- rili_voice
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スマボしてる時、たまにモールモッドが画面正面に飛んできて『ヒッ!』ってなる。ほら、腹側があの黒い悪魔に似ててだな、、、。 #ワートリ #スマボ
2015-08-12 00:00:25そうなんですワートリキャラは親がその子に名前つけるときの気持ちで葦原先生が命名してるんでほんと一部のキャラは涙出そうなくらいみんないい名前なんです
2015-08-12 00:01:01この2日間。すごーく単純にざっくり残酷に言えば「修がベイルアウトした」それだけなのに、その1つを巡ってありとあらゆる考察、感想、妄想、嘆きが飛び交った。その暴嵐を起こすワートリという世界、キャラと魅力、それらを作りあげた葦原先生…あなたが神か。←結論 #ワートリ
2015-08-12 00:09:58少し落ち着いてみたら、修がベイルアウトしたくらいでこんなに絶望するなんて私も弱くなったものよと思った。修が今まで歩いてきた軌跡をたどると、彼の選択が「希望の光が見えたから」為された事なんかなかったのに。普通は絶望しか視えなければ動けないんだよ人って。でも修は動くじゃん #ワートリ
2015-08-12 00:59:49ボーダーに落ちかけた時も、バムスターから3バカを助ける時も、学校がモールモッドに襲われた時も、大規模侵攻の時も、記者会見の時も、修は「いつだってその事象に対抗するには絶望的な力しかない」のに対峙してきた。絶望しかなくても「そうすべき」だからと意志の力だけで足を動かした #ワートリ
2015-08-12 01:04:34己に恥じぬ己であるために、絶望しかない恐怖や諦めを「意志で律して」その先に進む事を選択してきた。そしてその意志は実際に「未来を拓いて」きたじゃないか。誰が潜在力も戦闘力も低い修が前回の規模8倍の攻の早期敵国撤退を決定づけた事象の大きな役割を担うと予測しただろうか #ワートリ
2015-08-12 01:11:51そういう事を考えたら「才能の上に努力してる上の奴らに勝つなんて無理じゃね」って今週のジャンプで見せつけられた絶望にだって修が歩みを止めてしまう事は三雲修が三雲修である限りありえないし、そうであればその意志と足掻きは必ず何らかの因子を生むはず。賭けたっていい #ワートリ
2015-08-12 01:15:09繰り返すが「絶望しかない」時にでも「歩きだせる意志の力を持っている」事自体がとても稀有な事だし、その力が修に在る事は修の今までが十分に証明してる。そしてそれが「己が恥じない己である」事という「己の誇りのみに立脚した」誇り高い基準にあるから外部のどんな条件にも揺らがない #ワートリ
2015-08-12 01:20:09つまり絶望しかない状況の中で、それでも歩く事で道を拓いたというか「作って」しまったのが三雲修という人なので、この先もきっとそうなのだろうと思う。そしてもうひとつ「本当に修には希望の道筋はないのか」って事を考えるとメタ的な事をおいておいても、そうとは言い切れんと言いたい #ワートリ
2015-08-12 02:15:01ワートリほんとやばいな…キャラ萌えとかもあるけど、なんてったって、話の作り込みが毎回すごいと思う…だから考察すごい楽しい……つまり葦原先生、ワートリかいてくれてありがとうございます🙏🙏って気持ちでいっぱい
2015-08-12 02:19:41まあ両親の話とかその辺膨らまさなかったなーといった感じはあった。日常回の要素ほぼ全部最後に持ってくる構成力と、リリエンタールのキャラがほんといいキャラで話引っ張ってて良かった。ツボではないけど良作
2015-08-12 02:29:27「才能ある人が努力と経験を重ねているんだから才能がない修には希望の芽はない」そんな主張はよく見かけるけど、それは才能というものを一元的にとらえ過ぎなのだ。才能というよりは「強み」と言い換えてもいい。ワートリでは散々「色んな強さがある」と描かれてきた事からもわかるけど #ワートリ
2015-08-12 03:08:27一口に「戦場で有益な駒になる」方向だって無限に、とまでは言わなくても私達には想像し得ない程たくさんの方向があるのだ。才能というのはこのなにがしかの「強みの種」の事を指すと思うし、確かにティピカルな「強み」=トリオン力は分かりやすい「種」だけど、そればかりじゃない #ワートリ
2015-08-12 03:13:00そしてこの「強み」が発現する条件も多数ある。その中に「負荷に呼応した進化によって発現する」というものだってあると思う。以前からツイっているけど「大きな負荷は進化を促す」し、修はその「持たざる」故に、彼自身が選択したことによって高い負荷に晒され続ける場所に在り続けている #ワートリ
2015-08-12 03:19:29これは修に「特有の」条件だ。修程「持たざる」者はボーダーにはいないからだ。なぜなら修程「持たざる」者は戦いの場に在り続ける事を選択しないから。だからこの条件下で修に「何らかの進化の芽が芽吹く」事はあり得る。そしてそれは奇跡とは呼ばない。だってそれが進化の流れだから #ワートリ
2015-08-12 03:23:05112話で、修行を経てなお、爪痕を残せず倒された修。 立ちはだかる壁の高さを痛感させられ、読者にすら戦闘員やめたら?と言われる彼だけど、そもそもこの絶望こそが修の立ち向かうべきもの。この絶望にどう立ち向かうのかを描くためのワールドトリガーなのではないか。 #ワートリ
2015-08-12 03:23:51生物が高い負荷を受け、適応しようとした結果が進化だし、そうやって生物は多様に進化してきたから。逆に言えば修は「進化の芽を手に入れる」為にあるいは「それをさらに進化させる」為に今高い負荷を受け続けねばなららん。その苦みも絶望も心折れぬ限りすべて進化の為の負荷となり得る #ワートリ
2015-08-12 03:44:21んで最初にツイッタ通り、修は「三雲修」である限り歩みを止めたりしない。止める理由がないから。彼にとって「為すべき事から逃げない」事が「生きる」事だから。だから私は修の「進化の方向」は未だ曖昧(ぼんやりとこれだなとは思ってるけど、明示はない)だけど、「進化」はすると思う #ワートリ
2015-08-12 03:48:08それは「神が意志に呼応してギフトを与える」類のものではない。厳密に世界のルールを守って、手順を踏んでやっと「負荷に適応した進化の芽が発現し、負荷によって磨かれる」という「因子」が発生する類のものだ。だから修に与えられる試練、痛みも辛さも絶望も「必要な負荷」なんだろう #ワートリ
2015-08-12 03:53:20