棲み分けのシステムに依拠して文学批評をしていることを自覚しているのか

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中沢忠之@インボイスやめちゃえ @sz6

佐々木中さんの切手本を読み始めました。内容に共感できるか否かはおいといて、まず読んだ印象は宇野常寛さんのゼロ年代の想像力の時と近いんだよね。敵か味方か位に異なる二人だけど。論点の絞り込みの潔さ、白か黒かの決断力が議論喚起してしまうところ。

2010-12-28 16:50:19
中沢忠之@インボイスやめちゃえ @sz6

宇野さんはあからさまに攻撃的なんだけど、佐々木さんのは低姿勢で実は胸ぐらを掴まれてる感じなんだ。基本丁寧語でときおり断定口調で切り込んでくるんだよね。いずれにしても啓蒙本ぽいかな。想定している読者からしてそうならざるをえないだろうけど。

2010-12-28 17:25:35
中沢忠之@インボイスやめちゃえ @sz6

佐々木中さんの切手本読み終えました。言いたいことは分かりますが、これが文学を擁護するものとは思えなかった。佐々木さんの文学観を語るということならいいけど、それをあたかも文学を代表しているかのような言い方で語るのはどうかと思う。しかも啓蒙的なレトリックで。

2010-12-30 14:19:28
中沢忠之@インボイスやめちゃえ @sz6

彼が言うように情報に還元できないところを扱う立場も文学であれば、逆に、情報を取捨選択して物語に仕立てるのも文学。また佐々木さんは文学(芸術)の名において「終わり」の言説を拒否するが、歴史や文学の終焉を仮設し騒ぎ立てるのもお祭りであり文学(技芸)の役目だった。

2010-12-30 14:41:00
中沢忠之@インボイスやめちゃえ @sz6

この前から言ってるけど、正しい文学とは何かという問いは偽であり、そういう切り口から文学の普遍性を語るものには僕は興味がありません。ごくマイナーな切り口でもいいから、こういう見方をすると面白いんじゃないのっていう問いで文学してる人が僕は好きです。

2010-12-30 14:52:23
中沢忠之@インボイスやめちゃえ @sz6

久しぶりに島田雅彦の『瞠目新聞』を読み返してみたら、けっこう面白い。これは、1992年からの1年間、島田氏が毎日新聞の水曜夕刊の文化欄を編集長になって仕切った記事の全記録なんだけど。

2011-01-01 19:00:36
中沢忠之@インボイスやめちゃえ @sz6

当時の様々な分野の文化人に執筆してもらったり、そこで「瞠目反文学賞」を設立して、当時の芥川賞選考委員だった古井由吉も呼んで座談会をしたり、当時はまだ選考委員になってない未来の東京都知事と議論したりしている。

2011-01-01 19:12:31
中沢忠之@インボイスやめちゃえ @sz6

「瞠目反文学賞」の選考委員は島田氏に、渡部直己と筒井康隆。この二人は、渡部氏のグッバイ筒井論があったりしてこの当時はもう仲が良くなかったはず。(ちなみに筒井氏の「無人警察」事件=断筆宣言が93年だからちょうどその直前)

2011-01-01 19:22:01
中沢忠之@インボイスやめちゃえ @sz6

1980年代/ニューアカ的文脈の延長というか、マスメディアとメセナ的文化資本を使ったバブリーなキュレーションと言って片付けることも出来るけど、こういう横断性自体は、ウェブや文学フリマ周辺の同人誌界隈に分散しつつ移行したのだとはいえ、その過渡期の試みとして評価できる。

2011-01-01 19:44:41
中沢忠之@インボイスやめちゃえ @sz6

島田氏は2000年前後にホームページ「彼岸百貨店」を立ち上げてそこで様々な試みをしようとするのだが(NAMがらみでアガペーという地域通貨を作ったのもその一つ)、そこで横断性を意図しつつも、「新しき村」的コミュニティーを作りたいという欲望が透けて見えちゃったところがあると思う。

2011-01-01 19:56:55
中沢忠之@インボイスやめちゃえ @sz6

村上春樹も同時期にウェブ上での試みを展開しているけど、それは単なる読者とのメールのやり取りで、しかも時限的に立ち上げては散会するといったカジュアルなもの。

2011-01-01 20:11:57
中沢忠之@インボイスやめちゃえ @sz6

こうして対比してみると、複雑な仕掛けをほどこすことで、権威的な固有名を消して永続的・自立的なコミュニティーを目指す(読者参加型とか双方向性とか)よりも、そのつど際立った固有名を立てて局所的に場を盛り上げる(その反復)式の方がコミュニティー全体が維持されるんだという気がする。

2011-01-01 20:19:03
中沢忠之@インボイスやめちゃえ @sz6

後出しじゃんけん的評価になるけれど。

2011-01-01 20:19:35
中沢忠之@インボイスやめちゃえ @sz6

ゼロ年代を総括するとすれば、利口に徹してはだめで、無知を偽装しなければならなかった、ということだと思う。そういう意味でも、村上春樹と東浩紀が勝ちまくったのは当然だった。

2011-01-01 20:27:43
中沢忠之@インボイスやめちゃえ @sz6

カオスラウンジとかchim↑pomとかディアステージとか、それらに対する神経症的なリアクション(「日本=悪い場所の再来だ!」)とか見てて思うのは(個人的には羨ましいのだが)、文学って、良くも悪くも、ジャンルの棲み分けを素早く行うジャンルだなあということ。

2011-01-02 00:22:14
中沢忠之@インボイスやめちゃえ @sz6

萌えだからこれはラノベだよね、ウェブ発信(魔法のiランド)だからケータイ小説だよね、物語を語ろうとしているからジャンル小説、物語より語り口に入れ込んでるから純文学とか、あるいは掲載媒体によってとか、きっちり棲み分けする。批評の介入の余地がない。ゼロ年代の文学はこれを徹底した。

2011-01-02 00:39:48
中沢忠之@インボイスやめちゃえ @sz6

マンガやアニメは元々からサブカルが出自ということになっているから一様に語れないが、文学と同様にハイブローな出自を持つジャンルとされる美術は、アンデパンダン的な文脈におりにふれ影響を受けてきたわけでしょう。それに対して文学はそういうのを囲い込むのが速い。

2011-01-02 00:50:29
中沢忠之@インボイスやめちゃえ @sz6

その理由は制度的なものもあるけれど、文学はやはり物語を語るジャンルとして期待されているからだよね。同じ活字ジャンルである詩と比べてみたら明らかで、詩は(物語は不要ゆえに)モダニズムとかアンデパンダン的なもの(内容より形式・環境)に親和性が高いわけです。

2011-01-02 00:59:40
中沢忠之@インボイスやめちゃえ @sz6

たとえば椹木野衣の「カオス(破滅)ラウンジ」に対する「悪い場所」批判だけど、椹木さんの「悪い場所」批判(『日本・現代・美術』1997)は、確か、文学では絓秀実の「JUNK」批評が応接する形で展開されたもので、美術批評はいまだに「悪い場所」が生きているのかと驚いたんだよね。

2011-01-02 01:14:33
中沢忠之@インボイスやめちゃえ @sz6

しかも絓さんは(これは絓さん独自のメンタリティーもあるけどw)JUNKを肯定しているわけです。

2011-01-02 01:21:13
中沢忠之@インボイスやめちゃえ @sz6

ただ、絓さんの限界はJUNK的なものを、ベケットと絡めて(佐々木中さんもベケットを出してきますが)、文学の普遍理論として論じようとしたことでしょう。その後は68年に遡行して、現代文学を語らなくなってしまった。

2011-01-02 01:21:27
中沢忠之@インボイスやめちゃえ @sz6

その一方で、文学は制度的に「JUNKなもの」をライトノベルやケータイ小説として括り出し(=植民地化し)、文芸批評が普遍理論を試行錯誤しているところをあっさりクリアーしてしまった。

2011-01-02 01:25:25
中沢忠之@インボイスやめちゃえ @sz6

だからこそなんだけど、文学批評は純文学だけ論じていればいいという気持ちで批評をしている人は、すげー制度(および物語を語るというジャンルの固有性・期待値)に囲われて安住しているんだぜってことは、自覚しておくべきだと思う。

2011-01-02 01:32:22
中沢忠之@インボイスやめちゃえ @sz6

まとまりよくない文章ですね。要は、サブジャンル化(棲み分け)をしないところで試行錯誤している現代アートが羨ましいというのが一点。ただ、それを「悪い場所」で片付けるのは古ッ!(それはサワラギさんの批評の限界でもあるかもよ)と思うのが一点。

2011-01-02 01:50:46
中沢忠之@インボイスやめちゃえ @sz6

他方、文学は制度的に棲み分けを果たしたが、それゆえに、創作と批評はけっこうやりづらくなってますよ、ということを言いたかったです。萌え導入!とか言っても、はいそれはラノベだねで終りだから。

2011-01-02 01:55:03