IMMjapan金山昌秀代表の動画を見た感想

20130706 IMMJapan決起大会東京 https://www.youtube.com/watch?v=I60nZnhgUAw こちらの動画の感想まとめになります。 概略が文字起こしされたサイトがあり、このまとめでも紹介されていますが、省かれている部分もあります。 (どこかの城の内部で「ここにも油を振り注いで清めました」(54分40秒以降)と言う部分など) 続きを読む
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CMTC @MontyGlycon0

IMM創立者の講演動画、色んな意味で興味深い。

2015-07-15 22:17:14
CMTC @MontyGlycon0

20130706 IMMJapan決起大会東京 youtube.com/watch?v=I60nZn… 半分ぐらいまで見たが、彼の「霊の戦い」は「宗教風RPGごっこ」にしか見えなかった。医者の財力で各地を旅行しながら悪霊(モンスター)を撃退し、ヘッドクォーター(ダンジョン)を攻略する。

2015-07-16 12:31:10
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CMTC @MontyGlycon0

バブルの膜で悪霊の攻撃を弾いたり、巨大な天使が二人護衛として彼についていたり、五メートル級の怪物が出てきたり、そいつをイエスの名で退治したり。知人の訃報を悪霊の攻撃と断言するあたり本気ではあるのだろう。現時点で一時間ぐらいまで見たが、金山昌秀はキリスト教系の霊能者なのだと思う。

2015-07-16 12:42:58
CMTC @MontyGlycon0

IMM決起集会の報告(2013年7月6日、東京大会) 2013 7/20 k2.dion.ne.jp/~yohane/00%200… 動画の概要が文字に起こされている。

2015-07-17 15:59:08
CMTC @MontyGlycon0

祈りと呪文の境界線って何なんだろうなと金山昌秀の動画を見て思った。

2015-07-17 02:03:14
CMTC @MontyGlycon0

イエスの名に悪霊退治の力があり、その効力を前提に名を唱えることは、呪文の詠唱と似た構造を持っている。西洋魔術でも神の名を用いてデーモンを制御したりする。祈りと呪文の境界線は、パワーの使用権に信仰の有無を問うかなんかな。基準の一つにはなりそうだが。

2015-07-17 03:41:48
CMTC @MontyGlycon0

Fantapedia~幻想大事典 - トビト記 www1.atwiki.jp/occultfantasy/… 『トビト書』に対して、「呪術的だ」という批判があるのが思い起こされる(エホバの証人も言っている)。トビト書が呪術なら、金山昌秀の油使用も呪術だろう。

2015-07-17 04:03:41
CMTC @MontyGlycon0

神への信仰心が背景にあり、その神が聖書の神でも、正式な所作でないのならそれは呪術になる、という判断基準がある。神にとっての公式かどうかが基準。聖書に無いなら呪術。ちなみにIMMでもトビト記批判者同様、聖書は66巻としている。immjapan.net/pg163.html

2015-07-17 04:18:47
CMTC @MontyGlycon0

しかし、油を注いで土地を浄化して悪霊を追い出す、というのは66巻の聖書のどこにも無い。つまり本来、神にとっての非公式、となる。よって、CARMのような聖書は全66巻派なトビト記批判者からしてみれば、もしかするとトビト記を聖書に含む教派にとっても、金山の油注ぎは「呪術」に該当する。

2015-07-17 04:27:46
CMTC @MontyGlycon0

20130706 IMMJapan決起大会東京 youtube.com/watch?v=I60nZn… 「聖書のみ」のはずが、どうして聖書に無いことを平気でやれるのか。「神様と直結(5:30辺り)」というのが、そのキーワードだろう。神から直接聞いたのなら、聖書に書いてなくても問題ない。

2015-07-17 04:38:03
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CMTC @MontyGlycon0

ある程度先まで動画を見た後で、冒頭部分の「私も神学校には行ってません」を再度聞くと、色んな意味で味わい深い。「アマチュアのアマチュア」が「神の声」を聞いた結果、キリスト教系の霊能者が誕生した。実際、正規の神学校では「神の声」を聞いた(自称)人はどんなふうに注意を受けるのだろうか。

2015-07-17 04:53:17
チリロ @ibara16

@MontyGlycon0 私がかつてお世話になったローマカトリックの司祭は「まずは、その人自身の生活がどのように改められたかを聞きます。特に改まっていないのならそれは錯覚だと言えるでしょう」と仰っていましたね。

2015-07-17 06:22:51
CMTC @MontyGlycon0

手放しで礼賛はまずないだろう。「神の声」ごとに分派が誕生してしまう。

2015-07-17 04:57:45
CMTC @MontyGlycon0

感覚や感性の違い(「偏り」と言ってもよい)は大なり小なり誰にもある。自分にもある。自分の場合、聖書を読んでもイエス・キリストが死んだ、という話がいまいちしっくりこない。聖書によると、イエスはアブラハムより前、天地創造以前から在り、父なる神と同じく無限に古い存在ということになる。

2015-07-17 05:06:22
CMTC @MontyGlycon0

人間として受肉しマリアから生まれた後より、その前の状態のほうが長い。で、別に人間の体がなくても不自由する存在ではない。自分は人間なので肉体を失うととても困るが、イエスの場合不自由しない。生活に支障がない。受肉で得た肉体が死のうが、外付けのパーツが壊れただけなんじゃね?

2015-07-17 05:10:47
黒雪 @kuroyukihime_

@MontyGlycon0 わざわざ天主が降り給いて、わざわざ人性を獲得召され、わざわざ死に給うたことが、恐ろしく凄いことではないでしょうか。

2015-07-17 05:15:10
チリロ @ibara16

@MontyGlycon0 それだと仮現論に近くなってしまいますね。二性一位のお方になってくださったからこそ、我々も創造の際の神の似姿を取り戻す道を得たのですし。

2015-07-17 06:27:03
CMTC @MontyGlycon0

死んで三日後に復活、というより壊れたパーツ修復しただけじゃね?と感じる。聖書に書いてあることが実際に起こっていたとしても、イエスが死んで蘇った感はあまりしない。そもそも死んだという程のことじゃなくね?という。さて、こんな捉え方の自分が仮に信仰を持っていたとして、神学校に行かず、

2015-07-17 05:15:04
CMTC @MontyGlycon0

一般信徒として伝統的な教派・教会にも属さず、我流で聖書を読み続け、「神の声」を聞いて、伝道者っぽいことをして同調者相手の講談をはじめたとする。ちょうど彼のようになると思う。一応、聖書からモチーフはとっており、何より自分の感性に合う以上、軌道修正しようという思考は生まれないだろう。

2015-07-17 05:18:06
CMTC @MontyGlycon0

聖餐のユダヤ的起源 togetter.com/li/680172 ちなみにこちらの超面白いまとめでブラント・ピトルという研究者の説を紹介している人とこれに関する事で以前会話したとき、自分のキリスト理解がアポリナリウスという昔の異端者とまんま同じだったことが明らかになった。

2015-07-17 05:24:50
CMTC @MontyGlycon0

前の理解は、イエスがもった人性はあくまで肉体だけであり、神の位格としてのロゴスに人体をかぶせたのがイエス、という理解(これがアポリナリウス主義の見方)。実際は精神も含まれる。イエスは完全に神であると同時に完全に人間でもある。「人間である」には心も含まれるわけである。

2015-07-17 05:37:41
CMTC @MontyGlycon0

twitter.com/kuroyukihime_/… イエスが死を味わう、苦しむというのがあんまりピンとこないのでアポリナリオス主義(人間の精神をイエスは持ってない)風のキリスト理解になったのかもしれない。知識上は修正した後も、いまいち「凄さ」というのがピンとこない。

2015-07-17 05:41:31
CMTC @MontyGlycon0

旧約聖書の『伝道の書』1:9に「先にあったことは、また後にもある、先になされた事は、また後にもなされる。日の下には新しいものはない。」とあるように、自分のアイデアも、金山昌秀のアイデアも、似たようなことを思ったり考えたり行ったりする人間は、それ以前にも居たと思われる。

2015-07-17 05:44:16