茂木健一郎(@kenichiromogi)さんの連続ツイート第1551回「若き画学生と、国家というワイルドカード」
- toshi3636_1
- 4182
- 0
- 0
- 4
ここに、ひとりの若き画学生がいる。彼は、のちのふるまいからもわかるように、芸術を愛し、理解する男であった。しかし、彼は、挫折を経験する。志望した美術学校に入れず、絵描きとしては大成できない。ここまでは、よくある物語であろう。自分の夢が実現できないことなど、人生では当たり前だ。
2015-07-16 06:07:29人間は、自分に自信を持ちたいものだし、何かを達成したいものである。それができない時、実は大きなチャンスなのであって、欠点は長所と表裏一体である。絵描きとしては挫折しても、その個性を活かした生き方は、模索できるはずだ。人生とは、自分の個性を引き受けた、旅のことなのだから。
2015-07-16 06:09:09ところが、ここに、「大きな物語」の誘惑がある。たとえば、「国家」。「国家」というワイルドカードを手に入れれば、どんな人に対しても勝てる、必殺技を手に入れることができるのだ。自分よりものびのびと絵を描いている芸術家たちの作品を、「退廃芸術」と決めつけることもできる。
2015-07-16 06:11:17「国家」という錦の御旗を手に入れたとき、弱き者は強くなり、力がないものも権力を握る。かつて挫折した画家は、「総統」と呼ばれるようになり、地上に並び立つものがないほどのカリスマ性を発揮することになる。すべては、「国家」という大きな物語、その幻想ゆえである。
2015-07-16 06:12:23挫折を経験した若き画家が、国家という「ワイルドカード」を手に入れて、その威光をほしいままにする。この物語は、残念ながら、ハッピィ・エンドには終わらない。その動乱に巻き込まれた無数に人々にとっても、そして、これが何よりも肝心なことだが、その挫折した画家にとっても。
2015-07-16 06:13:28時代が流れ「国家」というものの意味は、次第に相対的になってきている。しかし、一人ひとりの人生の状況がどうであれ、いったん「国家」というワイルドカードを手にしたとたんに、相手がどのような人であれ、あたかも自分が優位に立ち、威光をまとったように錯覚する、その認知の罠はかわっていない。
2015-07-16 06:14:53以上はひとつの寓話であるが、心にとめておいた方が、おそらくは良いだろう。どんなにささやかでも、挫折に満ちていても、自分の目の前の仕事を丹念にやる人生の方が、「国家」というワイルドカードを振りかざして、偽りの優越感にひたる人生よりも、何よりも本人にとって幸せである。
2015-07-16 06:16:14