第二次世界大戦当時、在東京ソ連大使館に勤務していたイワノフM.I.の手記より 「戦時日本 目撃者の証言」

この手記は、第二次世界大戦当時、ソ日不可侵条約の下で、ソ日関係がいかに緊張したものであったのか、また、いかに日本側がソ連外交官に対して敵対的な態度をとっていたのか示しています。
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駐日ロシア連邦大使館 @RusEmbassyJ

前回は #第二次世界大戦 について話しましたが、今日、当時のソ日関係の雰囲気をよりわかりやすく伝えるため、当時、在東京ソ連大使館に勤務していたある外交官の手記の抜粋を引用します。(イワノフM.I. 『戦時日本 目撃者の証言』モスクワ 1978年 42~43pp)

2015-02-12 13:16:16
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イワノフM.I.:(1)独ソ戦の開始とともに、ただでさえ冷ややかだった日本政権の在日ソ連人に対する態度は一気に悪化した。日本の上層部はファシストドイツに対する忠誠を示していた。往々にして官吏はソ連大使館や領事館の職員と会うことをはなから拒否していた。#第二次世界大戦 #太平洋戦争

2015-02-12 13:21:10
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イワノフM.I.:(2)日本外務省の高官はソ連機関に対して敵対的で高慢な態度をとっていた。公的刊行物はナチスドイツではなくソ連を侵略国として描き、ソビエト連邦に対して悪意ある攻撃を強めた。#第二次世界大戦 #太平洋戦争

2015-02-12 13:22:44
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イワノフM.I.:(3)警察権力は在日ソ連人に対するただでさえ厳しい居住規制をさらに厳格化し、東京と函館では彼らが直接暴力に晒されるケースが頻発した。#第二次世界大戦 #太平洋戦争

2015-02-12 13:23:45
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イワノフM.I.:(4)日本陸海軍は当初大勝し、その後大敗を喫していたが、日本軍部はそれでも計画通りに関東軍の総力をソ連国境に結集させ続け、1942年10月1日には、親日マリオネットである満州国の部隊を除いて、兵力は110万人にまで達していた。#第二次世界大戦 #太平洋戦争

2015-02-12 13:24:53
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イワノフM.I.:(5)日本政権は開戦当初から北海道と本州の間にある津軽海峡のソ連船通航を禁止しており、ソ連船が太平洋に出るためには対馬海峡を通航するしかなかった(北方の海峡はすべて凍結し、半年間は航行不能)。#第二次世界大戦 #太平洋戦争

2015-02-12 13:26:40
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イワノフM.I.:(6)ソ連船は極東海域で幾度となく日本の軍艦による海賊的な襲撃に遭い、沈没させられた。救出されて日本に辿り着いた船員は投獄され、果てしない尋問を受けなくてはならなかった。#第二次世界大戦 #太平洋戦争

2015-02-12 13:27:48
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イワノフM.I.:(7)在日大使館は1944年3月初頭、1943年2月にウラジオストクからペトロパヴロフスク・カムチャツキーに向けて航行中、日本の潜水艦によって雷撃された貨客船「コラ」号の船員4人を刑務所から釈放することに成功した。#第二次世界大戦 #太平洋戦争

2015-02-12 13:29:24
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イワノフM.I.:(8)戦時中、ソ連大使館が日本の団体や個人と接触することは大きく制限されていた。日本の上層部は、ソ連大使館と領事部の連絡はすべて日本外務省ロシア部を通じて行うよう常に要求していた。日本人との個人的な接触については、日本の公安機関が許さなかった。。#第二次世界大戦

2015-02-12 13:31:07
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イワノフM.I.:(9)全体として、戦時中のソ連機関とその職員に対する日本人官吏の態度は非友好的なもので、時としては、あからさまに愚弄するようなものであった。陰に陽に示された敵対的態度は日本政権の対応の主要素となり、私たちの生活と活動を困難なものにしていた。#第二次世界大戦

2015-02-12 13:32:02
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イワノフM.I.:(10)ソ連の職員にとって最も痛切だったのは食料問題だった。配給券に応じて配給される乏しい食料品では正常な生活や業務は不可能だった。闇市で食料品を購入することは給料が許さず、農村で食糧を買うために東京を離れる(25マイル圏から出る)ことは政権が認めなかった。

2015-02-12 13:35:38
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イワノフM.I.:(11)上質な食料供給を受けていたイタリア大使館やドイツ大使館の外交官とは違い、ソ連大使館職員には日本外務省の指示で最低ランクの肉が支給されていた。1945年8月になると、日本の官吏はソ連人への食料供給を完全に止めてしまった。#第二次世界大戦 #太平洋戦争

2015-02-12 13:37:00
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イワノフM.I.:(12)日本政権はソビエトの運転手や職員の運転免許証を認めないことで、ソビエト機関の自動車の使用を妨害した。#第二次世界大戦 #太平洋戦争

2015-02-12 13:38:06
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イワノフM.I.:(13)戦時中の在東京大使館領事部は、日本人が1937年末に既に占領し、ソビエト国民が多く居住していた上海でも領事業務を行っていた。在日大使館領事部の職員は幾度となく日本から上海へ出向かなければならなかったが戦時下ではこれが危険なことであった。。#第二次世界大戦

2015-02-12 13:39:41
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イワノフM.I.:(14)中国で日本占領下にある地域に住むソビエト国民の領事保護は極めて困難であった。中国のソ連人は日本の占領政権から厳しい弾圧を受け、東京から来た大使館領事部職員に対してはありとあらゆる業務遂行妨害が行われた。。#第二次世界大戦 #太平洋戦争

2015-02-12 13:40:39
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イワノフM.I.:(15)1942年春以降、東京は米軍の爆撃機による空襲に晒されるようになった。最初の空襲は1942年4月18日であり、その後、年を追うごとに爆撃はより激しく破壊的なものとなっていった。#第二次世界大戦 #太平洋戦争

2015-02-12 13:41:58
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イワノフM.I.:(16)日本政権は2年余りにわたって大使館敷地内の防空壕建設をサボタージュし続けた。1944年11月の米軍による東京への大規模空襲後、大使館職員は自力で防空壕を完成させなければならなかった。#第二次世界大戦 #太平洋戦争

2015-02-12 13:43:06
駐日ロシア連邦大使館 @RusEmbassyJ

イワノフM.I.が描いた #第二次世界大戦 の当時にあった日本政権の敵対的態度と戦時の煩わしさについて考える時、一つの喜ばしい思いがあります。これは、今の在京ロシア大使館の周りの雰囲気が当時とは全然違うということですね。

2015-02-12 13:56:44