稠密性について~「人狼ゲームでの発言はゲーム内的行為か?」との問いから。

matsunagaさんからのご指摘。
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ぷらとん / Takusari Koki @platon_dorothea

夜な夜なおさわり人狼に興じていて、一つの疑問が浮かんだ。 「これこれこういう理由で誰々さんが怪しいと思います」と発言することは、果たしてゲーム内行為なのか?という話。 ただし、とりあえずそんなことは問題にならないと言う趣旨の反論として。

2015-07-01 01:12:00
ぷらとん / Takusari Koki @platon_dorothea

1:人狼系ゲームは狭義のボードゲームには該当しないため、典型的なボードゲームの分析方法を適用することは妥当でない 2:その行為がゲーム内のものかゲーム外のものかという以前に、そのゲームシステム(特に、その内部状態としてどのような可能的事態を含めるか)がきちんと規定されてない

2015-07-01 01:14:01
ぷらとん / Takusari Koki @platon_dorothea

だけかもしれない。 しかし、1点目はともかく2点目の反論は、同一のゲームであっても分析者によってそのシステムの内部状態の記述が異なりうることを示唆するわけであるが、これは一体どういうことだろうか…?

2015-07-01 01:15:29
ぷらとん / Takusari Koki @platon_dorothea

具体的に言えば。 A:「人狼プレイヤーが誰に触れるか」と「誰を人狼として指名するか」だけがゲーム内行為であって、その他の要素は全てゲーム外の複雑な運と見なす立場

2015-07-01 01:16:21
ぷらとん / Takusari Koki @platon_dorothea

B:aさんが「bさんは怪しい」と発言することによって、aさんとbさん以外のプレイヤーがbさんを怪しむ雰囲気が生まれることを、ゲームの内部状態が変化した事態だと見なし、当該発言をゲーム内行為と捉える立場

2015-07-01 01:17:46
ぷらとん / Takusari Koki @platon_dorothea

どちらの立場もあり得るかもしれないが、どちらの立場もあり得ることにしてしまうと、ある一つのゲームシステムに対してもその中味が分析者毎に変わってしまうことになって、構造だとか形式的システムだとか言った部分すら客観的な記述が不可能になってしまうような気がする。

2015-07-01 01:18:26
ぷらとん / Takusari Koki @platon_dorothea

うーん。 でもまあその問題はプレイヤーの内部状態をゲームシステムの内部状態と切り離せばいいだけか。自己解決?(←これは多分引きずるパターン

2015-07-01 01:19:28
matsunaga @zmzizm

@platon_dorothea 同じこと考えたことありますがとりあえずAの立場はとりづらいという考えです。Aだと「ゲームシステム」の範囲が狭くなりすぎるんですよね。たとえばボードゲームじゃないですが、サッカーでの選手の身体の動きもゲームシステム内部の事態ではないことになったり。

2015-07-01 01:28:59
matsunaga @zmzizm

@platon_dorothea ゲームの形式性はよく強調されますが、人狼の例みたいに意味論的に複雑なコミュニケーションがからむ場合や、スポーツのように身体の動きのような物理的事態が重要になるケースでは、形式的なものとして記述しづらいという一般的な問題だろうと思います。

2015-07-01 01:32:35
matsunaga @zmzizm

@platon_dorothea 個人的には稠密性(分節化の反対)みたいな概念を導入すれば、形式性を維持しつつ、すごく細かいあるいは複雑な事態もゲームシステム内部にすでに用意されてる可能的事態として数えられるのではないかと思ってます。

2015-07-01 01:48:08
matsunaga @zmzizm

@platon_dorothea ついでにいうと意味論的な稠密さはコンピュータには処理しづらいので、ビデオゲームよりもアナログゲームのほうが得意なものだと思います。機械化できなくて人間の審判やゲームマスターが必要なケースはだいたいそれです。

2015-07-01 01:51:28