【横山光輝「三国志」講座62「馬泥棒」】
- yms_karuta
- 2381
- 0
- 0
- 1
【横山光輝「三国志」講座62「馬泥棒」01】 第62話でございます。前回、呂布の無茶ぶり自己解決により、徐州に平和がもたらされます。しかし、これは一時のことでございます。 ある日、呂布のもとに、玄徳が馬を買いあさっているという情報がもたらされます。
2015-07-28 12:39:08【横山光輝「三国志」講座62「馬泥棒」02】 武将が馬を買うのはいざという時の心がけと、感心している呂布。自分も300匹ほど買いに行かせていると自慢します。まあ、その時はそれで良かったんですが、後日の朝、その買いに行った馬が盗まれたという急報が入ります。
2015-07-28 12:40:57【横山光輝「三国志」講座62「馬泥棒」03】 買い付け担当の役人を叱責しつつ、報告を聞く呂布。どうやら、ただの馬泥棒ではなく、訓練された兵士による強奪だったもようです。しかも、あろうことか、首謀者は玄徳の義弟の張飛だというではないですか。
2015-07-28 12:42:30【横山光輝「三国志」講座62「馬泥棒」04】 それを聞いた呂布は、もう許せんと小沛に出陣して玄徳を討ちに出ることを宣言します。一度決めたら行動は早い。あっという間に小沛に迫っていきます。その報を聞いた玄徳はなぜ急に呂布が攻めてくるのか不思議がりますが、現に城が囲まれています。
2015-07-28 12:44:41【横山光輝「三国志」講座62「馬泥棒」05】 何も知らない玄徳は、呂布になぜ攻めてきたのか聞きます。赤兎馬に乗った完全武装の呂布は、しらじらしい、自分の胸に手を当てて考えてみろと言い放ちます。呂布にしてみたら、自分がこれまでかばってきたのに、裏切られたわけです。
2015-07-28 12:46:22【横山光輝「三国志」講座62「馬泥棒」06】 裏切り、ときいて訝しがる玄徳ですが、呂布に、張飛に馬を盗ませたではないかと言われて顔色が変わります。思わず振り向いた玄徳。当の張飛は、盗んだのではない、返してもらったのだと強弁します。もともとは徐州は玄徳のものだというのです。
2015-07-28 12:47:52【横山光輝「三国志」講座62「馬泥棒」07】 徐州を盗んでおいて、今さら自分たちを盗賊呼ばわりされるいわれはないと主張する張飛。痛いところをつかれたか、呂布はぬううとうなりますが、即座に攻撃を命じます。関羽は張飛に本当に盗んだのかと確認すると、張飛は先程の主張を繰り返します。
2015-07-28 12:50:10【横山光輝「三国志」講座62「馬泥棒」08】 徐州の簒奪の件はともかく、馬泥棒をやらかしたのは事実です。しかし、いまさら叱責してもどうしようもありません。玄徳は、もう馬泥棒の件については不問にして、現状呂布が攻めてきていることに対応すべく、潔く戦おうと言います。
2015-07-28 12:51:47【横山光輝「三国志」講座62「馬泥棒」09】 しかし、関羽は、いままで我慢をしてきたのに、ここで命を落とすことはないといい、曹操がいる許昌に落ち延びることを進言します。その間、関羽と張飛が呂布の軍を食い止めると。一度はためらう玄徳でしたが、関羽の言を受け入れ、逃げることに。
2015-07-28 12:53:44【横山光輝「三国志」講座62「馬泥棒」10】 城門が開けられ、関羽と張飛は出撃します。日頃の鬱憤がたまっている張飛は、目の前に現れた敵を次から次へと首を飛ばしていきます。ここで、張飛と呂布の一騎討ちがあれば面白いところですが、張飛は呂布を見つけることが出来ませんでした。
2015-07-28 12:55:45【横山光輝「三国志」講座62「馬泥棒」11】 そのうち、関羽が張飛のもとにかけより、引き揚げるように言います。物足りない張飛でしたが、多勢に無勢、敵陣に深く入り込んでいて、これ以上進むと不利になってしまいます。それに、先に行かせた玄徳を守らなくてはなりません。
2015-07-28 12:57:10【横山光輝「三国志」講座62「馬泥棒」12】 張飛はおとなしく引き揚げ、玄徳を追いかけます。詳細は書かれていませんが、小沛を去った玄徳を呂布軍がしつこく追撃したわけではないようです。追い出せばそれでいいと考えたのでしょうか。関羽、張飛は無事に玄徳に追いついているようです。
2015-07-28 12:58:52【横山光輝「三国志」講座62「馬泥棒」13】 さて、雪混じりの天気の許昌。そこには曹操がいました。玄徳が落ち延びてきたことを聞いた曹操は、丁重にもてなします。宴席が設けられ、曹操と玄徳は昔話に花を咲かせます。関羽と張飛も同席していますね。
2015-07-28 13:00:12【横山光輝「三国志」講座62「馬泥棒」14】 義勇軍の頃の玄徳の活躍の件を話し、もちあげつつ、これからどうするのかを尋ねる曹操。玄徳はまだ決めていないと言います。宿に帰ってからゆっくり考えるという玄徳を見送る曹操。部下から玄徳の存在が危険だから今のうちに取り除こうという意見が。
2015-07-28 13:02:29【横山光輝「三国志」講座62「馬泥棒」15】 しかし、その考えに反対の意見も出てきます。名声がある玄徳を暗殺したら、曹操の名に傷がつくというのです。結局曹操は、玄徳に恩を売っておくことにしました。曹操の計らいで、漢皇帝の名において、玄徳は豫州(よしゅう)の長官に任命されました。
2015-07-28 13:04:33【横山光輝「三国志」講座62「馬泥棒」16】 さらに、曹操は、玄徳に3000の兵と、米1万石を贈るといいます。玄徳は曹操に感謝しつつ、豫州に向かいます。こうして、徐州を追われた劉備は、豫州へとその立ち位置を変えることになったのです。
2015-07-28 13:06:08【横山光輝「三国志」講座62「馬泥棒」17】 さて、今回の事件の発端となった馬泥棒の一件。たかが馬で大げさな、という人もいるかもしれませんが、当時の馬は車代わり。一匹の馬が大変貴重なものです。しかも、軍用馬ともなれば、それなりの品質が求められます。
2015-07-28 13:07:46【横山光輝「三国志」講座62「馬泥棒」18】 それなりの調教も受けた馬を数百頭単位で買うので、かなりの費用がかかります。当時の馬の値段がいくらかわかりませんが、現在で競走馬だと数百万から数千万円という値段がつきます。
2015-07-28 13:11:10【横山光輝「三国志」講座62「馬泥棒」19】 仮に1頭500万円だとして、300頭の馬を盗まれた呂布は、15億の損害だということになるわけです。いい馬であればさらに値段がはりますな。呂布が怒るのも無理はありません。この時代に限らず、騎馬隊を作るにはかなりの費用がかかるわけです。
2015-07-28 13:14:05【横山光輝「三国志」講座62「馬泥棒」20】 そんなわけで、張飛の馬泥棒をきっかけに、玄徳が豫州に移動、それぞれの立ち位置が微妙に変わりました。それが今後どのような動きになるのか。この続きはまた次回になります。 今回はここまで。
2015-07-28 13:15:45