南三陸町戸倉の資料の修復記

2011年9月から4年ほどかかりましたが、お預かりしていた南三陸町戸倉で津波を浴びた資料の修復が終わりました。この作業経緯と、資料の一つをお返しするまでの概要をまとめました。
震災 支援
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はじめに
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
昨日、2015年8月10日は南三陸町の戸倉のMさん宅にお邪魔して、お預かりしていた津波被災資料の一つ「折形之次第」をお返ししてきました。ちょうどMさんが高台に新居を建てられ、完成したとのお知らせを頂いたので、ちょうど良くおめでたい内容の資料をお返しできると思い、行ってきました。
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
「折形之次第」にはこんな図が載せられている。 pic.twitter.com/bP8ZLdOtc7
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戸倉の資料をお預かりするするまで
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
「津波を被った古い資料があるのだが、実家でそれを捨てようとしているので一度見て欲しい」という相談を、関東にいるMさんから受けたのが2011年の7月頃。南三陸町の支援で情報交換をツイッターでするうちに知り合った方で、それまでは一面識も無く、ここで相談を受けたのが抑もの発端。
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
それで9月18日に戸倉へ車で行き、Mさんのご両親とお会いして事情をお聞きした。戸倉の高台、海抜10メートル以上はあるだろう敷地にまで津波は押し寄せ、母屋や土蔵が浸水。その後片付け中にお邪魔した。資料は写真のような状態だった。 pic.twitter.com/aV6jvhO5O2
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佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
その場で津波を浴びた資料を拝見し、とりあえず車に積み込めるものは積み込んで、できる限りの洗浄と修復をしてお返しすることを約束した。お別れ際に、せっかくなので解体予定の納屋なども拝見した。明治時代に、元々は母屋として作られた2階建て。 pic.twitter.com/iwnzrdvNcc
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佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
納屋の2階を調べたら、柱に文字が書かれているのを見つけた。Mさんご家族もそれまで知らなかったとのこと。そこには「明治二十九年旧五月五日大海嘯」の文字。どうやら明治の三陸津波の時の筆らしい。伝承だとこの納屋に、避難者を誘導したとのこと。 pic.twitter.com/hbUpCEcSIH
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佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
今、この納屋は解体されてしまったが、この柱だけは絶対に貴重なのでどうにかしてでも残してください、と頼んでMさんのお宅を後にした。昨日うかがったところでは、この柱はここだけ切り取って保存されているとのことなので一安心した。
この柱の文字を発見した翌日(2011年9月19日)、自分は次のようなツイートをしていた。
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
昨日は、南三陸町のUさんのご紹介で、Mさんのお宅の文化財レスキュー作業をさせていただいた。主として明治から戦前の書籍、文書をお預かりした。津波に洗われたまま湿った資料の処置から必要。地域の教育や習慣を知るうえで貴重な資料。和算の綴じ込みも二点ほど確認。(続)
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
(続)解体予定の納屋も視認調査。明治の建築。二階に上がり、柱の墨書を見つけて仰天した。「明治廿九年旧五月五日大海嘯」とある!これは明治の津波の貴重な証言…この一行と出会うための運命だったのかと思い、涙が出た。Mさんも初めて気付いたとのことで、この柱の保存をお願いした。
資料を修復するまでの作業
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
さて、お預かりした資料を洗浄・修復しなければならなかったが、すぐには作業に着手できなかったし、通常の破損資料の修復と違って、津波を浴びてしまっていたので抑ものノウハウが無い。まずは、これ以上の腐食・カビを防ぐために陰干しをし始め、その間に段取りを組むことにした。
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
文化財レスキュー活動については、精力的に活動されていたNPO法人宮城歴史資料保全ネットワークのサイトを参考にさせてもらった。代表の平川新先生とは以前から面識があったが、まさかこちらの方面でもお世話になるとは思ってもみなかった。 miyagi-shiryounet.org
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
2011年当時はあちこちの博物館や文化財レスキューグループがそれぞれの仕事で手一杯だったので、こちらでお預かりした資料は自前で修復することにした。それで、以前から修復関係ではお世話になっていた京都の大入さんにお願いすることにした。 ooiri-co.com/index.php
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
おおよその陰干しが終わって、資料の一点一点について洗浄・修復の方針をどうするかを決めたときの写真。(2013年6月に撮影) pic.twitter.com/B52HjS7qSc
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佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
その資料の束から、これまた津波関係資料としても貴重な写真(左側)が出てきた。これは昭和の三陸津波の後に、おそらく当時の志津川町内に建立された津波記念碑落成時の記念写真。写っているのは当時のMさん宅のご当主かと。 pic.twitter.com/1dQMCub1sD
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佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
お預かりした資料を京都の大入さんの元へ運び込んだのは、2013年8月23日~24日の事だった。車で搬入 pic.twitter.com/MhKHw7SSu8
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佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
大入さんのところに運び込んだ後は何度か京都に足を運び、現場からのアドバイスを受けて修復法の詳細を更に詰めていった。大体、完了が見込めた頃に中間報告としてまとめたのがこちら → 「津波被災史料の修復について(中間報告) 」 togetter.com/li/801609
「折形之次第」について
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
今回、修復を終えてお返しした「折形之次第」は、お預かりした時はこのような状態だった。 pic.twitter.com/jSDKMmRybP
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佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
大入さんのところで修復をしてもらい、巻物に新しく仕立て直してこのようになった。これを受け取りに京都まで行ったのが、2015年7月30日のこと。 pic.twitter.com/oKAydCInjR
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佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
さて、「折形之次第」について若干の説明を。この史料は文政2年(1818)に丸岡養順という人物が戸倉のMさん宅のご先祖の1人であろうと思われる「伊之助」に宛てて発給された「折形」の免許状。「折形」とは室町時代以来続いている紙を折って包み物をしたりする時の作法やその紙の折り方のこと。
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
「折形」が現代にも残っている例と言えば、ご祝儀袋の熨し。あの細長い四角形に折ってある紙片が典型例。Mさんのお宅に伝わった免許状には、おそらく秘伝であろう「蝶之折形」を伝授する旨が述べられている。(折り方の詳細の記述はない。)丸岡なる人がどのような人かもまだ調べが付いていない。
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