2011年1月5日

中世日本における盾と馬の運用~芝村裕吏(@siva_yuri)さんのツイートまとめ

「ちなみに突撃が破砕される理由は矢竹にあります。あれが武家の庭に大量に育成されるようになると、矢の保有量が飛躍的にあがり、西洋とはだいぶ違う戦場の様相を生むことになりました。」
14
芝村裕吏 @siva_yuri

日本での盾の運用ですか。 確かに陣地戦装備ばかりですね。

2011-01-05 09:08:29
芝村裕吏 @siva_yuri

個人装備の盾は戦国時代どころか平安時代でもすくなくなってますね。 理由は射撃戦への移行です。

2011-01-05 09:08:55
芝村裕吏 @siva_yuri

日本は矢竹の成育に向いていたのか、かなり早い段階で合戦が射撃戦中心に移ったのです。

2011-01-05 09:09:26
芝村裕吏 @siva_yuri

個人装備の盾などでは防ぐのが困難な射撃密度が実現したんですね。 おかげで西洋より一足早く盾はすたれています。

2011-01-05 09:09:46
芝村裕吏 @siva_yuri

まずおそろしい矢ぶすまがあり、この段階で歩兵の突撃は破砕されていました。 矢があるかぎり突撃は無理でした。はい。

2011-01-05 09:10:10
芝村裕吏 @siva_yuri

日本の戦国時代の馬ですか。 戦国時代で馬は後の騎兵のような集団運用はあまりされず、馬上突撃もありませんでした。これは戦場があまり広くなかったこともありますが、突撃が簡単に破砕されうることも大きな理由でした。

2011-01-05 18:28:11
芝村裕吏 @siva_yuri

よく、長篠の合戦で云々言いますが、あれは一次資料をあたる限りにおいて、騎馬突撃も長銃の三段射撃も非常に怪しいという、感じです。 数年しないうちに、このあたりの訂正が色々な本で出始めると思います。

2011-01-05 18:28:45
芝村裕吏 @siva_yuri

ちなみに突撃が破砕される理由は矢竹にあります。あれが武家の庭に大量に育成されるようになると、矢の保有量が飛躍的にあがり、西洋とはだいぶ違う戦場の様相を生むことになりました。 矢柄、西洋だと木を削るんですね。

2011-01-05 18:26:59
芝村裕吏 @siva_yuri

戦争の時代というのは、人にも優しくありませんが、環境にもやさしくありません。 日本における戦国時代の戦争は人やその生産能力への損害は海外と比較して、冗談のように少ないレベルだったのですが、自然にはかなりの打撃がありました。

2011-01-05 18:36:53
芝村裕吏 @siva_yuri

戦国時代が終ってすぐでは山野は多くの地で激減、原生林は多くの土地で見ることが出来なくなっていました。幕府が木一本、首一本という極端な自然保護に出、各地では松の植林や里山を中心にした人工の山林再生も行われました。

2011-01-05 18:43:15
芝村裕吏 @siva_yuri

この自然破壊は戦国時代がトドメだったんですが、長期的な自然破壊はすでに起きていました。一例ではヒノキが有名ですね。 東大寺はヒノキで建立され、後、炎上する度に立て直しているのですが、この木材がどんどん遠くから求めるようになっています。

2011-01-05 18:49:03
芝村裕吏 @siva_yuri

もう、南北朝時代では近畿でヒノキをとるのをあきらめてたりしているわけです。江戸時代ではこれがもうきわまっていて、ヒノキでの建立をあきらめ、色々な部材の組み合わせで作っています。

2011-01-05 18:49:54
芝村裕吏 @siva_yuri

ついでにさらに申しますと、東大寺の江戸時代初期の再建立は本当に難渋をきわめまして、日本建築の基礎になる=城でも同じですが二本の主柱は集成材料も使えず、日本中探しています。

2011-01-05 18:54:02
芝村裕吏 @siva_yuri

民衆レベルではともかく、広い視野に立つ政治家・・・武将なら、城の天守閣建築の困難さがどんどんあがっていたことを知るはずですから、自然破壊に関しては強く認識していたと思われます。そういうのもあって、今の日本の自然を尊ぶ風潮があるんですね。

2011-01-05 18:57:32
芝村裕吏 @siva_yuri

さて、馬にもどしますと、戦馬そのものは貴重品であり、戦場についたら降りて戦って居た様子も資料にはたくさんのこされています。このこと一つみても、戦国時代は野蛮と言うよりは計算づくのところが多かったように思えます。馬鎧があまり発達しないわけですね。

2011-01-05 19:02:03
芝村裕吏 @siva_yuri

輸送車に重装甲を施すわけはないわけです。

2011-01-05 18:59:19
芝村裕吏 @siva_yuri

武田の騎馬軍団は、どちらか言えば、戦術的な騎馬突撃というより、信玄の戦略的な場所取りのための高速部隊として使われていた可能性が高いわけです。内線作戦というやつですね。少数で多くの価値をえられる使い方ってわけ。

2011-01-05 19:01:54
芝村裕吏 @siva_yuri

信玄は狼煙による連絡網整備や忍者の多用でも知られますから、これに高速で派遣、運用できる部隊を組み合わせることで、単純な大兵力での決戦ではない、クールな兵力運用があったと見るのが正しい見方だと思います。

2011-01-05 19:03:29
芝村裕吏 @siva_yuri

この、高速部隊を狭い地域に押し込めて決戦に用いたところに、軍事的な悲しみがあったのではないかと、私は思います。 以上、説明終わり。

2011-01-05 19:04:33

コメント

コメントがまだありません。感想を最初に伝えてみませんか?