日本の「道」とスポーツの違い

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砂鉄 @satetu4401

厳密に言えば、日本にはスポーツが存在しない。というかスポーツの概念の輸入に失敗して、◯◯道の連中に概念を歪められたんだよ。スポーツというのは本来「ルールを覚えて技術と戦略によって相手を打ち負かす」ゲームだから。強いことと精神的な事は切り離されて考えられるわけ

2015-08-13 08:42:09
砂鉄 @satetu4401

だから試合に負けた時「この戦略通りに動いていなかった」という話が出て選手が「体力的に無理です現実的ではありません」となったら「よしじゃあトレーニング方法と食事をスタミナ重視に変えよう」あるいは「戦略を見直そう」となるものだけがスポーツ。

2015-08-13 08:43:31
砂鉄 @satetu4401

だから3イニング以上投げさせる高校野球はスポーツではないし、礼の心が存在する剣道もスポーツではない。ないのだ。スポーツの本質は技と力と頭脳のぶつかり合いであって「心技体」ではない「知技体」なのだ。心はあくまでメンタルコントロールという形で技の一部でしかない。

2015-08-13 08:46:58
砂鉄 @satetu4401

日本がスポーツに勝てないのは、己自身を鍛える「道」他者に打ち勝つ「スポーツ」を混同していて「そもそもスポーツをしていない」という本質的な問題があるからだ。

2015-08-13 08:48:45
砂鉄 @satetu4401

そして「剣道」などは長い歴史の中で「道の追求」を目的として磨かれてきたし、ルール自体がそうなっているので、「心」を重視しても何の問題もないが「サッカー」などは心を鍛えて勝てるタイプのルールではないため、日本人はずっと「知技体」のうち「技体」だけで戦っている。

2015-08-13 08:50:33
砂鉄 @satetu4401

女子サッカーなど「知」が未熟なスポーツにおいては日本が強く、一方で他国が戦略を徹底分析して「知」を成熟させると、日本が急に勝てなくなってくるのは基本的にこれが原因である。スポーツに「心」を見出しているが故に「敵の心を乱す戦略」に「知」ではなく「心」で挑んで負けるのだ

2015-08-13 08:54:05
砂鉄 @satetu4401

あの筋肉バカの代表みたいなアメリカンフットボールの選手も、実は電話帳一冊分の攻撃戦略を全部覚えているのだ。専属トレーナーが選手に付きっきりで「知」を徹底的に叩き込む。彼らにとってスポーツとは体を動かす事ではなく「人間の持てる全ての力を使って戦う」いわば人間性のぶつかり合いなのだ

2015-08-13 08:58:20
砂鉄 @satetu4401

日本には野球やサッカーが来るまで多対多のスポーツというのは存在しなかった。子供の鬼ごっこや隠れんぼを見れば分かるように、日本古来の遊びや試合は「1vs1」か「1vs全員」の形式が殆どで「自分がミスをしなければ勝てる」というものが多かった

2015-08-13 09:12:02
砂鉄 @satetu4401

一方でスポーツというのは「多対多」である。自分が上手くプレイするだけでは勝てない。お互いの動きを見ながら協力することが重要だ。そのため「知覚」「知識」「知略」など知が非常に重要になってくる。逆に仲間が居るので「心」への負担はぐっと減る。心の重要性が低くなるのだ。

2015-08-13 09:15:43
砂鉄 @satetu4401

俺は自分の所属する組織の名誉を掛けて「一対一」と「多対多」のゲームを経験した事があるが、どれだけ負けられない場所でも、仲間が居るというのは本当に心強く心的負担は軽くなるのだ。一方で仲間と事前に戦略を詰めておかないと、敵が予想外の動きをしたとき一瞬動きが止まり負けてしまう

2015-08-13 09:19:58
砂鉄 @satetu4401

つまり日本人が努力家であるにも関わらず多対多のスポーツで勝てないのは「心技体」を全ての競技に適用させようとしているからだ。スポーツ教みたいになっている。当然だが「サッカーで強い考え方」と「フィギュアスケートで強い考え方」は全く違うもので、両者に同じ精神性を要求するのは間違っている

2015-08-13 09:25:46
砂鉄 @satetu4401

ちなみに海外では体を動かすことがスポーツではなく「全身全霊で相手と戦うのがスポーツ」という概念であるため、向こうではゲームもスポーツ扱いである。e-sportsと呼ばれていてスタジアムが埋まるほどの人気がある。 cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolif…

2015-08-13 09:40:00
砂鉄 @satetu4401

もちろん日本にも「チーム北島康介」みたいな、徹底的に相手を分析研究して科学的に戦う集団も存在するので、日本人が絶対にできないという訳ではない。というか日本人の「知技体」タイプの人間は体育会系のスポーツを嫌い商社とかに行くというのが正しい認識かも知れない。

2015-08-13 10:36:49
砂鉄 @satetu4401

自己と向かい合い苦悩する中で「他者もまた様々な苦悩を抱えているのだろう」という考えに至り世界と一体化するのが「道」で、他者と向かい合い苦悩するなかで「自分もまた様々な問題を抱えているのだ」という考えに至り世界と一体化するのが「スポーツ」。最終到達点が似てる故に混同されやすい。

2015-08-13 18:02:49
砂鉄 @satetu4401

「道」の世界において師匠というのは「道を極めた先達」で対戦相手が「互いを通じて道を極めるための存在」である。 「スポーツ」の世界において監督というのは「互いを通じて道を極めるための存在」であるため、選手と監督は対等であることが理想とされる。

2015-08-13 19:15:29
砂鉄 @satetu4401

では「スポーツ」における師匠とは何なのか? それは「勝利」という概念そのものである。優勝したチームが最も師匠という立場に近づくが、優勝者は師匠ではない。彼らの師匠は人間個人ではなく勝利という「神」なのだ。つまり彼らはここでも一神教なのである。

2015-08-13 19:19:15
砂鉄 @satetu4401

つまり、人間が道を極め師匠(神々)へと昇華するという概念は、あくまで日本の宗教観が基礎にある考え方なのだ。一神教の考え方が根底にあるスポーツの場合、選手も監督も神の元に平等であり「人間はどれだけ研鑽しようと神にはなれぬ不完全な存在である」という前提があるのだ。

2015-08-13 19:25:43
砂鉄 @satetu4401

つまり、欧米と日本のスポーツ観の違いというのは、そのまま宗教観の違いであり、欧米が一神教の中で生み出したスポーツを多神教の考えでやるのは非常に不味い。なおオリンピック時代からある古代スポーツは、ギリシア神話の神々への捧げ物であり、つまり多神教ベースなので日本人と親和性高い

2015-08-13 19:42:08
砂鉄 @satetu4401

まあ強さに関しては、遺伝的な有利不利や、協会が提供する環境の良し悪しなど様々な要員が絡むため、親和性の高さがそのまま強さに繋がるとは限らないんだけどね。ただ体操やフィギュアやマラソンが人気高かったり、室伏選手が神格化されるのは、日本の宗教観の影響が強い

2015-08-13 19:47:23