『ギリシア棺の謎』と後期クイーン的問題

ギリシア棺論争の分析です
3
@quantumspin

まとめを更新しました。「シャム双子の謎と後期クイーン的問題」 togetter.com/li/845883

2015-07-16 20:27:24
@quantumspin

法月のいう〝メタレベルの無限階梯化〟はありえるだろうか 。この点について、飯城勇三は『エラリー・クイーン論』の中で『<偽>の犯人が無限に登場することは、あり得ない―Q.E.D(証明終わり)』と反論し、無限階梯の存在を否定している。飯城はその論拠を、同書の中で次のように説明する。

2015-08-02 06:39:57
@quantumspin

『エラリーが最初に推理した〈A犯人説〉が偽の解決であることに気づいた時、何が起こっただろうか? ここで、「真犯人は、Aを犯人だと示す〈偽の手がかり〉をばらまくことができた人物である」という、〈真の手がかり〉が見つかったのだ。これが〈真の手がかり〉であることに、疑問の余地はない。』

2015-08-02 06:40:54
@quantumspin

『真犯人を示す条件が次々と見つかっていけば、どんどん容疑者の輪がせばまっていく。そして、この輪は小さくなることはあっても、大きくなることはない。ならば、いつかは必ず、条件を満たす人物が一人だけになる筈である。そして、この最後に残った人物は(…)まぎれもない<真>の犯人なのである』

2015-08-02 06:46:43
@quantumspin

飯城の反論に対し、小田牧夫は『ギリシア棺論争発掘録』の中で、『法月・笠井から、この指摘への反論は寄せられていない。』と述べた後、『私には、偽の手がかりもまた真の手がかりであるというレトリックからは、メタレベルの無限階梯化を否定できないように思われる。 』という反論を行っている。

2015-08-02 06:50:43
@quantumspin

小田は、『手がかりを「犯人特定の材料となる情報」と定義するならば、確かに偽の手がかりは真の手がかりとなりうる。犯人を示すと思われていた手がかりが偽の手がかりだったと明らかになれば、それはメタ犯人を示す真の手がかりとなるだろう』と述べ、偽手掛かりが真の手掛かりになりうる事は認める。

2015-08-02 06:58:10
@quantumspin

そのうえで小田は、『だが、探偵役の推理をそのように誤らせることこそがメタ・メタ犯人の奸計だったかもしれない』と述べ、次の例を示す。『段階1:犯行現場から、犯人のものと思われる血痕がみつかる。血液型からAが容疑者として注目される。 段階2:だがAにはアリバイがあったと判明する。』

2015-08-02 07:02:09
@quantumspin

『やがて、Aの主治医Bが犯行前日、Aから採血していたことが判明する。血を入手できたのはBのみだった。Aを犯人に仕立てようとしたBの犯行なのか。 段階3:だが看護師Cも本当はAの血液を入手できたこと、かつBにはアリバイがあったと判明する。こうしてCが真犯人として指摘される。 』

2015-08-02 07:02:59
@quantumspin

『このとき血痕は段階1「犯人Aが残した」、段階2「犯人Aのものだと偽装するためメタ犯人Bが残した」、段階3「犯人Bが工作したと偽装するためメタ・メタ犯人Cが残した」と解釈が転じていく。段階2において、確かに血痕はメタ犯人Bを特定する真の手がかりとして機能している。』

2015-08-02 07:05:38
@quantumspin

『だが、それはメタ・メタ犯人Cが描いた筋書きの一部に過ぎなかった。つまり、メタの階梯が実現されている。 』以上が小田の、飯城に対する反論である。さて、小田の議論は、飯城説『<偽>の犯人が無限に登場することは、あり得ない―Q.E.D(証明終わり)』の的を射た反論となっているだろうか

2015-08-02 07:15:51
@quantumspin

小田の例で考えると、〝血を入手できたのはBのみだった〟という手掛かりを真の手掛かりと判断できるかどうかがポイントになっている。飯城は、『いつかは必ず、条件を満たす人物が一人だけになる筈』とし、『<偽>の犯人が無限に登場することは、あり得ない―Q.E.D(証明終わり)』と判断する。

2015-08-02 09:34:34
@quantumspin

それに対し小田は、『看護師Cも本当はAの血液を入手できたこと、かつBにはアリバイがあったと判明する』可能性を否定できないと考える。『<偽>の犯人が無限に登場することは、あり得ない―Q.E.D(証明終わり)』に対する反論ゆえ、小田はこの階梯は無限に存在すると考えるわけである。

2015-08-02 09:44:35
@quantumspin

このような事は原理的にありあえるだろうか?例えば地球上に存在する全ての人間について調査した結果、〝血を入手できたのはBのみだった〟事が明らかになった時、それでもまだ探偵は、B以外の人物を犯人と考えられるのだろうか?無限階梯の存在証明に際し、小田の論考からはこの議論が抜けている。

2015-08-02 09:56:22
@quantumspin

この場合例えば、〝地球外生命体を前提〟〝超自然現象を前提〟すれば無限階梯は保証されるかもしれない。しかし法月の考えに、そのようなSF的前提は含まれていただろうか。文脈からは、地球上生命体に対し自然科学を前提した推理を行い、それでも無限階梯が存在する事を証明しなければならないだろう

2015-08-02 11:09:22
@quantumspin

この点小田の反論は十分でない。血を入手できた人物が真犯人である事、〝犯人を示すと思われていた手がかりが偽の手がかりだったと明らかになれば、それはメタ犯人を示す真の手がかりとなる〟事を前提するかぎり、『<偽>の犯人が無限に登場することは、あり得ない―Q.E.D(証明終わり)』だろう

2015-08-02 11:19:30
@quantumspin

『<偽>の犯人が無限に登場することは、あり得ない―Q.E.D(証明終わり)』を棄却する、即ちメタレベルの無限階梯構造の存在を肯定するには〝犯人を示すと思われていた手がかりが偽の手がかりだったと明らかになれば、それはメタ犯人を示す真の手がかりとなる〟が成り立たない事を示す必要がある

2015-08-02 17:29:15
@quantumspin

この時メタレベルの無限階梯構造が成立する事は、真の手掛かりが増加しない事から自明である。例えば小田の例で考えると、Aの血液を入手した人物が真犯人の条件(真の手掛かり)であってはならない。これが真の手掛かりであれば、メタレベルの階梯を昇る事で、犯人の成立条件が限定されていくからだ。

2015-08-02 17:36:02
@quantumspin

〝犯人を示すと思われていた手がかりが偽の手がかりだったと明らかになれば、それはメタ犯人を示す真の手がかりとなる〟が成り立たない状況として、例えば、偽手掛りである事が明らかになり、その偽手掛りは真犯人が仕込んだものでありながら、偽手掛りを真犯人以外の誰でも仕込める場合が考えられる。

2015-08-02 17:48:36
@quantumspin

この場合、正確に言うと、真の手掛かりであっても犯人の成立条件は限定されないので、メタレベルの無限階梯構造は成立する事になる。例えば、思考するだけで自在に偽手掛りを製造できる技術が確立されれば、地球上生命体に対し自然科学を前提した推理を行えているので、無限階梯の存在を証明できる。

2015-08-02 17:56:37
@quantumspin

『<偽>の犯人が無限に登場することは、あり得ない―Q.E.D(証明終わり)』は、『真犯人を示す条件が次々と見つかっていけば、どんどん容疑者の輪がせばまっていく。』事を前提するが、これは必ずしも成り立たない。偽手掛りが次々見つかっても、それが真犯人を示す条件となるとは限らないのだ。

2015-08-02 18:13:57
@quantumspin

では、『ギリシア棺の謎』に、真犯人を示す条件を限定する真の手掛かりは現れないのだろうか。そうではない。『ギリシア棺の謎』は、『「真犯人は、Aを犯人だと示す〈偽の手がかり〉をばらまくことができた人物である」という、〈真の手がかり〉が見つか』る事により、真犯人が限定される物語である。

2015-08-02 18:28:56
@quantumspin

ただし、それはあくまで限定されるだけであって厳密に特定されるのではない。良く知られた『ギリシア棺の謎』の犯人特定のロジックの弱さを持ち出すまでもなく、偽手掛かりを配置出来た人物は真犯人以外にもいくらでも考える事ができるだろう。法月はこれを〝メタレベルの無限階梯化〟と表現したのだ。

2015-08-02 18:45:36
@quantumspin

しかし、実際に『ギリシア棺の謎』に伏蔵している論理構造は、飯城の言うように、〝無限階梯〟構造ではなく〝有限階梯〟構造である。真犯人はいくらでも考える事ができると言っても、無限に考えられるわけではないのだ。ではなぜ、法月はこれを〝メタレベルの無限階梯化〟とあえて表現したのだろうか。

2015-08-02 18:54:12
@quantumspin

『ギリシア棺の謎』の背後に法月は何を見たのか。これを理解するには、法月が『初期クイーン論』に先立ち、『頼子のために』から始まる三部作を執筆している事を思い出す必要がある。『頼子のために』の中で法月は、後に〝後期クイーン的問題〟として語られる、〝操り〟の構図を提出しているからだ。

2015-08-04 19:35:26
@quantumspin

『頼子のために』において、真犯人は本来の探偵小説的構造の外側に立つ、いわば〝神〟と言える存在である。探偵が探偵小説世界の中で経験的手掛かりを収集し、手掛かりの真偽判断を行う、こうした通常の探偵行為は通じない。探偵はいくら偽手掛りが偽である証拠を探そうとも見つける事ができないのだ。

2015-08-04 20:23:13