渡邊芳之先生ynabe39の「多くの人は「理由」と言うのを「行為の原因」「行為のきっかけ」といった客観的な意味ではなく「その行為について自分が納得できる説明」のような意味で考えているのだと思う。」

そういう意味では犯罪の「理由」として受け入れられるのはたとえば裁判で「情状酌量」の対象になるような経緯だけだと言える。それ以外は「そんなの理由にならない」となる。
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渡邊芳之 @ynabe39

千の風になって。

渡邊芳之 @ynabe39

多くの人は「理由」と言うのを「行為の原因」「行為のきっかけ」といった客観的な意味ではなく「その行為について自分が納得できる説明」のような意味で考えているのだと思う。「そんなの理由にならないと思う」という言い方はまさにそういうことだ。

2015-07-09 04:57:38
渡邊芳之 @ynabe39

「そういう理由であれば自分もそうしただろう」「そういう理由であればそうしても不思議ではない」と思える時だけ、ある説明や経緯を「理由」として受け入れる。そうでない場合には「そんなの理由と言えない」「そんな言い訳は成り立たない」と考える。

2015-07-09 05:00:06
渡邊芳之 @ynabe39

そういう意味では犯罪の「理由」として受け入れられるのはたとえば裁判で「情状酌量」の対象になるような経緯だけだと言える。それ以外は「そんなの理由にならない」となる。

2015-07-09 05:02:27
渡邊芳之 @ynabe39

そうなると警察がよく発表する「むしゃくしゃしてやった」とか「カッとなってやった」などの「犯行動機」も「むしゃくしゃしたからといって殺してはいけないだろう」「カッとなっても自分ならやらないだろう」と多くの人が思うのだから、「説明にはならない」のだろう。

2015-07-09 05:06:32
渡邊芳之 @ynabe39

いっぽうで実際の犯罪を引き起こす「理由」や「きっかけ」となるできごとがなんであるかについては、犯人自身の個人的な価値や文脈、個別の事態の推移が大きな意味を持つ。それが他者から「納得できる理由」と思われるかどうかと、そのできごとが実際に犯罪を引き起こすかどうかにはあまり関係がない。

2015-07-09 05:11:47
渡邊芳之 @ynabe39

家族や知人間の殺人などの対人犯罪の多くは「怨恨や失望、嫉妬などのある程度長い蓄積」に「直接のきっかけ」が加わることで起きると思う。この「直接のきっかけ」が何であるかには、犯人個人の価値や文脈が大きく影響するだろう。

2015-07-09 05:15:49
渡邊芳之 @ynabe39

たとえば私が家族にずっと恨みを持っていた時に、ある日「オーディオ製品の元箱をまとめて捨てられる」ということが起きたとする。私はそれをきっかけに家族を殺すかもしれない。実際自分は20代の時に父にそれをされて、ほとんど殺意に近いものを覚えた記憶がある。

2015-07-09 05:18:23
渡邊芳之 @ynabe39

カッコの中は他にも「カブトムシのケースを捨てられた」「ハーブの花壇に除草剤を撒かれた」「仏壇に線香があげられていなかった」でもなんでもいいのだけれど、「それが本人にとって大事なこと」であれば、本人にとってそれは「家族を殺す十分なきっかけ」になるのだろうと思う。

2015-07-09 05:23:19
渡邊芳之 @ynabe39

もちろんそれらは、それを大切に思わない他者からは理解されないし「そんなことは家族を殺す理由にならない」と思われるのだけれども、本人にとっては「十分なきっかけ」になりうるだろう。

2015-07-09 05:25:47
渡邊芳之 @ynabe39

そもそも人を殺さない人には人を殺す人が人を殺す理由など「理解」できないのだと思うし、他の人なら殺さない「理由」で殺すからこそ犯罪になるのだし。戦場などで他の人も殺すような「理由」にのっとって自分も殺すことは犯罪にならないのだし。

2015-07-09 05:30:56
渡邊芳之 @ynabe39

そういう意味では「殺人の理由の説明」のほとんどは普通の人には「太陽が眩しかったから殺した」と大差がないのだし、「そんな理由で殺すなんて理解できない」という言葉の「意味」は突き詰めていくと「殺人は許せない」だけなのだろうと思う。

2015-07-09 05:33:17
渡邊芳之 @ynabe39

ここでも「理由」という言葉にすでに「認められるもの」「納得できるもの」という評価の意味が含まれていて、認められないもの納得できないものは「理由ではない」とされるのだと思う。

2015-07-09 05:43:00
渡邊芳之 @ynabe39

「理由なき反抗」だって映画を見れば主人公個人には反抗する「理由」が山ほどあるわけだが、それらが大人や社会から「理由」として認められなければ「理由がない」とされてしまう。

2015-07-09 05:46:08
渡邊芳之 @ynabe39

犯罪やその報道、裁判などについて自分がもっとも違和感を持つのは「どうしてそんなに犯行動機を重視するのか」ということだ。警察もマスコミも「動機を追求する」ことに躍起になるのだが、いざ動機が語られたらみんな「そんなこと人を殺す理由にはならない」と思うのである。

2015-07-09 05:52:14
渡邊芳之 @ynabe39

心理学者としての自分は「死刑の廃止」と「情状酌量の廃止」をずっと主張している。同じことをしたら「動機」に関わらず全員同じ刑、ただし死刑はなし。

2015-07-09 05:55:35
渡邊芳之 @ynabe39

もちろんそんなことが支持されることがありえないのは前提として。

2015-07-09 05:56:17
渡邊芳之 @ynabe39

そもそも情状酌量ってなんのためにあるのかというのも考えるといろいろなことが関わってくる。

2015-07-09 06:01:20
渡邊芳之 @ynabe39

「理由を説明しろ」と言われて説明したら「そんなの理由と言えない」と怒られる。相手が納得しないものは「理由」と認められない。

2015-07-09 06:06:00
渡邊芳之 @ynabe39

そこで「こちらの納得とは関係なく本人の理由の説明を受け入れる」のがクライエント中心療法のカウンセリング。

2015-07-09 06:07:00
わけるざわん @wakeruzawa

@ynabe39 「お前がそう思うんならそうなんだろ」ですね。

2015-07-09 06:07:50
渡邊芳之 @ynabe39

「理由がある」ということと「その行為が容認される」ことがほとんど同義になっているから、容認できない犯罪の理由を理解しようとすることが「犯罪擁護」と取られるのだと思う。

2015-07-09 06:31:37
渡邊芳之 @ynabe39

これは「責任」とか「原因」とかも同じで、「いじめられる側に原因があると言うな」というのも「原因があるならばいじめられてもよい」と皆が思ってしまうからである。

2015-07-09 06:32:52
渡邊芳之 @ynabe39

これについても自分の意見は「いじめられる側に原因があってもいじめてはダメ」である。

2015-07-09 06:33:20
渡邊芳之 @ynabe39

「理由なんか関係なくダメ」というのは意外と理解されない。「理由」という言葉自体が「やってもよい」という意味を含んでいるのだろう。

2015-07-09 06:34:21
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