- Chitose_carp
- 2874
- 0
- 0
- 0
今回は爆発するもの……そう、「ダイナマイト」という名前が付けられたある打線をご紹介したいと思います。 その打線とは……
2015-08-17 22:20:47栄光の打線史 第七回『ニューダイナマイト打線』 pic.twitter.com/Dl3kJ8rCPy
2015-08-17 22:21:42阪神タイガース。 球団創設当初から関西圏では圧倒的な人気を誇り、強豪球団として今日までその名を轟かせています。
2015-08-17 22:22:17古くから広い甲子園球場を本拠地としながらも、「闘將」景浦將選手、「初代ミスタータイガース」藤村富美男選手など、 リーグを代表する4番打者を中心とした強力打線を組んでいました。
2015-08-17 22:22:53その打線は後に「ダイナマイト打線」と呼ばれ、1947年には戦後初の優勝に大きく貢献することとなりました。 ……が、ここで「ダイナマイト打線」に痛恨とも呼べる出来事が起きてしまいます。 そう、プロ野球の2リーグ制の導入です。
2015-08-17 22:23:36詳細は長くなりますのでここでは割愛しますが、タイガースは新規参入球団の毎日オリオンズにエースの若林投手ら主力6人を引き抜かれ、 さらにはタイガース入団が内定していた好投手・荒巻淳投手までオリオンズに奪われてしまうという憂き目にあってしまいました。
2015-08-17 22:24:46その後、戦力が低下したタイガースは10年近く優勝を逃すものの、1962年には2リーグ分裂後初の優勝。 1964年には大洋ホエールズがあと1勝すれば優勝という絶体絶命の状況から9連勝し逆転優勝を飾るなど、 そのチーム力は段々と戻りつつありました。
2015-08-17 22:25:341962年は東映フライヤーズを相手に2連勝した後1分を挟んで4連敗、 関西ダービーとなった1964年の南海ホークスとの日本シリーズでは 3勝2敗と王手をかけながらもホークス先発スタンカ投手の前に2連敗を喫するなど、 中々日本一に手が届きませんでした。
2015-08-17 22:27:34そして最後の優勝から約20年後の1985年。 ライバル球団であるジャイアンツが優勝回数を重ねていく中、 タイガースは10年間でBクラス6回と思うような成績が残せていませんでした。
2015-08-17 22:28:28もちろんシーズン開幕前の下馬評は高くなく、前年日本一の広島東洋カープ、 球界の盟主こと読売ジャイアンツの優勝が有力視されていました。
2015-08-17 22:29:08そして迎えた1985年のシーズン開幕。 その打線が4月からいきなり火を噴きます。 開幕後10試合でなんと二けた得点を5試合も記録。 チームは4月を9勝3敗とスタートダッシュに成功します。
2015-08-17 22:30:39その打線のキーマンとなっていたのは、史上最強の1番打者と呼ばれた核弾頭。 そして、「神様」とまで言われた助っ人でした。
2015-08-17 22:31:381人目は後にバファローズで打撃コーチを務め、タイガースでは監督を務めた真弓明信選手です。 pic.twitter.com/rqsJP8Qowm
2015-08-17 22:33:311972年のドラフト会議で西鉄ライオンズから3位指名を受けて入団した真弓選手。 5年目からレギュラーに定着し、1978年には初めて規定打席に到達し打率.280、8本38打点の成績を残します。
2015-08-17 22:34:25そんな真弓選手に転機が訪れたのは1979年のオフの事。 ライオンズ球団が売却され、真弓選手も本拠地の移転に向けて荷物をまとめていた時でした。
2015-08-17 22:35:08「世紀のトレード」と呼ばれるタイガースとライオンズの間での超大型トレードが成立。 タイガースから田淵選手、古澤投手が移籍し、代わりにライオンズから真弓選手ら4選手が移籍することとなったのです。
2015-08-17 22:36:33移籍したタイガースで背番号7を背負った真弓選手は、新天地でその才能を開花させることとなります。 1979年、自身初の二けたHRを打つと、そこからなんと13年連続で二桁HRを達成。 秘められていた天性の長打力が目覚めたのです。
2015-08-17 22:37:37さらに、1983年には生涯唯一のタイトルとなる首位打者(.353)に輝き、 走る方でも二桁盗塁を記録。名実ともに史上最強の1番打者となったのです。
2015-08-17 22:38:25また、真弓選手はその守備でも真価を発揮しました。 ライオンズ~タイガース時代前期は遊撃手として活躍した真弓選手でしたが、 1983年に当時の二塁レギュラーであった岡田選手のケガで二塁手へ転向します。
2015-08-17 22:39:33そして2年後の1985年には岡田選手の二塁手への復帰に伴い今度は外野(ライト)へと転向。 ここでも変わらぬ打撃成績を残します。
2015-08-17 22:40:09また、それが評価された証として、真弓選手は3度のベストナインを全て違う守備位置(ショート、セカンド、ライト)で受賞しています。 これは今現在でも真弓選手のみが持っている記録です。
2015-08-17 22:41:42