- kentarotakahash
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「普通の日本人じゃない」にしても武藤議員絡みのホモフォビアにしても、あれはあれで(その人たちそれぞれの)「日常のかたち」の表現なわけで、個々の日常・経験であるからそれを一般的な言説として批判すべきではないというのは違和感がある(批判する側の問題というのももちろんあるんだけど)。
2015-08-28 03:07:25思うに"The personal is political" という考えは、本来糾弾の言葉ではなくて告発の言葉として発せられるべきなのに、そこが逆転してしまっているから批判されているのではないですかね。↓ここにも無原則な相対主義が。 twitter.com/toruoga0916/st…
2015-08-28 16:14:21この場合、「糾弾の言葉」「告発の言葉」とはそれぞれどういう意味ですか?また、ある発言がそのどちらにあたるのかはどのように決定(または判断)されますか? twitter.com/kdxn/status/63…
2015-08-28 18:42:34@toruoga0916 そこはうまい言い方が思いつかなかったのですが、「私の被害の訴えをパーソナルなものに矮小化するな」という方向性のものを「告発の言葉」と言っています。もちろんこれは同時に、社会への糾弾でもあります。また、ここでの「糾弾の言葉」は、その「告発」部分を欠くもの。
2015-08-28 18:49:54①@kdxn 有難うございます。なるほど、分かりました。私は、例のスピーチも、「普通の日本人」もいずれも「告発の言葉」(私の訴えをパーソナルなものに矮小化するな)として捉えているので、おそらくそこで理解が異なっているのだと思います。以下、詳述します。
2015-08-28 23:11:54②@kdxn その部分は「平和」という概念と関連づけて個人の体験や思いが述べられているわけですから、それらを個々人の体験という「パーソナルなものに矮小化」せずに「平和」という広い文脈でとらえる、すなわち「告発の言葉」であると理解しました。
2015-08-28 23:20:03やっぱり間違っている。おっしゃる通り安倍政権に対する告発であって性別役割分担への告発の言葉ではなく、したがって後者の文脈でPersonal is Politicalにはなりえないということです。 twitter.com/toruoga0916/st…
2015-08-28 23:23:25③@kdxn 同じことですが、個人的な体験を「平和」という普遍的な要求に結びつけ、かつその平和のあり方についての異議があったわけですから、それは"the personal is political"の典型例であるように思います。
2015-08-28 23:24:00④@kdxn 石平氏は言葉遣いの問題を「普通の日本人の常識」として挙げていて、それに対しての「普通の日本人じゃない奴が…」なんですから、そもそも「言葉遣い」というpersonalな文脈から出発して、「普通の日本人じゃない奴(この場合は右翼ということなので仮にそうしますが…)」
2015-08-28 23:29:17⑤@kdxn (承前)がそんなことを言うなというとpoliticalな文脈に繋げているわけですから、これも"the personal is political"の典型例、告発の言葉(つまり言葉遣いというpersonalな問題に矮小化されない問題)ではないですか。
2015-08-28 23:32:272点間違い。まず相手の言葉(第三者が第三者に向けたもの)は、publicなものであってpersonalなものではありません。次に「言葉遣い」は道徳やルールの範疇に属するもので、これもpersonalではありません。ていうかマジ? twitter.com/toruoga0916/st…
2015-08-28 23:35:26⑥@kdxn いやそれは当然そうですが、他方で他の人がそれを「性別役割分担への告発」という文脈から the Personal is Politicalという意味で異議を提示することは、「告発」と「糾弾」の混同とは言えないのではないですか。
2015-08-28 23:37:25発話者のpersonalな話題は他の人にとってpersonalになりえないので、それはpersonal is political の文脈での告発とは言えません。それはむしろ他者のpersonallityの簒奪です。 twitter.com/toruoga0916/st…
2015-08-28 23:40:09⑦@kdxn (a)道徳やルールの存在を前提にして、(b)個々の言葉の選択は個人が決定するわけですから、(a)はpersonalではありませんが、(b)はpersonalなのではありませんか?
2015-08-28 23:41:38もちろん違います!「言葉遣い」という要素の中に社会的に共有されたルールという部分と、個人が選択する部分があるという話です。 twitter.com/kdxn/status/63…
2015-08-28 23:43:05奥田愛基の言葉の選択は奥田愛基にとってpersonalなものですが、石平にとってはそうではありません。ここで石平太郎もPersonal is Politicalな告発をしたのだとするには、「泥棒」行為が必要となります。 twitter.com/toruoga0916/st…
2015-08-28 23:44:21@toruoga0916 奥田愛基個人が選択したものは、どこまでいっても奥田愛基以外にとって「個人の選択」とはなりません。って、当たり前でしょ〜〜〜〜〜? なんでこれわかんないんですか! 石平は他人の「個人の選択」を「日本人」という集団の公共性にすり替えて論難しているだけ。
2015-08-28 23:46:32@kdxn いえそこは否定していません。前2ツイートも同じ問題ですが、ある人にとってpersonalな問題を、他の人がthe personal is politicalという文脈で異議を申し立てるときそれは泥棒ですか?それはpersonalityの部分は否定せずに、
2015-08-28 23:49:43@kdxn ただそれが普遍的な文脈(personal→political)に流入することについて異議を提示しているのではないですか?
2015-08-28 23:50:54@toruoga0916 はい、だってその人はそのpersonalityについて告発していない(あるいは別の文脈で告発している)のですから、「personalityの部分は否定せずに」ということは不可能ですし、何をどうやっても泥棒です。
2015-08-28 23:52:29@toruoga0916 Personal is Politicalの文脈とは、「うちではいつも女(私)が食事をつくっている。これはおかしい」という告発に対して、他者がそれを社会的な告発としてきちんと取り扱うという場合でしょう。
2015-08-28 23:54:14@toruoga0916 たとえb「夫のためにおいしい食事を用意するのが生きがい」と言ってる女性がいたとして、「性別役割分担の固定化を強化する」と他人が勝手に騒ぎ立てるのもよくない。有名なCMの場合は、それが仮構されたもの(偽のprivacy)だから告発に意味が出るわけで。
2015-08-28 23:55:22@kdxn たとえば、奥田さんがそういう言葉づかいをすることは(個人の選択なので)否定しないが、それは(一般論として)日本人の常識とは違う…というとき、それは泥棒ですか?
2015-08-28 23:59:15