鶴見俊輔と教育

鶴見俊輔の訃報に接して
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BABA @u_baba

今日、鶴見俊輔が亡くなっていたことを知った。日本の良心的知性に哀悼の意を表し、彼の引用の連続ツイートをします。岩波現代文庫「教育再定義の試み」より。鶴見俊輔は教育学の系譜に数え入れられないし、僕は良き読者でもないが、彼ほど鋭く暖かなまなざしで誠実に教育を語る人は稀有だった。

2015-07-27 23:49:16
BABA @u_baba

「教師は、官僚、商社重役と同じ言葉づかいに追いつめられたというのが、現在の日本である。親もそうなったらどうであろう。そして子どもが親にたいしてそうなったらどうであろう。心のこもらぬきれいな言葉だけが日本全体をおしつつむ」

2015-07-27 23:51:31
BABA @u_baba

「自分の傷ついた部分に根ざす能力が、追いつめられた状況で力をあらわす。自覚された自分の弱み(ヴァルネラビリティー vulnerability)にうらうちされた力が、じぶんにとってたよりにできるものである」

2015-07-27 23:53:16
BABA @u_baba

「正しさの上につみあげるという仕方で、ひとはどのように成長できるだろうか。生まれてから育ってくるあいだに、自分のうけた傷、自分のおかしたまちがいが、私にとってはこれまで自分の道をきりひらく力になってきた」

2015-07-27 23:53:27
BABA @u_baba

「自分で問題をつくるという作業は、受験本位の学校教育では、出番がない。それは、受験戦争の能率本位の軌道からそれる道草と見られる。まちがいとされる答えの中にひそんでいるゆたかな想像の芽への洞察もまた、教師の心中にあらわれてきそうもない」

2015-07-27 23:55:39
BABA @u_baba

「教師の器量が、教育の質をつくる。制度がかわってこそ完全な教育ができるという期待は、制度をかえることに成功したあとでその制度をむしばむ。そればかりか、制度をかえる運動そのものをも改革運動の最中からむしばむ力となる」

2015-07-27 23:54:31
BABA @u_baba

「偶然性を見てとり、そのきっかけを生かすのは、親にとってむずかしく、教師にとってはさらにむずかしい。ひとりひとりの生命のむかえるその大切なときを、五十人を受けもつ教師がどうして見わけることができるか、しかし、むずかしいであろうという自覚をもつことは、教師にもできるのではないか」

2015-07-27 23:59:20
BABA @u_baba

「教育は、連続する過程であり、相互にのりいれをする作業である。教えるー教えられる、そだつーそだてられるは、同時におこり、そして一回でおわるのでなく、その相互作用は続いていく」

2015-07-28 00:00:58
BABA @u_baba

「私の言いたいことは、今の日本は学校にとらわれすぎているということ。学校がなくても教育はおこなわれてきたし、これからもおこなわれるだろう。学校の万人である教師自身がそのことを心の底におけば、学校はいくらか変わる」

2015-07-28 00:01:53
BABA @u_baba

「教師が教師であることによって、尊敬されるべきだと考えている教師は、教育をになう条件を現代では失っている。親が親であることによって、尊敬されなくてはならないという考えも、現代では考えなおす必要がある。生徒の前に、自分自身をもっと前に出す方法を考えたらどうだろう」

2015-07-28 00:05:54
BABA @u_baba

「親問題をすてないということ。人は生きているかぎり、今をどう生きるかという問題をさけることができない。今活きているということが、問題をつくる。それが親問題である。(中略)。そういう問題は、学校では問わないことになっている。(中略)。優等生は、自分で問題をつくる習慣を巧みに忘れる」

2015-07-28 00:08:42
BABA @u_baba

「死を前にしての浮き沈みまでを見すえて、準備をするところまでが、教育である」

2015-07-28 00:10:04
BABA @u_baba

「学校などなかった時代から人間の教育はつづいている。そこにかえって教育を考えるほうがいい。どのようにひろくとらえても、教育されない力というものはのこる。それは教育をはじきかえす野生の力である」

2015-07-28 00:19:43