- Eric_Ridel
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「あなたには他とちがう個性があるはずだ」「個性的でなければならない」という「個性信仰」が学校教育に入り始めたのは1980年代中ごろです(拙著『Jポップとは何か』参照)。この価値軸からすると「個性がない」=「他と同じ」=「普通」であることは、ネガティブな意味を持ちます。
2011-01-07 14:10:20しかし日本の公立学校教育が用意した「個性」など、せいぜ「社会のマジョリティが合意済みあるいは合意可能な範囲での個性」に過ぎませんでした。
2011-01-07 14:12:15また多くの人にとって内面の個性というのは発見が極めて難しい。内面の個性の発見とは「個性の表現」と不可分です。個性の表現を日本人は学校でも家庭でも積極的には教わりません。
2011-01-07 14:14:39人間にとって「どんな人間であるのか」を表現する手段のうちで、もっとも一般的なのは「どんな服装をするのか」です。学校はまず制服を着せて「みんな同じ」にします。こういう場で「個性はみんな違っていいのだ」と教えても、それは滑稽な矛盾なのです。
2011-01-07 14:16:32しかし、そうはなりません。別に「制服を廃止すると非行が進む」などという治安維持的なシナリオではない。「大半の人は私服を選ぶのが面倒くさい」「カネがかかって困る」など「非制服」を忌避します。つまり大半の人にとって「個性の表現」は面倒くさいことなのです。
2011-01-07 14:26:02つまりたいした個性などない、見つけることができない、あるいは個性表現など面倒くさい大半の大衆に「個性がなければならない」と強迫的に求める社会は人を強迫的(脅迫ではなく)に追いつめます。ここに「個性という病理」がある。個性という病理は「普通という病理」と双子です。
2011-01-07 14:27:51「普通であってはならない」「個性がなければならない」は同じことを言っています。どちらにも共通しているのは『〜ねばならない」という強迫的な態度です。(脅迫的ではなく)
2011-01-07 14:33:17小さい頃から「どうしてみんなと同じように出来ないの?」と言われ続け、自分でもどうして出来ないのかが本当に不思議で、なんとか同じようにしようとするんだけど出来なくて、もうしゃあないなあとあきらめたらだいぶ楽になった。
2011-01-08 03:29:58みんなと同じことが出来ないっちゅうのが自分の個性なのかと考えたこともあったけど、そんなもんは個性でもなんでもない。ただ私の性分なんだと思ったら、また少し楽になった。個性と言うとかっこよく聞こえるけど「変な子」と周りから言われるのは結構傷つくよなあ。
2011-01-08 03:33:01みんなと同じことが出来る人も出来ない人も、みんなと同じことがしたい人も、したくない人も、それぞれがその人本人にとっては大切な人生だ。一つの脳みそが何万人何十万人という人間を支配しているなら「普通」はあるだろう。んなわけあるはずないがな。あはは。気持ち悪い。
2011-01-08 03:44:01誰にでも個性はあるけど、ほとんどの人の個性は誰からも注目されず、ライトも当たらない集団に埋没したまま一生を終える。だからといってその人の人生が「普通」で意味のない人生とは言えない。
2011-01-08 03:53:36集団に埋没しつつ終わる人生にも、その人にとってはとても大切な出来事や悲しい出来事や美しい出来事があるだろう。本人にとってそれが意味のあることなら、その他大勢に無意味なことでもええやんか。
2011-01-08 03:56:18なるほど、それはとても悲しいですね。 QT @OTONAKANA 集団に埋没しつつ終わる人生にも、その人にとってはとても大切な出来事や悲しい出来事や美しい出来事があるだろう。本人にとってそれが意味のあることなら、その他大勢に無意味なことでもええやんか。
2011-01-08 03:57:09