【元旦早々】心理学は自然科学か?【学者乙】

渡邊芳之 @ynabe39 北海道帯広市 心理学者,専門は性格心理学,心理学論。近著は「性格とはなんだったのか〜心理学と日常概念」(新曜社, 2010, ISBN4788511886) http://twilog.org/ynabe39
43
渡邊芳之 @ynabe39

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

2011-01-01 04:06:12
渡邊芳之 @ynabe39

今年最初に考えたいのは昨日のキーワードのひとつであった「心理学は自然科学である」ということ。心理学がそれ全体で「自然科学をめざしてきた歴史」を持つこと,現に心理学の一部の分野がほとんど自然科学になっていることには疑問の余地がない。では「自然科学である」とはどういうことか。

2011-01-01 04:22:00
渡邊芳之 @ynabe39

そういえば酒井春樹先生も査読論文と言えるものはほとんど書いておられない。でも私を研究者・学者にしたのは酒井先生だ。ただ酒井先生はまだ現役でおられるのであれこれ述べるのは少し気が引ける。

2011-01-01 04:26:49
渡邊芳之 @ynabe39

科学であるものとそうでないものが何によって分けられるか,という「線引き問題」はながく科学哲学の中心的な問いであったわけだが,80年くらいの議論の結果は「線引きを明確にするのは困難だ」ということになっている(といっても間違いではないと思われる)。

2011-01-01 04:34:20
渡邊芳之 @ynabe39

とはいえ「自然科学がもっていてそれ以外の学問がもっていない特徴」を列挙することはできる。そしてその中で最も重要なことは研究者が発見したり主張したりすることの「正しさ」(妥当性)の基準がどこにあるか,ということだ。

2011-01-01 04:35:52
渡邊芳之 @ynabe39

中谷宇吉郎は「科学の方法」のなかで「科学とはほんとうかほんとうでないかだけをいう学問」とした上で,「ほんとうとは,いろんな人の感覚を経て得た知識に矛盾がないこと」としている。私が言う「正しさ」「妥当性」もここでいう「ほんとう」のことだ。

2011-01-01 04:40:21
渡邊芳之 @ynabe39

自然科学の大きな特徴はこの妥当性の基準を「研究者自身から外部化している」ことだ。つまり研究者の言うことが「ただしい」ことは,その研究者の内部の論理や信念によってではなく,研究者の外部にある手続きやコミュニティによって確認される,ということだ。

2011-01-01 04:44:11
渡邊芳之 @ynabe39

「研究者の外部にある手続き」の典型的なものとして「測定」「実験」「統計」をあげることができるし,「コミュニティ」として「査読論文」「国際誌」をあげることができる。逆に言えば,測定も実験もせず統計も使わず,査読論文も国際誌もないものは,自然科学ではない。

2011-01-01 04:48:35
青虫 @aohmusi

個々の経験に基づいている自然言語を使った論理の組み立てで、本当に、例を挙げるだけでなく、十分条件も含んだ定義って本当にできるんでしょうか?RT @ynabe39: 中谷宇吉郎は「科学の方法」

2011-01-01 04:50:00
渡邊芳之 @ynabe39

ヴィトゲンシュタイン! RT @aohmusi: 個々の経験に基づいている自然言語を使った論理の組み立てで、本当に、例を挙げるだけでなく、十分条件も含んだ定義って本当にできるんでしょうか?

2011-01-01 04:51:40
渡邊芳之 @ynabe39

「実験」や「査読誌」のシステムが「研究者個人の心の中にある」という人はいないだろう。これらの手続きやコミュニティはすべて「研究者が勝手にただしさを主張できない」ことを外部的に保証している。研究者の主張はこれらの外的な手続きを経てコミュニティに認められることで「ただしい」とされる。

2011-01-01 04:55:42
渡邊芳之 @ynabe39

昨日の議論の中で「自然科学のようなロジカル思考を人文科学にも」というような主張があったが,自然科学の「ロジック」の最も重要な部分は研究者の内部(思考や論理)にではなく,研究者の外部にある。

2011-01-01 04:59:25
渡邊芳之 @ynabe39

極端なことを言えば,究極の自然科学では研究者自身がロジカルである必然性はない。研究者自身がどのようなデタラメなロジックで仮説を立てようが,それが「測定・実験・統計」で確認され「査読誌コミュニティ」に認められれば「ほんとう」となる。もちろんそんなことは実際にはまれだろうが。

2011-01-01 05:02:34
青虫 @aohmusi

ヴィトゲンシュタインを見ても、自然言語を使って最初の定義を与えているのが理系の僕にとってはとてもストレスがたまります。自然言語で与えられた主張がブール関数に本当にのっているのかと思ってしまいます。そこには何の保証もないと。RT @ynabe39: ヴィトゲンシュタイン!

2011-01-01 05:02:39
渡邊芳之 @ynabe39

まったくそうでしょうね。 RT @aohmusi: ヴィトゲンシュタインを見ても、自然言語を使って最初の定義を与えているのが理系の僕にとってはとてもストレスがたまります。自然言語で与えられた主張がブール関数に本当にのっているのかと思ってしまいます。そこには何の保証もないと。

2011-01-01 05:04:05
渡邊芳之 @ynabe39

自然科学者は時々こうした「ただしさを保証する外部システム」が天地開闢以来存在する無謬の真理のように考えているように見える場合もあるが,いうまでもなくこれらのシステムは17世紀から20世紀にかけての自然科学の爆発的な発展の中で誕生し発展してきたものだ。

2011-01-01 05:10:12
渡邊芳之 @ynabe39

そういう意味で「自然科学のロジック」は比較的新しいものだ。いうまでもなく,それに基づいた「自然科学」という存在そのものも,人類の歴史の中では比較的新しいものだ。いっぽうほとんどの人文学は自然科学の誕生以前から存在した。

2011-01-01 05:12:43
平賀信一朗 @ Aberdeen, UK; anti-fascist @shiraga0516

厳密には「ただしい」ではなく「妥当」です。 QT @ynabe39: 研究者の主張はこれらの外的な手続きを経てコミュニティに認められることで「ただしい」とされる。

2011-01-01 05:12:48
渡邊芳之 @ynabe39

「ただしい」が「妥当」という意味であることは前のツイートで明示しました。 RT @shiraga0516: 厳密には「ただしい」ではなく「妥当」です。

2011-01-01 05:13:42
渡邊芳之 @ynabe39

すべての学問分野が方法論によって定義されるわけではありませんが,自然科学であるかどうかは主に方法によって定義されると思います。 RT @shiraga0516: 方法論と学問分野を同一視するのは詭弁ではないでしょうか?

2011-01-01 05:14:59
渡邊芳之 @ynabe39

その典型的な現れが「統計」です。 RT @aohmusi: 従って、実際には必要十分性というのは、誤差という少し幅を持った形を持って、示されていると思います。

2011-01-01 05:15:57
平賀信一朗 @ Aberdeen, UK; anti-fascist @shiraga0516

@ynabe39 同意出来ません。人類は知性の獲得と同時に自身の周囲全てのものを観察し理解しようと努めてきたはずで、それは「自然科学ではない」とは考えられません。

2011-01-01 05:16:28
渡邊芳之 @ynabe39

そうした人類誕生からの営みが「自然科学」としてディシプリン化されたのが17世紀以降です。 RT @shiraga0516: 同意出来ません。人類は知性の獲得と同時に自身の周囲全てのものを観察し理解しようと努めてきたはずで、それは「自然科学ではない」とは考えられません。

2011-01-01 05:17:39
渡邊芳之 @ynabe39

近代以前の人文学における「ただしさ=妥当性」の基準は自然科学のように外部化されてはいない。まず「ただしさを保証する手続き」は基本的に「研究者内部の思考や論理のただしさ」に依存するし,「ただしさを保証するコミュニティ」も自然科学のように明示的に整備されてはいない。

2011-01-01 05:22:53
渡邊芳之 @ynabe39

究極の人文学では,その研究者が「天才」であれば,なんの外部的な手続きも用いず,なんのコミュニティにも属さなくても(自分以外の誰にも認められなくても)「ただしいこと」を述べることができる。

2011-01-01 05:24:23
1 ・・ 5 次へ