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伊月遊 @ituki_yu
狼と香辛料 Side Colors XX 「狼と松本人志」4
伊月遊 @ituki_yu
「さあいらっしゃい!新鮮な魚が揃ってるよ!」 という横から飛んでくる威勢の良い声。 それらをロレンスは右手でいなしながら歩いていた。 大勢の観光客でごった返しており、その隙間を周囲の屋台から立ち込める美味そうな香りが埋めている。
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少し視線を滑らせると、数え切れないほどの料理がまた、ロレンスの目と鼻を楽しませた。 ネムノルの市場はいつもこんな調子である。 観光シーズンだからか普段より多少は人の密度が濃い気はするが、それでもやはりここは普段から大勢の客で賑わっているせいか、あまり常時と変わらぬ印象を受ける。
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この屋台街もまたネムノルの名物として有名であり、大体の観光客はここに足を運ぶのだ。 流石漁業の街と言うべきか、どの店も味は折り紙付きのハズレ無し。 道行く人々は皆一様に、海の幸に舌鼓を打っている。
伊月遊 @ituki_yu
「ほれへ、ほほひははんのひょうは?」 「飲み込んでから喋ろう、ホロ」 その言葉に素直に従い、口いっぱいの食べ物をゴクリと飲み込む若い娘。 彼女が賢狼という名を冠し、かつてはとある村で崇めたて奉られる狼の化身であると余人に言って、誰が信じる事だろう。
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だがそれはまさしく事実であり、ローブの下でもぞもぞと動く獣耳と尻尾がそれを証明していた。 魚の串焼きを頬張り、幸せそうに尻尾を揺らす賢狼。この姿はあの村の人間たちには見せられないな、とロレンスは苦笑する。
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「ふはぁ。ここには何の用で来たのかと聞いたのじゃ」 「なに、ちょっと人に会いがてら、ウチのワガママお姫様のご機嫌取いにね」 「んむ。ワガママは余計じゃ。全く、この程度でわっちの機嫌が直るなど、賢狼も安く見られたものでありんす」
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というように口調はどこか刺々しいが、ホロの両手には沢山の串焼きが握られており、その顔には満更でも無い笑みが浮かんでいた。
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ロレンスがここに来た理由は先ほど言った通り二つある。 一つは人に会いに、もう一つは昨夜に損ねたホロの機嫌取りだ。 どうやらこの顔を見る限り、後者の方は問題なさそうだ、とロレンスは内心胸をなで下ろすのであった。
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「それで、人、じゃと?どんな奴じゃ」 「まあ良い奴だよ。ほら、あの店だ」 ごった返す人混みの中を歩くとすぐに見つかる。目的の場所は三年前と一切変わらない店構えでそこはあった。 店頭の前の台には色とりどりの果物が並んでいて、それを次々と手に取る沢山の人間。
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大いに賑わう店先では数人の男女がせわしなく客を捌いている。 「あれかや。ふむ、しかしあれでは話など出来そうに無いの」 「なに、専用口がある」 「専用口?」 ホロの疑問に応えるように、ロレンスは人混みの隙間を縫うように店の裏路地の方に入っていく。ホロも慌ててそれを追う。
伊月遊 @ituki_yu
相変わらずの喧騒を背中に感じながら屋台と屋台の狭い隙間を抜けると、店の裏側に出た。 視界は先ほどと打って変わって積み上げられた木箱の数々。 次いで雑多な声達がやや薄まったせいもあって、一瞬の内に別の世界へ迷い込んでしまった様な感覚に陥る。
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ロレンスに少し遅れてホロも現れると、服に付いたほこりを払いながら辺りを見回す。 「ほう、ここが専用口かや」 「そうだ。昔のままならいつもここにあいつが居る筈なんだが……」
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と、物音。 音の鳴る方に視線をやると、小さな女の子が果物の入った麻袋を木箱の上に置いたばかりであった。 薄汚れた黄色いスーツを着た、如何にもダンディな奉公人といった格好の女の子である。 彼女はそのまま近くの木箱の上に座り込み、額に溜まった汗をヨレヨレの蝶ネクタイで拭った。
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ロレンスは苦く笑いながら、見覚えのある少女に声をかける。 「サボってると親方が怒るぞ」 「ひゃうっ!?」 子猫のように身体を跳ねさせてこちらを見やる少女に、ロレンスは「やれやれ」と苦笑混じりの溜め息を吐いた。
伊月遊 @ituki_yu
「ロッ、ロレンスさん!? どうしてここに!」 「大きくなったなあ、ナナミ」 そう言ってロレンスがナナミの頭を優しく撫でると、ナナミは目を白黒とさせたまま「やっ、止めてくださいよう!」とロレンスの手を振り払う。
伊月遊 @ituki_yu
「もう、また子供扱いして。恥ずかしいから止めてくださいよ」 「大きくなったかもしれないがな、まだまだ充分子供だよ、ナナミは」 「またそんな……。……と、ところで、そちらの方は……?」 言いながらホロを見るその視線には、若干の訝しみが混じっていた。
伊月遊 @ituki_yu
あまり人見知りをするような子でも無いはずだが、暫く会わない内に何かあったのだろうか。 まあ、多感な時期の少女など、毎日のように変わって然るべきであろう。とロレンスは心中で納得し、間を取り払うように「おっといけない」とあえておどけた格好を見せてから言葉を続ける。
伊月遊 @ituki_yu
「とある理由で旅と荷馬車を共にする様になってな、ホロという」 ロレンスに振られた視線と共に、静かに頭を下げるホロ。 「はぁ、どうも……」とナナミも合わせて会釈するが、やはりその顔は依然怪しみが混じったままである。
伊月遊 @ituki_yu
何故だろう、ロレンスはふいに、そんなナナミの表情を見たホロが、ニヤリと意地悪そうに笑った気がしたのである。 その感覚が収まらぬうちに、ホロは口を開いた。
伊月遊 @ituki_yu
「お初にお目にかかりんす。何の因果か一緒に旅する事になっての。それ以降毎夜毎夜このたわけ、まるで盛りの付いた犬のように迫ってきてのう……ほとほと呆れておるのよ。ま、『躾』は毎度念入りにやってやるがの」 とホロはわざとらしく体をくねらせる。 思わず言葉を失うナナミとロレンス。
伊月遊 @ituki_yu
暫しの沈黙が続き、やがて静かな声で口火を切ったのはナナミであった。 「へえ、そ、そうなんですか、ロレンスさん」 それは単なる返答に過ぎない。しかし、その声は明らかに気落ちしていた。 対するロレンスはすぐには何も言わなかった。いや、何も言えなかった。
伊月遊 @ituki_yu
色々な疑問が頭を渦巻き、処理しきれずにいたのだ。 何故この狼はこの様な事を言うのであろうか。そして、何故この目の前の年端もいかぬ少女はそれに対してここまで肩を落とすのであろうか、と。
伊月遊 @ituki_yu
「うちん弟子イジめるのはそん位にしてもらえんか」 思考はその声で打ち切られる。 ロレンスがそちらを見やると、そこには良く見知った、和服姿の小太りな男が立っていた。
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