「信じる」の意味、カミと人、儒学の影響と矛盾…神道に関するさまざまな論議~織部ゆたか氏のツイートを中心に
- gryphonjapan
- 12398
- 4
- 6
- 2
「信じる」とはどういうことか
あるいは禅的に突き詰めた不信について
これはどこでもそうじゃないの? カトリックの神父さんが「多神教は素晴らしい」とかいってたら、お前ほんとに神信じてるの? っていわれるでしょ。「道」という言葉を使うからわかんなくなるけど、何かを信じることに相対性というもんはないよ。 twitter.com/nobi/status/63…
2015-08-18 20:46:00数週間前、某所で「道」を極めると結局「自分の道だけが正しくて他は違う」という排他主義に走りがちという議論してたけど日本はアナログの時代から「違う人との共通点見つけて寛容」より「違いを見つけて排除」という文化を基盤にする人が多数派なのかもな。で、デジタルでそれが拡張されちゃった!?
2015-08-18 15:33:55そんで日本はどちらかというと「折衷学」という、争わないで曖昧なとこでバランスとろうとする思想が結構強いんだよね。江戸時代の思想からしてそう。あの時代の庶民道徳は大体漢学、和学、仏教からいいとこどりしようとしてる。この前話した富永仲基なんかもそう。あんま面白くはないけどね。
2015-08-18 20:48:23仏教でも法然、親鸞を信じてるけど、日蓮もいいね、とかいってたら「こいつは何言ってんだろう」と思う。ようするに「思想の限界」ってのはそこなんだよね。何かを信じることができないなら、そこから先には進めなくなっちゃう。これは領域がもう違うから。
2015-08-18 20:54:01@liaozaizhiyi その通りだ! そして神話に対してもそうあるべきだと、ソクラテスもいっている!(プラトンが書いてるもんでだけど)
2015-08-18 20:55:21そういえばキリスト教が入ってきたときに「あいつらインドから来たらしいから(間違ってない)、どうも新しい仏教の一派らしい」と誤解されてた部分があったとかなかったとか。
2015-08-18 20:56:25@liaozaizhiyi 今の人間は神話ってもんをバカにし過ぎてるけど、本当にああいう世界があると私は信じているのだよ。みたいな感じ。ソクラテスはその点では本当に敬虔。
2015-08-18 21:02:35最近読んだ大倉鷲夫っていう土佐の歌人なんかも素晴らしかった。土佐は辺境の地ではあるけれども、神ながらのありがらたい土地なのであると信じてるから、それを短歌や長歌にしてる。
2015-08-18 21:04:32@liaozaizhiyi まったく。救いというものは濁世にはないもんだから。どこか個人を超越したもんがないと徹底した生き方なんてできないよね。
2015-08-18 21:06:08@iiduna_yutaka イエズス会は来日当初デウスを大日(如来)として布教していたので「確信犯的」に仏教の一派として振舞っていたはずです。
2015-08-18 21:07:04@iiduna_yutaka 隠れキリシタンのマリア像が観音像等と融合しているところは不本意ながらにせよ恐らくその通りなのでしょうね。
2015-08-18 21:09:13@romaspqr あれイエズス会の信仰拠点が聖母崇拝の強いとされるスペインなだけに因縁めいたものがあるんですよねー。
2015-08-18 21:10:10@liaozaizhiyi 禅の問答は一神教に対してはめっちゃ効果的にも思うんだよなあ。今のISILがやってる仏像破壊も「あれは偶像だ!」という彼らに「? ただの石じゃん。石が神様に見えるのか?」と言い返すのが一番効果的なのと同じ。
2015-08-18 21:11:35@liaozaizhiyi 私もそのうち読もうと思ってるんだけど「無門関」。あれでいいのないか探してる。吉田茂とも親交の深かった山本玄峰の「無門関提唱」とか一応お気に入りにしてあるけど。
2015-08-18 21:15:34