兵法たいシャ流、14代の方も私より若かったと思うんだけど、最近ずっと演武会にも出られてる女流宗家?さんの方に代替わりするんだね。
2015-07-25 01:40:19@inuchochin 昔、ゴルゴが宇宙で射的するために古流弓術の女性の先生のところに弟子入りする話があったんですが、この先生ってもしかして…とか思ったものですが。みんみんぜみさんが知らんとなると、記憶違いですかしら
2015-07-25 01:57:55@inuchochin ですか。しかし関係ないですけど、近世武道文献目録読むと、馬術と弓術の関係が驚くほど多いですよね。武士の芸能としての弓術は、思ってたよりも盛んだったのかもです
2015-07-25 02:11:32@SagamiNoriaki 弓は伝授ものなところがありますし、古くから理論化されてるみたいで伝書の量が多いのもあるんじゃないかと。剣術なんてへたしたら目録と免許だけ、とかですから。
2015-07-25 02:21:25弓は剣・柔みたいに江戸期の分派、新流の爆発がなくて比較的流派数が少ないし、内容が射法、礼、弓具、弓工、道、と取扱い分野が多いし、なにより馬同様に基礎教養であったので多くなったみたいですね。江戸期の刊行本も弓はやたら多いそうです@inuchochin @SagamiNoriaki
2015-07-25 02:42:22@baritsu @inuchochin @SagamiNoriaki 途中から失礼します。基礎教養というか、そもそも武道のカテゴリーではなくて儀礼の範疇(今で言う冠婚葬祭マナーの一部的な)のものだったのではないですかねー
2015-07-25 02:54:58弓馬故実というくらいですから儀礼なのはもちろんなんですけど、室町期は芸として和歌なんかと同様に見られたとする人もいるようですね。戦国を挟み江戸期に実用面を鉄砲に譲ると再び故実儀礼的なたしなみ面が表に出たと@momi_man2 @inuchochin @SagamiNoriaki
2015-07-25 03:29:56弓術で面白いのは、他武術より先に実用性を失ったのに、通し屋という形でスポーツとしてのハードかつガチな面をこれまた他武術に先駆けて見せた所だよなぁ
2015-07-25 03:39:02@baritsu 実用性を失ったが故に、いち早く町民に解放されスポーツ性が高まったとの仮説を唱えてみます ( ´ ▽ ` ) ! そうであるなら、幕末、千葉道場なのどの剣術ブームが、その後、剣道のスポーツ性に繋がったと考えれるのですがどうでしょう^^;
2015-07-25 03:48:39通し矢は今のところ武士男性のみとみたいですけど、9歳位からの子供もやってるし、ルール明確化、種目の細分化等々は完全にスポーツですよね。町人にも話題になり通し矢記録本なんかが売れたそうで武術からスポーツへという意識の点で果たした役割は大きかったかもですね@dandonban
2015-07-25 04:00:12剣術は農民が仕事の後に山を越えて道場に行ったなんて話もあって、趣味orレクリエーション的性格は発生してたようですね。都市部の町道場なら武者窓から覗いて勝った負けたなんてのもあったかもですし、通し矢や竹刀稽古という形態と公開性が後に繋がったのはあると思います@dandonban
2015-07-25 04:11:11@baritsu 浅草の三十三間堂(矢先神社)の方だと、町人が観戦したともありますね。相撲のようにスポーツ興行が成立していたのかも。
2015-07-25 04:14:00