秀衡の奥州藤原氏書籍案内(概史編)

奥州藤原氏botの学術担当・三代秀衡による『奥州藤原氏の歴史』を総合的に学べるわかりやすい概説書紹介をまとめました。初心者~中級者向けです。
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 奥州藤原氏botの学術担当・三代秀衡による『奥州藤原氏の歴史』を総合的に学べるわかりやすい概説書紹介をまとめました。初心者~中級者向けです。

初心者向けの本

奥州藤原氏bot @ou_fujiwara4

秀衡「奥州藤原氏の百年史の概略や人物像などを扱う書を紹介する。今回は初心者向けの書を紹介しよう。最初に読む一冊としては『奥州藤原氏と平泉』(岡本 公樹/吉川弘文館/2014)か『ユネスコ世界遺産平泉と奥州藤原四代のひみつ』(『歴史読本』編集部/新人物往来社/2011)を勧める」

2014-12-04 21:53:46
奥州藤原氏bot @ou_fujiwara4

秀衡「『奥州藤原氏と平泉』(9oo.jp/kpACNR)の目次じゃ」 平泉―黄金と浄土の都/ Ⅰ 奥州藤原氏四代の履歴書(初代清衡/二代基衡/三代秀衡/四代泰衡/【コラム】四代の死亡診断書)

2014-12-04 21:57:52
奥州藤原氏bot @ou_fujiwara4

Ⅱ 都市平泉の実像(都市の「顔」/御館の住む平泉館/平泉の「かたち」と「くらし」/【コラム】平泉と浄土信仰)/ Ⅲ 奥州藤原氏の戦争(前九年合戦/後三年合戦―正統はだれか/奥州合戦/平泉の滅亡)

2014-12-04 22:02:23
奥州藤原氏bot @ou_fujiwara4

Ⅳ 奥州藤原氏の平泉を歩く(中尊寺と金色堂/金色堂/聖なる里山、金鶏山/毛越寺―現世に現れた浄土世界/夕日の沈む光あふれる無量光院/ニュータウン「衣川」北岸)/【コラム】平泉の地名の由来は/略年表

2014-12-04 22:03:00
奥州藤原氏bot @ou_fujiwara4

秀衡「『ユネスコ世界遺産平泉と奥州藤原四代のひみつ』の目次じゃ。 カラー口絵 ユネスコ世界遺産「平泉」探訪(中尊寺 毛越寺 観自在王院 無量光院 金鶏山) 第1章 奥州藤原氏前史(前九年合戦 後三年合戦)

2014-12-04 22:05:40
奥州藤原氏bot @ou_fujiwara4

第2章 奥州藤原四代の興亡(初代藤原清衡 二代藤原基衡 三代藤原秀衡 四代藤原泰衡) 第3章 奥州と黄金と藤原氏の謎(「義家合戦」以後の奥州 奥州の産金と金売吉次伝説 金色堂建立と金棺の謎) 第4章 平泉史跡ガイド

2014-12-04 22:07:29
奥州藤原氏bot @ou_fujiwara4

秀衡「『奥州藤原氏と平泉』の著者は学者ではなく、東北在住の記者じゃ。それゆえに複数の信頼できる研究者の最新の説をバランスよく取捨選択し、かつわかりやすく一冊にまとめることが出来たと言えよう。特定の説に偏っておらんから、まだ知識の無い初学者にちょうど良い」

2014-12-04 22:14:25
奥州藤原氏bot @ou_fujiwara4

秀衡「とは言っても特徴的な説を掲げている部分もある。儂らの統治が鎌倉型の御恩と奉公ではなく、奥州内の各有力者と個別に関係を結ぶネットワーク型であったとする点。東北各地の発掘調査の進展から、奥州藤原氏=「北方の王者」イメージは修正されてきたとする」

2014-12-04 22:19:29
奥州藤原氏bot @ou_fujiwara4

秀衡「また、祖父上の清衡公が都系の血を受け継ぎながらかえって東北土着の文化や精神を取り入れ、その平泉建設も都型とは一線を画すとする一方で、その反動として父上、基衡公の時代には都文化の取り入れが進んだとする。当家の第一の家臣である佐藤家と藤原家の関係にも辛口の評価をしておるのう…」

2014-12-04 22:27:26
奥州藤原氏bot @ou_fujiwara4

秀衡「ともかくも、この書は分量が適度で、すぐに読める割には奥州藤原氏の歴史を学ぶ上で重要なポイントと最新の見解を理解でき、かつ欄外の解説や図・写真、巻末の参考文献も充実しておるのも良い点じゃ」

2014-12-04 22:35:39
奥州藤原氏bot @ou_fujiwara4

秀衡「基本を学ぶにはこの2冊が良いじゃろう。次回はだいたいの基本を理解済み者のため、もう少し専門的な書を紹介しよう」

2014-12-04 22:37:07

中級編

奥州藤原氏bot @ou_fujiwara4

秀衡「奥州藤原氏を学ぶための研究書、今月は『奥州藤原氏の歴史を総合的に学ぶ』ための書を紹介しておるが、今回はやや専門的な書として『北の平泉、南の琉球』を取り上げる」

2014-12-29 20:13:05
奥州藤原氏bot @ou_fujiwara4

【北の平泉、南の琉球 日本の中世〈5〉】 入間田宣夫(平泉パート)/中央公論社/2002年 目次 北・南の周辺部から見直す中世日本史―はじめに 第1部 北の平泉 1 平泉以前(延久二年北奥合戦を画期として/北の交流史/北奥羽の覇者から奥羽の覇者へ)

2014-12-29 20:17:42
奥州藤原氏bot @ou_fujiwara4

(目次続き) 2 清衡の創業(清衡の国土計画/鎮護国家大伽藍一区の造営/清衡の世界戦略) 3 基衡の事業拡大(主従制支配のネットワーク/荘園の支配をめぐって/毛越寺の造営をめぐって) 4 秀衡の栄華(京風と武家風の間で/柳之御所遺跡の発掘調査によって/秀衡の奥州幕府構想)

2014-12-29 20:20:27
奥州藤原氏bot @ou_fujiwara4

秀衡「日本の中世を京や鎌倉中心ではなく、北と南、すなわち奥州と琉球の視点から読み直すという趣旨のようじゃ。書の前半部で奥羽の社会状況とも絡めながら安倍時代からの奥州藤原氏の通史を扱っておる」

2014-12-29 20:24:11
奥州藤原氏bot @ou_fujiwara4

秀衡「本書の最大の特徴は祖父上、清衡公の仏教王国建設について特に力を入れて分析している点じゃ。仏の道と奥大道、法華経の理念と中尊寺の構造、金銀一切経、千人供養僧などについて詳細に検討し、祖父上の信仰および仏教を用いて奥州統治をしていく様子を明らかにしていく」

2014-12-29 20:26:50
奥州藤原氏bot @ou_fujiwara4

秀衡「「清衡の世界戦略」という言葉を用い、清衡公の仏国土建設構想が日本の枠を超え、広く東アジア世界の中に平泉を位置づける思想であったと論じる。この観点は従来、平泉が日本史の枠組みの中で京との関係でだけ論じられ、京の模倣と見なされていることへの異論とも言える」

2014-12-29 20:29:25
奥州藤原氏bot @ou_fujiwara4

秀衡「次に、話は遡るが、今まで前九年合戦と後三年合戦に挟まれて注目されていなかった延久の北奥における合戦に光を当て、防御性集落の存在など当時の北奥の抗争と交流によって蓄えられた北からの政治的経済的パワーが歴史を動かし、奥州藤原氏の誕生を促したことを指摘する」

2014-12-29 20:31:34
奥州藤原氏bot @ou_fujiwara4

秀衡「三点目は儂が鎌倉幕府に対抗し、北条氏が頼朝を擁立したように義経殿を擁立しもう一つの幕府を立てる構想があり、それは当時の平泉の政権態勢から見れば十分に現実的な話であったと論じる。この論は昨今の平泉研究者の間で少なからず論じられるもので、鎌倉中心の史観に対抗するものと言えよう」

2014-12-29 20:34:18
奥州藤原氏bot @ou_fujiwara4

秀衡「本書の特徴はざっとこんな感じじゃ。最後に清衡公の『中尊寺建立供養願文』(twitter.com/ou_fujiwara4/s…)、そこに込められた思想についての解説が本書の中でも特に力が入っておるので、それを引用して終わろう。そして今月中にもう1冊は取り上げたい」

2014-12-29 20:38:26
奥州藤原氏bot @ou_fujiwara4

【中尊寺建立供養願文】 「右、一音の覃ぶ所千界を限らず。抜苦与楽、普く皆平等なり。官軍夷慮の死事、古来幾多なり。毛羽鱗介の屠を受くるもの、過現無量なり。精魂は皆他方の界に去り、朽骨は猶此土の塵と為る。鐘声の地を動かす毎に、冤霊をして浄刹に導かしめん。」

2014-12-23 12:11:17
奥州藤原氏bot @ou_fujiwara4

『前九年合戦、延久二年合戦、後三年合戦など、たび重なる合戦によって、敵味方の大勢の兵士が命を落とした。奥州の山野には、かれらの朽骨が塵となって積もっていた。これほどの人命が損なわれた国は、ほかにはない。奥州ほどに、殺し殺された人々のルサンチマン(怨恨)が鬱積している国はない』

2014-12-29 20:43:46
奥州藤原氏bot @ou_fujiwara4

『(略)そのようなルサンチマンが解消されないかぎりは、いかなる強力をもってしても、平和を実現することはできない。強力に頼るだけでは、安定的な国づくりはできない。なんとしても、ルサンチマンの鬱積を取り払わなければならない。清衡は、痛切に感じていたに違いない』

2014-12-29 20:46:46