日本特撮に関するあれやこれや
『サンダーバード ARE GO』第1、2話観了。世界観、人物の人となりおよび関係と背景、メカの役割などを提示しなければならないパイロット版の脚本としては、満点に近い出来だったと思う。ミンミンがいないな~と思ったが、やはりケーヨが彼女だったのかと納得。S号の活躍が待ち遠しい。
2015-08-17 23:02:16日本特撮が生き残る道とは?
「ミニチュアらしさ」が否定的に捉えられない方向性を模索するべきでは?という提言。
日本のミニチュア特撮が生き延びるには、架空現実を追い求めてきた米国特撮とは違う「ミニチュアによる架空世界であることを逆に売りにする企画が必要」というのがかねてからの自論なのだが、CGとミニチュアを併用して世界観を作り上げた『サンダーバード ARE GO』はひとつの答えだと思った。
2015-08-17 23:14:58物心つく前から特撮映画やTV番組に囲まれて育った私は、ミニチュア特撮が大好きだ。幼いとき、近所の特撮ステージに組まれたミニチュアセットに入り込んだときの高揚感はいまだに忘れ難い。学生のときは東宝の特美でアルバイトもした。が、日本の伝統芸であるミニチュア特撮、特にウルトラマンや
2015-08-17 23:20:16ゴジラなどは予算と時間の問題で、いつまで経っても「ミニチュアセットの中で撮影している」というレベルから脱することが難しい…というか事実上出来ず、それが質の高い米国製特撮を見慣れた一般視聴者を掴めずジャンル的にも衰退の一途を辿る、大きな要因であると考えざるを得なかった。
2015-08-17 23:47:30ウルトラやゴジラのミニチュア特撮はどこまでいってもミニチュアであり、撮影された映像に現実感はやはり乏しい。ミニチュアをミニチュアとして喜ぶのはマニア(私も含む)であり、一般観客は「なんだ、玩具じゃん」としてしか観てくれない。これ本当。家族や小学校に進学して以降の甥っ子、
2015-08-17 23:52:51姪っ子たちの反応がまさにそれだった。ミニチュア丸出しの特撮では本編とのギャップを埋める事が出来ないのである。しかしこれはミニチュア特撮で仮想現実を作り出そうとするから生じるのであって、初めから「これはミニチュアです」と作品側が言い切った内容と作りならば、ギャップは最小限に
2015-08-18 00:01:10抑えられるのではないか。そうすれば滅亡間近のミニチュア特撮にも活路が見出させるのではないだろうか? そして今回の新作サンダーバードである。本作最大のマニアックな見所は、CGと完全に融合したミニチュア特撮だと、ドラマパートとガジェットパートのギャップの無さにあると思う。
2015-08-18 00:05:32この手法を用いた企画こそ、ミニチュア特撮を愛しその技術を持つ業界人が指向すべき物だ。いっそドラマパート部分というか、人物だけを2Dアニメにしてはどうだろう。背景はすべてミニチュアで、そこにアニメで描かれた人物をはめ込んでいくのだ。かつの『ボーンフリー』などで試された手法の
2015-08-18 00:09:41進化形だと考えて貰えば良い。モデリングされたCGキャラより、日本人には馴染みも深いから、より親しみ易いと思うのだ。実際、2Dアニメ作品であっても、いまやメカのほとんどはCGモデルという時代である。企画としてあり得なくはないと思うのだが如何だろうか。
2015-08-18 00:12:36日本特撮の最大の弱点とは?
それは照明。
白黒→カラーへの移行期に対応できなかったツケが最後までついて回った…。
日本ミニチュア特撮最大の弱点。それは<照明>である。映画撮影において照明は極めて重要なポジションであり、それはカラーになっても変わらなかった。というか、より重要になった。そして照明は金食い虫である。とにかく金が掛かる。ゆえに低予算映画には、数多くの照明器具や電源が必要になる
2015-08-18 01:19:36ナイトシーンは鬼門に近く、『ターミネーター』などはそれが大きな原因となって予算を圧迫し、撮影の進行に伴いスタッフどころかキャストまで手弁当になってしまったという逸話を残している。本編でこれでこれなのだから、より光源が必要になる特撮ではどれだけ大事なのか理解出来よう。
2015-08-18 01:22:40ミニチュア特撮における照明スキルの貧弱さは、映像作家でありウルトラマンにおいて本編だけでなく特撮も監督した先輩が言うには、カラー化の波が押し寄せた際、予算の問題から十分な研究が行われず、モノクロ時代の手法そのままで撮影せざるを得なかったことに起因するのだという。
2015-08-18 01:25:25実際色味に拘りが強かった黒澤明は、当時の照明スキルでは思い描いた通りの色が出せないと結論し、70年公開の『どですかでん』までモノクロ撮影を貫き通した。確か東宝初のカラー作品が55年だったはずだから、15年もモノクロ作品を撮り続けていたのである。
2015-08-18 01:29:41東宝特撮映画・円谷プロ無き後の日本特撮がなんとか生き残れたのは「特撮研究所」の存在であった。
1950年代半ばからおよそ十数年間、日本のミニチュア特撮は世界市場を狙える品質であり、外貨を稼ぐ貴重なコンテンツだった。事実、同時代のアメリカ特撮と比べても遜色はない。というか、ある部分では優っていた。これが完全に逆転しはじめるのは、60年代後半辺りからだと個人的には考えている。
2015-08-18 01:35:47日本特撮とアメリカ特撮の質の逆転は、邦画の斜陽が本格化していく曲線と軌を一にしている。これは偶然ではないだろう。日本は映画界そのものが崩壊の瀬戸際まで追い詰められた結果、撮影所システムと共に各社にあった特撮技術を保有するセクションも解散を余儀なくされたのだ。
2015-08-18 01:44:52老舗にして日本でトップクラスの技術を誇った、東宝砧撮影所の特撮課も、円谷英二の死と共に解体されてしまった。残されたスタッフはTV特撮を受注するなどして生き残りを図ったが、滅亡を先延ばしするだけの話で、新たな技術を開発することは出来ない。そして新たな技術を生み出せない<特撮>に
2015-08-18 01:50:50資本を投下する者などいるわけがない。70年代から90年代半ばまで、日本特撮は「継承した技術を途絶えさせない」ことに汲々とせざるを得ない状況にあった。これでは年々莫大な予算を投下して新技術を開発していくアメリカ特撮に、対抗どころか追いつくことさえ出来るわけがない。
2015-08-18 01:53:4260年代、東映の特撮は東宝・円谷系に比して格落ちする物だった。が、東宝の特技課が解体され円谷も経営難から技術系スタッフを大量に解雇(これが日本現代企画の成立に繋がった)したことで、蓄積されてきたノウハウの散逸が始まってしまった。(続 twitter.com/nadhirin/statu…
2015-08-18 02:31:01特撮博物館で認識を新たにした一番の出来事は「あれだけバカにしていた特撮研究所がなければ日本の特撮はとっくに死滅していた」という現実を知ったことかなぁ…。東宝特撮&円谷プロ至上主義だった俺は東映系の特撮をバカにしきってたのね、「あんな子供だまし(プツ」みたいに。蒙を啓かれましたね
2015-08-18 01:52:18対して東映特撮は、59年から特技課に属し数多くの作品を手がけ、退社後は古巣の東映に加えてピープロや円谷プロで特撮を担当した矢島信男の特撮研究所の指導のもと、飛躍的な進化を遂げ始めていた。それは早くも『ゴレンジャー』におけるメカニクス発進シーンなどで確認できる。
2015-08-18 02:44:41技術にはノウハウの蓄積が欠かせない。そのためには弛まざる仕事と器…組織が必要とされる。これはどんな技術にも当て嵌まる。つまり特撮も同じだということだ。円谷英二の弟子であり、松竹、東映など主立った会社での経験を持つ矢島信男が、特撮研究所を設立したことは慧眼だった。
2015-08-18 03:03:01東宝は技術の維持に汲々とし、円谷は会社を維持するために専属スタッフ制ではなく、作品毎に契約・召集するスケルトンアーミータイプに進んだ。結果、作品で得られたノウハウは番組が終了すると、スタッフ共々散逸してしまうことになった。しかし東映系はスーパー戦隊のシリーズ化に成功したことで
2015-08-18 03:06:32毎年絶えずに仕事が生じることになり、特撮を担当した特撮研究所は順調にノウハウを蓄積していったのである。円谷は80年の『ウルトラマン80』が終了すると93年の『グリッドマン』まで連続TV特撮シリーズの製作を行っていない。技術継承にとり13年の空白はほぼ致命傷と言っても過言ではない。
2015-08-18 03:09:49