マルセル・デュシャン「創造的行為」

マルセル・デュシャン「創造的行為」1957年 原文はこちらに公開されています。 http://www.wisdomportal.com/Cinema-Machine/Duchamp-CreativeAct.html
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辻憲行 @nori_1999

デュシャンの「創造的行為」を訳してツイートしてみる。マルセル・デュシャン「創造的行為」1957年 「芸術創造の二つの重要な極について考えてみよう。一方はアーティストであり、もう一方は作品を後代に伝える鑑賞者である。」#gjks2011

2011-01-02 21:04:46
辻憲行 @nori_1999

「アーティストのふるまいは、時空を超えた迷宮をクリアする方法を探す媒介者のようである。アーティストを媒介者とみなすならば、彼は自分が美的次元において行っていることを自覚的に理解することはないはずである。」#gjks2011

2011-01-02 21:05:40
辻憲行 @nori_1999

「彼の創作における全ての決断は、純粋な直観に従っているのであり、自己分析によって記述することも、念入りに考えぬかれた思考として跡づけることもできない。」#gjks2011

2011-01-02 21:06:27
辻憲行 @nori_1999

「T.S.エリオットは『伝統と個人の才能』で「苦悩する人間としてのアーティストと、作品を創作する精神の分離が完全であるほどアーティストは完璧になる。つまり彼の精神は、作品の素材となるその情熱をより完全に消化し変質することができるようになるのである。」と書いた。」#gjks2011

2011-01-02 21:09:19
辻憲行 @nori_1999

「数多くのアーティストが作品を生み出し、そのうち数千ほどが鑑賞者の話題になって受容される。そしてそれよりはるかに少数のものが後世に伝えられるのである。」#gjks2011

2011-01-02 21:10:10
辻憲行 @nori_1999

「要するに、アーティストは自らの才能を大々的に宣言するだろうが、彼の言葉が社会的に容認され、彼の名が美術史の中に書き込まれるためには、鑑賞者による評決を待たなければならないのだ。」 #gjks2011

2011-01-02 21:19:03
辻憲行 @nori_1999

「このような声明が、媒介者としての役割を拒絶し、創造的行為における彼ら自身の自意識の有効性を主張する多くのアーティストの賛同を得られないことは当然のことであろう。」#gjks2011

2011-01-02 21:20:14
辻憲行 @nori_1999

「しかし、美術史において作品の評価を決定するのは、アーティストによる理性的な作品の説明とは全く関係のない考察を通じてである。」#gjks2011

2011-01-02 21:23:12
辻憲行 @nori_1999

「自分自身と世界に対する究極の目的を抱く人間存在としてのアーティストが、彼自身の作品の評価に関してなんの役割も果たさないのだとしたら、作品に対する鑑賞者の反応を促す現象を、どのように記述すれば良いのだろうか?言い換えれば、その反応はどのように生じるのか?」 #gjks2011

2011-01-02 21:33:28
辻憲行 @nori_1999

「この現象は、絵の具、ピアノ、大理石などの無機物によって引き起こされる美的浸透におけるアーティストから鑑賞者への転移と比較することができる。しかし、話を進める前に、「芸術」という言葉に関する私たちの了解事項を、それを定義することなしに、明確にしておきたい。」 #gjks2011

2011-01-02 21:34:16
辻憲行 @nori_1999

デュシャン「創造的行為」の続き「私が考えているのは、良い作品であれ、悪い作品であれ、それなりの作品であれ、どのような形容詞をつけようとも、それを芸術と呼ぼうということだ。悪い芸術もそれが芸術であることにかわりない、ちょうど悪い感情も感情であるのと同じように。」 #gjks2011

2011-01-02 21:46:22
辻憲行 @nori_1999

「したがって、「芸術係数」について話すとき、私は偉大な芸術についてだけ話しているのではなく、悪いものであれ、良いものであれ、そこそこのものであれ、生の状態の芸術を作り出す主観の働きについて話しているのである。」 #gjks2011

2011-01-02 21:47:04
辻憲行 @nori_1999

「アーティストは創造行為の中で、自分の意図から始まって、完全に主観的な反応の連鎖を通じて作品の実現へと至る。」 #gjks2011

2011-01-02 21:48:42
辻憲行 @nori_1999

「アーティストによる実現への奮闘は、一連の努力、苦しみ、満足、拒絶、決定であり、少なくとも美的な次元では、それらを完全に意識的に制御することは不可能であり、また、そうすべきでもない。」 #gjks2011

2011-01-02 21:49:14
辻憲行 @nori_1999

「この奮闘の結果はアーティストの意図と実現された作品の違いに、つまり彼が自覚していない違いに現れる。結果として、創造行為に伴う一連の過程では、あるつながりが失われている。」 #gjks2011

2011-01-02 21:50:32
辻憲行 @nori_1999

「作品の意図を表現しようとするアーティストの不能を示すこの断層、彼が表現しようと意図したことと実現された作品との間のこの差異が、作品に含まれている個人的な「芸術係数」なのである。」 #gjks2011

2011-01-02 21:51:34
辻憲行 @nori_1999

「言い換えるなら、個人的な「芸術係数」は、意図されながら表現されなかったものと、意図せず表現されたものとの間の数学的な関係のようなものである。」 #gjks2011

2011-01-02 21:59:27
辻憲行 @nori_1999

「誤解を避けるために付け加えると、私たちはこの個人的な「芸術係数」は芸術の生の状態に過ぎないことを心に留めておかなければならない。」 #gjks2011

2011-01-02 22:00:11
辻憲行 @nori_1999

「それは、糖蜜から砂糖を抽出するように鑑賞者によって「精製」されなければならないのである。芸術係数の数値は鑑賞者の作品に対する評価とは何ら関係がない。」 #gjks2011

2011-01-02 22:00:49
辻憲行 @nori_1999

「創造行為は鑑賞者が変位の現象を経験するとき、別の局面へ入る。不活性な素材から芸術作品への変容によって、物質の実体が変化し、鑑賞者は作品の美的価値を決定する役割を担うことになるのだ。」 #gjks2011

2011-01-02 22:03:09
辻憲行 @nori_1999

「つまるところ、創造行為はアーティストだけで完遂されるものではないのだ。鑑賞者は作品に内在する質を翻訳し、解釈することによって、作品と外部世界とのつながりを生じさせ、そうして創造的行為に加わるのである。」 #gjks2011

2011-01-02 22:04:27
辻憲行 @nori_1999

「このことは、後世の人々が作品の最終的な評価を下したり、忘れられたアーティストを再評価したりする場合により明らかになる。」 #gjks2011

2011-01-02 22:07:14
辻憲行 @nori_1999

以上。1957年、ヒューストンで開催されたアメリカ芸術連盟総会でのマルセル・デュシャンの発表。「芸術係数」という造語を使って芸術作品の創造/体験プロセスにコミュニケーションの次元を導入したレポート。 #gjks2011

2011-01-02 22:11:59