「信頼できない語り手」という用語を提起したブースの「フィクションの修辞学」、今はじめて読んでるんだけどフローベールめっちゃ悪役扱いなのな。客観主義の権化みたいな扱いされてる。いまや信頼できない語りの祖みたいにみられてる人なのに。この時代のフローベール観はまだこんなんか。
2015-07-29 05:27:51フィクションの修辞学、なんとなく流布してるけどあまり根拠のない話に「根拠ないですよね」といいまくる本なので面白いっすね。
2015-07-29 15:30:49文学は客観的であるべきという主張には特に根拠がないという話、内在する作者の話、作者は登場人物に不公平な扱いをするものだという話、などがされているようだ。いまいちこれらの話の関連性がすっきり理解できない。もう少し読み進むか。
2015-07-29 15:42:10大雑把に言うと、私小説はかつて、国内の批評家に、西洋の客観的な文学に全然追いつけてないからだめだ!みたいな論法で叩かれていましたから、そのへんともかかわりある話ですね。
2015-07-29 16:00:05ブースはなにがすごいって、ヴァレリー、チェーホフ、フローベール、ジョイス、アリストテレスといったビッグネームの文学観にガンガン喧嘩を売っていく姿勢がとりあえず熱い
2015-07-29 18:37:52ブースはどうもこんなことを言いたいらしい。メモ代わりに書いておく。まだ140ページくらいまでざっと読んだだけなので誤読もあるかもしれない。そのつもりで読んでください。
2015-07-29 18:44:48文学作品に作者がしゃしゃり出て自分の意見を言うべきではないって芸術観はアリストテレスからある。ホメロスは客観的だからいいとほめてる。ここには硬直化の兆しもある。つまり、ホメロスがもっと自分の意見書くのを控えてたらイリアスの文学的価値はもっと向上したんですかとつっこみたくなるよね。
2015-07-29 18:51:04現代には、文学は音楽のように現実とは無縁なそれ自体で完結したものであるべきとするヴァレリー的文学観も、科学のごとく客観的に中立に現実を映し出すべきとするフローベール的文学観もある。この二つは真逆の立場なのに、どちらも作者は作中で意見を言うべきでないとする結論に至るんだ。
2015-07-29 18:57:25しかし、その理想が果たされたことは一度もない。前者についてはヴァレリー自身たどり着けない理想だとしてるし、後者についてはいくら見た目で客観性を装っていても、ある題材を選んだ時点で作者の何らかの意図は反映されている。ただ、文学と作者を切り離したくなる理由もわかる。
2015-07-29 19:02:05作者の伝記的事実を調べると作品のメッセージに反する生き方をしていたり、作品によってちがうメッセージを発していたりすることがある。だから、作品=作者のような考え方をすると足をとられることも事実だ。ブースがこれを解決するために提起しているのが、(作品に)内在する作者という概念みたい
2015-07-29 19:09:00この概念についてはまだくわしく読んでいないのだけど、文学はなんらかのかたちで作者なるものによって語られるという形式をとる芸術だ、ただしこの作者が現実の作者その人と一致するかどうかは定かではない……ということらしいんだよね。
2015-07-29 19:14:12内在する作者の概念がただの都合いいブラックボックスではなく内実のあるものかはもう少し読み進める必要があるけど、少なくともこの立場をとると、作者=作品的な文学観と、作品のメッセージ性を重視する文学観の間に区別をつけられそうではある。
2015-07-29 19:19:31@shinkai35 その辺をバルトのアレと比較したご意見を伺いたいんですよ。
2015-07-29 19:24:49@tatsurokashi 作者の退場みたいなこという人よくいるけど微妙だよねっていうブースの本が出たのは61年で、バルトが作者の死を書いたのは68年なんで、いつものマッチポンプ的なやつじゃないすかね
2015-07-29 19:31:31@tatsurokashi 昔からある意見を自分の新説の様に言うアレですよ。ただ、この人みたいに、ブースを踏まえつつバルトを擁護する人もいるようです d.hatena.ne.jp/nakaii/2011112…
2015-07-29 19:33:25