茂木健一郎(@kenichiromogi)さんの連続ツイート第1557回「子どもの頃、心霊写真に興味をもった」
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昨日の夜、ツイッターのトレンド欄に「心霊写真」というのがあった。テレビ番組か何かでやっていたのかしら? 子どもの頃、私は「恐怖の心霊写真集」とかいうタイトルの本の熱心な読者で、よく、頁をめくっては「こわいなあ」という感覚を、楽しんでいた。
2015-07-23 07:28:17もちろん、今、大人になった見れば、合成なんだろうとか、光の加減なんだろうとかいろいろ理屈がつくのだけれども、子どもの頃は、素朴にこわいふしぎだ、と思って惹きつけられていた。やがて、大きくなっていくにつれて科学的世界観も身につけ、次第に「からくり」も見えてきて、心霊写真から離れた。
2015-07-23 07:29:34ふりかえって見て思うのは、幼い頃の心霊写真への興味が、そのまま、広い世界への関心の階段になったということである。この世界には、目に見えるものの背後に、隠れた秩序があるのではないか。そんな予感と、好奇心のようなものを、心霊写真を通して育まれたように思うのである。
2015-07-23 07:31:25科学的、合理的思考と、迷信や幻覚の類を、きちんと二分して、前者はいいけれども、後者はダメだ、という態度をとるのは、きっと人間の本性から外れているのである。ニュートンが万有引力の法則を研究する一方で錬金術をやっていたという有名なエピソードは、人間の有機的成り立ちを示す。
2015-07-23 07:32:38ニュートンの当時、錬金術は、世界の中で隠れた秩序の象徴だったのだろう。だから、興味を持つのは当然のことだった。もっとも、最近出版されたニュートンの伝記の中では、彼は化学的世界の中に(物理学に比較すれば)普遍的法則がないということを不満に思っていたと記述されているようだ。
2015-07-23 07:33:50とっかかりは心霊写真においても、錬金術においても、世界の秩序を希求する気持ちであり、その探究心に応えてくれるものもあれば、応えてくれないものもある。その際の評価基準は論理であり整合性だろう。子どもの頃、心霊写真に興味をもったが、結局その先には何もなくて、科学がそれに応えてくれた。
2015-07-23 07:35:13