア側の心情を表しているようにすら感じる 「解放」のEMANCIPATIONも、サンサルバシオンの民間人からの視点を取り入れた曲調のようにも感じられる

2015-07-09 01:01:12
元関脇 竹乃節 @take_no_fushi

AC04Webで閲覧できる諸処の読み物も、「ユージア世界の人間が手に取りうる読み物」という、プレイヤーに直接向けられた説明ではなく、またPCであるメビウス1のものではないかもしれない視点を使ってプレイヤーが観ることができるようになっている

2015-07-09 01:04:33
元関脇 竹乃節 @take_no_fushi

「視点の提供」という観点においてここまで徹底してキュビスムの思想を取り入れたエースコンバットは04くらいであり、これは3と5をまるまる足してようやくたどり着くかという視点の多さである

2015-07-09 01:06:24
元関脇 竹乃節 @take_no_fushi

「顔も名前も声も人種も設定されていないメビウス1が絶大な人気を誇る」という、一見して意味の分からない事実も、メビウス1を様々な視点で見たからこその説得力が存在するのであり、単に身内びいきや、ましてメアリ・スー的感情移入でないからこそ存在するのである

2015-07-09 01:10:46
元関脇 竹乃節 @take_no_fushi

同時にその様々な視点は、メビウス1のみならず世界のあちこちに向けられているので、例えば黄色の13の「高貴さ」「強さ」「甘さ」「愚かしさ」なども我々は知ることができる だからこそ、画面の中の登場人物を平面ではなく、立体的な存在だと認知することが容易となる

2015-07-09 01:13:02
元関脇 竹乃節 @take_no_fushi

わたくしの主張としては「プレイヤーキャラクター」と「主人公」が明白に分断されているエスコンは少なくとも2つあって、それは04と6。 04の主人公はプレイヤーキャラクターであるメビウス1含め3人いると思っている 6の(シナリオ的な意味で)主人公はシャムロックだと思っている。

2015-10-08 13:36:11
元関脇 竹乃節 @take_no_fushi

直近で見た映画が2回連続で「主人公だと思ってたキャラとは別に真の主人公がいた話」だったので、主人公の定義というのは観察の仕方次第でいくらでも変動してしまうのだと思う。 その点、「操作対象となっている」と言う点で明確に定義できる「プレイヤーキャラクター」とは分けて考えねばならない。

2015-10-08 13:41:02
元関脇 竹乃節 @take_no_fushi

ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%BB… Wikipediaの「主人公」の項目を見ればわかる通り、主人公を定義する条件は多岐にわたり、一つの物語の中で複数の人物がそれを満たしている場合すらある。エースコンバット04においても、3人の人物が主人公の条件を満たしている。

2015-10-08 13:55:05
元関脇 竹乃節 @take_no_fushi

ただ、04におけるメビウス1の「主人公としての機能」は、話が進むとともに変化していることも忘れてはならない/

2015-10-08 14:14:24