【横山光輝「三国志」講座66「偽帝討伐軍」】
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【横山光輝「三国志」講座66「偽帝討伐軍」01】 第66話でございます。皇帝を自称した袁術ですが、自分を裏切った呂布を討伐しようとしたものの、部下に裏切られて撤退を余儀なくされます。そんなわけで、やけ酒をあおる日々。呂布への仕返しを誓いますが、とりあえず打つ手なし状態でした。
2015-09-01 12:37:35【横山光輝「三国志」講座66「偽帝討伐軍」02】 しかし、ここで袁術は孫策の存在を思い出します。かつて自分が兵を貸し与えたおかげで、孫策は江東の小覇王とまで呼ばれるほどの力をつけました。その孫策の力を借りようというわけです。
2015-09-01 12:39:47【横山光輝「三国志」講座66「偽帝討伐軍」03】 孫策は、孫堅の不慮の死のあと、袁術のもとに身を寄せていた過去があります。袁術は子供の頃から面倒を見た恩を返してもらおうと考えたわけです。さっそく、袁術は孫策に使者を出します。皇帝陛下にふさわしく、4頭立ての馬車で出発する使者。
2015-09-01 12:41:58【横山光輝「三国志」講座66「偽帝討伐軍」04】 袁術の使者に会った孫策は、手紙を読んですぐに返事を書きます。それをそのまま持ち帰る使者。返事を読んだ袁術は、自分を助けるどころか、皇帝を名乗った袁術の首を討つという内容に激怒します。
2015-09-01 12:44:36【横山光輝「三国志」講座66「偽帝討伐軍」05】 孫策は、袁術がすぐにでも攻めてくるかと用心していましたが、結局袁術は江東まで遠征する余力がなかったようです。そのうちに、都の朝廷から本物の皇帝の使者がきました。皇帝の使者は、孫策に会稽の太守に任命すると伝えました。
2015-09-01 12:46:50【横山光輝「三国志」講座66「偽帝討伐軍」06】 さらに、勝手に皇帝を名乗る袁術を速やかに討てという言葉も添えます。詳細は出ていませんが、袁術の動きを曹操がキャッチして、孫策に官位を正式に与える代わりに袁術討伐の命令を出すように、皇帝を動かしたものと考えられます。
2015-09-01 12:49:34【横山光輝「三国志」講座66「偽帝討伐軍」07】 皇帝の命令を拝受した孫策。袁術が皇帝を僭称するに至った一端は、自分が持っていた玉璽を袁術に渡したことにあるので、少しは責任を感じていたようです。しかし、いかに小覇王とはいえ、孫策だけの力で袁術を倒すまでには至りません。
2015-09-01 12:51:41【横山光輝「三国志」講座66「偽帝討伐軍」08】 ここで、名前が出てこない孫策の参謀が登場します。参謀は、孫策が先頭に立って戦うことはやめて、曹操に手紙を出して、正面をせめるよう頼めといいます。孫策はあくまで援軍の形をとるというのです。
2015-09-01 12:55:35【横山光輝「三国志」講座66「偽帝討伐軍」09】 もともと、曹操が袁術を倒すように仕向けたとみられるこの話。孫策は、危ない橋は曹操に渡らせればいいと、さっそく曹操に手紙を書きます。こうして孫策の密使が曹操のもとへ飛びます。
2015-09-01 12:56:53【横山光輝「三国志」講座66「偽帝討伐軍」10】 曹操も、孫策の考えはお見通しと見えて、孫策の密使が着くと、すぐに出陣の支度を始めます。さらに、豫州の劉備玄徳、徐州の呂布にも参戦を促す急使を飛ばします。こうして、曹操は30万の大軍を率いて、淮南へと向かいました。
2015-09-01 12:58:48【横山光輝「三国志」講座66「偽帝討伐軍」11】 曹操軍が袁術討伐のために出発しましたが、その頃、淮南では大雨による土砂災害が発生しておりました。川が氾濫して洪水になり、農作物は水浸しで全滅。袁術もついてないときは次々と災が起こるものだな、と諦め顔です。
2015-09-01 16:07:29【横山光輝「三国志」講座66「偽帝討伐軍」12】 そんな袁術皇帝陛下のもとに、一大事を知らせる注進が。やってきた部下は「曹・玄・呂 三軍一体となってこの淮南に侵攻してきました」との報告します。なぜ、曹操孟徳、劉備玄徳、呂布奉先の略で、劉ではなく玄にしたのかは謎です。
2015-09-01 16:17:09【横山光輝「三国志」講座66「偽帝討伐軍」13】 「曹・玄・呂」三軍一体となった軍ですが、曹操は北から、呂布は東から、劉備玄徳は西からやってくると言います。都がある許昌、徐州の呂布、豫州の劉備玄徳、そして淮南の位置関係を地図で見ると、袁術は敵に囲まれていたわけですな。
2015-09-01 16:21:56【横山光輝「三国志」講座66「偽帝討伐軍」14】 そんな袁術にさらなる「ご注進!」がやってきます。思わず手で顔をおおってしまう袁術。「またか」とあきらめムード満載ですが、今度は一体何だと聞いてみると、呉の孫策が攻めてくると言うではないですか。
2015-09-01 16:24:21【横山光輝「三国志」講座66「偽帝討伐軍」15】 首を討つという手紙があったので今更なんですが、四方向から一体となって責められればとても持ちこたえられません。もし持ちこたえたとしても、水害で食糧が手に入らず、兵を飢えさせてしまいます。そこで、袁術はひとまず淮水に移ることに。
2015-09-01 16:25:42【横山光輝「三国志」講座66「偽帝討伐軍」16】 袁術は、李豊将軍、楽就将軍、陳紀将軍、梁剛将軍に10万の兵で淮南の城を守るように命じ、袁術は24万の兵と金銀財宝、軍需物資を淮水に運ぶことにします。
2015-09-01 16:29:12【横山光輝「三国志」講座66「偽帝討伐軍」17】 さて、淮南の城に到着した曹操軍。洪水の爪あとは深く、淮南の城の周りは想像以上にひどい惨状となっていました。曹操はとりあえず、攻撃を開始しますが、泥に足をとられて自由に動けず、城からの応戦にまともに立ち向かえません。
2015-09-01 16:30:49【横山光輝「三国志」講座66「偽帝討伐軍」18】 これでは戦にならぬと、一旦引く曹操軍。曹操も、地面が乾くまで動きがとれないと諦め顔です。水は徐々に引いてきましたが、曹操軍の戦況は芳しくない状況が続きます。動きが取りにくい上、相手の城兵が死に物狂いで損害が大きいのです。
2015-09-01 16:33:32【横山光輝「三国志」講座66「偽帝討伐軍」19】 そして、曹操軍に大きな問題が浮上してきました。食糧長官の王垢が、食糧が底をついてきたと報告に来たのです。食糧の調達は孫策に頼んでいたようですが、移動距離が長くまだ到着しないと言います。
2015-09-01 16:38:13【横山光輝「三国志」講座66「偽帝討伐軍」20】 このままでは5日ともたないという王垢に対し、敵地で食糧を調達するのが食糧総官の役目だろうとなじる曹操。しかし、洪水で農家までが泥の中に埋まっている始末なので、30万人分の食糧を現地調達するのは不可能です。
2015-09-01 16:40:27【横山光輝「三国志」講座66「偽帝討伐軍」21】 仕方なく、曹操は、孫策の米が届くまで、兵士の食事を減らすように指示を出します。戦に出る前は一日5合の食糧が出るという約束だったのが、おそらく1合に減らされた模様です。これには兵士たちが不平を言い出します。
2015-09-01 16:43:41【横山光輝「三国志」講座66「偽帝討伐軍」22】 曹操軍は三国時代通して割りと規律がしっかりした軍隊と考えられますが、それでも腹が減っては戦はできません。末端の兵士が事情を察して我慢してくれわけもなく、戦で手柄をたてれば褒美がもらえるというにも嘘かもしれんぞ、とまで言われます。
2015-09-01 16:46:19【横山光輝「三国志」講座66「偽帝討伐軍」23】 曹操の軍隊は、兵戸制といって、特定の民を兵士専門の家とし、永代的な兵役義務を負わせる方法を取っていたようですが、そのへんの細かい話は横山三国志では出てきません。多分。
2015-09-01 16:54:11【横山光輝「三国志」講座66「偽帝討伐軍」24】 なので、雇用主である曹操が、兵士たちに約束している食糧が滞るということは、兵士達の不平を招くことになります。最悪、暴動や、裏切り、逃亡なんてことになるわけです。この事態をなんとかしなければ、城攻めどころではなくなります。
2015-09-01 16:55:59【横山光輝「三国志」講座66「偽帝討伐軍」25】 このピンチを、曹操はどう切り抜けるのか。曹操がとった驚くべき手法とは?この続きは次回のお話になります。 今回はここまで。
2015-09-01 16:57:08