第111回日本精神神経学会学術総会実況 教育講演 筑波大学人間系 高橋正雄先生 精神科臨床と病跡学
- sayoarashi
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たとえば息子が統合失調症と診断された南方熊楠、自身が精神科入院した経験のある太宰治、他にも夏目漱石、森鴎外の高瀬舟・・・座敷牢の描写など、非専門家である文学者たちがどのように病と対峙しようとしたかが読み取れる
2015-06-04 15:47:53魔王は父親には見えないが子どもだけには見える。これは精神医学的に見れば何らかの幻覚と言える。父親は終始一貫して魔王はいないと言って安心させようとする。これは精神障害者に対して善意の家族がとりがちな対応であり、ゲーテはそれが無効であることを理解していたのであろう。
2015-06-04 15:54:13子どもが父親を呼ぶ声はその初めの音階が徐々に上がっていき、子どもの緊張感を巧妙に演出している。若きシューベルトはゲーテの意図を直感的に理解した。
2015-06-04 15:55:49次にブレーメンの音楽隊。年老いて荷物を運べなくなったロバ、ネズミをとれなくなった猫、その他犬、鶏が、ブレーメンに行って音楽隊になろうとする。4匹は旅の途中で泥棒の家に至り、大声で脅かして泥棒を追い出して一緒に生活する。
2015-06-04 15:59:184匹は失った能力を取り戻そうとはせず、残存能力を活かして新しい生活を見出そうとする。また4匹はブレーメンに至らず、音楽隊にもならず、新しい家で一緒に生活する現実的かつ柔軟な選択を行う。年老いた者同士がともに過ごすこの家はグループホームと言うこともできる。
2015-06-04 16:01:20またロバは専門家ではなく素人であり、これはピアカウンセリングと言って良い。高齢の動物たちが助けあって残った能力で生活していく姿は高齢社会に対して示唆的である。
2015-06-04 16:02:24ドン・キホーテにおける裸で走り回る若者のエピソード・・・周りの人間は近寄ろうとしないが、ドン・キホーテは若者に近づいて助けようとする。
2015-06-04 16:05:53この中には、一見了解不可能な症状の中に、共感可能な部分を見出して苦しみを共にするという、精神科臨床にも通じる部分がある。さらにドン・キホーテ自身が妄想にとりつかれた存在であり、ピアカウンセリングとしての一面もある。
2015-06-04 16:07:07シェイクスピアのリア王には認知症老人の問題が読み取れる。娘を呼び出して自分をどれだけ愛しているかを話させるが、リア王を最も愛していた三女は、財産目当てのおためごかしを言う気がせず、リア王は三女を追い出してしまう。
2015-06-04 16:12:27リア王は長女と次女の間でたらい回しにされるが、子ども扱いされてリア王は憤慨する。これは高齢者への誤った対応を示している。リア王は飛び出すが、これは認知症の徘徊と言ってよい。
2015-06-04 16:13:51徘徊したリア王は自らが追放した三女や忠臣と出逢う。三女は敬意を示して穏やかに接する。リア王は三女のことも忠臣のことももはや思い出せないが、穏やかになって自らの非を認めるまでに改善する。
2015-06-04 16:16:36日本の近代文学では、芥川龍之介の「忠義」という作品には、肩や頭の痛みや、存在を無くしてしまいたいほど苦しむ殿様が出現する。最初の家老は諌めるが、諌めるほど殿様の病状が悪化する。次の家老は幼いときから殿様を知っており、共感的態度を取ることで改善する。
2015-06-04 16:19:50しかし、ただ共感的態度を取って希望を叶えるだけがよいとは限らない。殿様はたっての希望で江戸城に登城するが、そこで殺傷事件を起こして切腹、家老は縛り首になる。芥川文学には、願いがかなったとしても幸せなるとは限らないというテーマが共通する。
2015-06-04 16:22:07ここには芥川自身が、母と引き離されて育てられたが、母親と対面した時にキセルで殴られたという事件が影響しているかもしれない。
2015-06-04 16:23:04精神障害者へのまなざしは、大江健三郎の「空の怪物アグイー」にもあらわれる。友人の精神障害者と友情を培い、その苦しみに寄り添う姿が描かれる。
2015-06-04 16:26:25