石原千秋『なぜ『三四郎』は悲恋に終わるのか』読書メモ集
- arishima_takeo
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石原千秋『なぜ『三四郎』は悲恋に終わるのか――「誤配」で読み解く近代文学』を捲っているが、これ「誤配」をキーワードにしてるのに東浩紀に対する参照がないけど、大丈夫なのか? 別に直接デリダから抜いてくるのなら分かるけど、冒頭でガッツリ柄谷の「この性」について言及してるし…。
2015-08-18 15:20:05『存在論的、郵便的』は、柄谷の「この性」や「単独性」を支える単数的超越論性から逆に浮かび上がる複数的超越論性ってのがあって、それがデリダの届かないこともありうる「誤配」概念やフロイト由来脱構築に対応してるよって本だと思ったが(もう大体忘れた)、石原の文脈でも重要なのでは?
2015-08-18 15:31:09デリダを踏まえた藤巻光浩「テクノロジーとコミュニケーション」(『現代コミュニケーション学』)から学んだとは書いているが…。
2015-08-18 15:35:20うん、しかも「キャラクター」とかいう話もしてるし、東無視は意図的な感じがするな(だからといって悪いとも思わないけど)。
2015-08-18 15:37:09そもそも、デリダって「誤配」って言葉使ったのか?(フランス語だと何?) 「真実の配達人」って引用でしか読んだことないけど、単なるデリダ解釈語って可能性も…。
2015-08-18 15:42:36「デリダ 誤配」でググっても、東浩紀関係のものしかヒットせず、いよいよ「誤配」は東浩紀タームの可能性が出てきた(で、いよいよ東参照のない石原千秋本は大丈夫なの?というお節介が)。
2015-08-18 15:52:18結婚前の中山美穂が自分の好みだと思い込むが、キーラ・ナイトレイを見るとやはりこちらがほんものの美人だとつい思ってしまう(あ、これはある男性の話です…‥)。by石原千秋『なぜ『三四郎』は悲恋に終わるのか』
2015-08-23 12:08:56石原千秋『なぜ『三四郎』は悲恋に終わるのか』読了。副題は「「誤配」で読み解く近代文学」だが、「ジラール欲望論で読み解く近代文学」にした方が良かったんじゃないだろうか。『春の雪』論以外、他者に媒介された欲望、みたいな方向で読んでいるので「誤配」が印象に残らない。別に使わなくても感。
2015-08-23 12:51:40石原は単独性(柄谷行人)と近代的個人主義の成立とを相即した形で捉えているが、これもやはり留保が必要なんじゃないだろうか。個人主義がなくても「この私」や「このもの」が単独なのは普遍ってのが柄谷の議論で、個人主義って寧ろ特殊性ー一般性の回路の方に分類されるんじゃないか?
2015-08-23 12:56:16石原誤配論が全体的にジラール欲望論っぽいのは、誤配の背面で「本来の配達先」が幻視されるからで、その本来を想像的に支えるのが他者の欲望だからだと思う。だとしたら、本質的なのは、誤配の感覚ではなく欲望とは何か?という問いな気がして、ラカンを援用するさいもソコ?って感じがしてしまう。
2015-08-23 13:01:18わりとヌルい感じもするが、新書だししょうがないのかもしれない。それに、新書のわりには先行研究もフォローしてるしな。決して悪くはないが、「誤配」概念が滑ってる感じにだけ口籠ってしまう。
2015-08-23 13:04:49石原の言いたいことは、多分、誤配を肯定せよってことで、別言すると偶然を愛せ、って話だと思う。が、『弱いつながり』を批判した私からすると、やっぱりそれだけじゃダメでしょ、と思う訳で。誤配本を積極的に評価さできないのもそれと関係してるかも。en-soph.org/archives/39444…
2015-08-23 13:11:07