山本七平botまとめ/【日本のこれまでを支えたものは何だったのか⑦】仕事は経済的行為ではなく精神的行為/会社という”共同体”には、機能集団として必須の「組織の原則(社規・就業規則)」は必要なかった
- yamamoto7hei
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①【仕事は経済的行為ではなく精神的行為】さて、これらの独立した下請け企業主の、いわば創業時代の「モーレツ」ぶりは、今の人には想像もできないであろう。 彼らは、文字どおり、社長、職人、小僧をかねて働きまくった。<『日本資本主義の精神』
2015-07-04 18:38:52②だが、親企業の仕事は断続的であり、あるときには徹夜をしても追いつかないが、ないときには全くないのが普通である。 そんなときには、当然、収入のあてがなくなる。 T製函の社長Tさんは、若いころを回顧して言った。
2015-07-04 19:09:05③「成功したと言っちゃ自慢になるけど、うまくいった奴とうまくいかなかった奴との違いは、仕事のない時を生かしたか殺したかの違いでね。」と。「どうやったんです。」「うん、ある人から、むだになると思って名刺を配れって言われたんだ。名刺百枚もって、次から次へと回って歩くんだ、一日中な。」
2015-07-04 19:38:53④「言われりゃ何でもないことだが、アッシも職人の出でしよ。 職人てのはそっちに頭がまわらねえんですよ。 それとそういうアテのないことが嫌いなんで、仕事がないと、つい、渡り職人みたいなことをやりたがる。 だからいけないんだ。」
2015-07-04 20:09:11⑤いわば「とびこみ」で注文をとりつつ、同時に商業的・営業的感覚を学べ、ということなのであろう。 それでも、 「名刺を千枚もまきゃあ、必ず一軒や二軒はお客がとれるし、まじめにやれば以後は一生の付き合いだから安いものさ。」 であったという。
2015-07-04 20:38:51⑥戦後の復興を担ったのはこういう人であった。彼らは丸焼け裸一貫になっても別に驚かなかった。何しろ一人で何もかもできたからである。 「他の事は何も知りませんがね。製本なら…知らねえ事はないす。革すきとノリ刷けとノリ盆がありゃそれで十分…」とHさんは言ったが、Tさんも同じ事を言った。
2015-07-04 21:09:07⑦四階建てのビルのHさんの工場には、最新式の機械がずらりと並んでいる。 しかし彼は、今それを全部失っても、その三つがあれば製本ができるのである。 機械は所詮、手仕事を能率化したというだけのものである。 従って戦後の廃墟の掘立て小屋の中でも、彼はその三つで仕事ができた。
2015-07-04 21:38:53⑧事情は親企業でも同じで、そちらからも仕事はまわってきたが、同時に彼は営業感覚をすでに身につけており、新規顧客も開拓していった。 革すきとノリ刷けとノリ盆が30年足らずで大工場となっても、それは必ずしも奇蹟とはいえない――そうなって当然なのである。
2015-07-04 22:09:10⑨確かにこれは立派なシステムであり、日本の企業の大部分はこの「徳川時代以来」の行き方をしている。何やら変わっているように見えても、仔細に観察を続けてみれば、その底にある基本的構造は同じであり、それに対応している精神構造も同じなのである。私がHさんの工場…を賛美すると、彼は言った。
2015-07-04 22:38:52⑩「冗談じゃねえすよ。アッシが小僧にはいったころのM製本のほうが立派でしたよ。」 私は彼の親工場への謙遜と解して、内心でニヤッとした。 だが、彼の言った意味は別であり、 工場の本質を機械とか建物とかとは思っていなかった のである。
2015-07-04 23:09:04⑪当時の機械は今から見ればまことに原始的で、機械の名に価しないものだったことを、彼はよく知っている。 彼が言ったのは「職場の神聖視」ともいうべき一種の伝統のことであった。 彼によれば、それは次のようになっていた。
2015-07-04 23:38:53⑫床は板張りで、まるで道場のように磨きあげられ、店主といえども、ここにはいるときは、寒中でも必ず足袋を脱ぐ。 彼は、老店主が足袋を脱いで帯にはさむ仕草をまねて、懐かしそうに言った。 正面には神棚があり、仕事中はもちろん禁煙、むだ口をきく者もいない。
2015-07-05 08:09:07⑬正月には必ず断裁機におそなえをそなえて、七五三縄を張る。 それは工場というより、一種、精神修養の道場のようであったという。 「それが今じゃね。この有様。」 「しかし、Hさんのとこ、今でも断裁機に七五三縄張って、おそなえもそなえるじゃないですか。」
2015-07-05 08:38:50⑭「そりゃ、アッシの目の黒いうちはやります。だが、あの気分はいいなあ。」 彼はそう言うと、残念そうな目で最新の機械を見ていたが、そこには何か、仕事イコール修行的なものが感じられた。 彼にとって、仕事は純経済的な行為ではなく、一種の精神的充足を求める行為なのである。
2015-07-05 09:09:17⑮そして、この彼の精神が実は、当時の日本の会社の社内秩序の基本だったのだ。 だから、当時、社規、社則とか就業規則とかいったものはなかった、必要もなかったのである。 そこにあるものは、機能集団としての組織の原則ではなく、ある種の精神に対応している共同体の原則なのである。
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