宇佐八幡宮の歴史

宇佐神宮、ここでは宇佐八幡宮の呼称で統一してありますが、その歴史を、八幡大神入京と宇佐八幡神託事件の二つを中心に語っていただきました。
宇佐神宮 歴史 宇佐八幡宮 奈良時代 神社
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数か月前にマティウス陛下にお願いして、宇佐神宮の歴史を教えていただいたのですが、ログ掘り出しに失敗し、ここにまとめきれなかったため、再度お願いいたしました。
そうしたら、大幅なボリュームアップ!本当に、ありがとうございます。

なお、私のツイートは分からないことの補足などになりますので、歴史に詳しく用語など分かる方は、私のを読み飛ばしていただいた方がテンポよく読み進めることができるかと思います。

Kaiser Matthius @Ryu_Yas0417
かつて偽さん(@niseusa )から宇佐八幡宮について解説を依頼され、レポートをTLに流したことがあったが、この度、それを修正したものを纏めて頂くことになった。今からTLに投下する。TLを荒らしてしまうことになるが悪しからずご了承頂きたい。
Kaiser Matthius @Ryu_Yas0417
宇佐神宮(宇佐八幡宮)の歴史について考えるとき、特筆しておかなければならないのが、天平勝宝元年(749年)の八幡大神入京と神護景雲3年(769年)の宇佐八幡神託事件である。この二点を中心に、宇佐神宮の歴史について述べていく。
@niseusa
ってことでマティウス陛下が宇佐神宮の歴史について詳しくまとめてくださいました。マティウス陛下の専攻分野であるあたりの2つの出来事が中心とのこと。 …よく見たら、この2つの出来事、20年の差しかないんですね。
Kaiser Matthius @Ryu_Yas0417
なお、宇佐神宮は神仏分離以前、その正式名称を「宇佐八幡宮弥勒寺」と称していた。本稿では歴史的用語であり、現在も宇佐神宮の通称として用いられる「宇佐八幡宮」を同神宮の名称として用いていく。
@niseusa
神仏分離(しんぶつぶんり)…神社やお寺に神と仏が祭られている状態を禁止、お寺には仏、神社には神、と区別をはっきりさせること。この場合は明治時代の廃仏毀釈あたりによるもので、最後の方のツイートでも触れてあります。
Kaiser Matthius @Ryu_Yas0417
まず、宇佐八幡宮の祭神について触れておく。宇佐八幡宮は、八幡大神(後に誉田別尊すなわち応神天皇とされる)、比売大神(宗像三女神こと多岐津姫命・市杵島姫命・多紀理姫命)、神功皇后(応神天皇の皇后で新羅征伐説話で知られる)を祭神とする。
@niseusa
応神天皇…第15代天皇。仁徳天皇の父。確実に在位が認められる最初の天皇、との説があるようです。調べてみると色々面白い逸話があるお方ですが、詳しくないので割愛します(汗)。
Kaiser Matthius @Ryu_Yas0417
宇佐八幡の由緒によれば、八幡大神は応神天皇の神霊で、欽明天皇32年(571年)に宇佐の地に示顕したという。だが、八幡大神を応神天皇の神霊とする記述は『古事記』『日本書紀』、そして宇佐八幡宮が史書に初めて現れる『続日本紀』には一切ない。
Kaiser Matthius @Ryu_Yas0417
平安時代の私撰歴史書『扶桑略記』によれば、欽明32年、豊前国宇佐郡厩峯と菱形池の間に鍛冶翁が現れ、大神比義が祈ると三歳の童児となり、「我は誉田天皇広幡八幡麻呂(応神天皇)なり。名を護国霊験威身神大自在王菩薩という」と託宣を下したという。宇佐八幡の由緒はこれに拠っているのだろうか。
@niseusa
豊前国(ぶぜんのくに)…福岡県東部+大分県北部 菱形池…池の形が菱形ではないらしい。宇佐にある三山に囲まれているからとのこと。 鍛冶翁…そういえば八幡製鉄所も八幡の文字使ってますよね、とか思ってちょっと気になるところであります。
Kaiser Matthius @Ryu_Yas0417
鎌倉時代の『承久記』には「日本国の帝位は伊勢天照太神・八幡大菩薩の御計ひ」と記されるなど、八幡大神は皇祖天照大御神に次ぐ皇室の守護神とされている。しかし、先述の通り、八幡大神を応神天皇の神霊とする説話は、記紀神話にも『続日本紀』にも見られない。
Kaiser Matthius @Ryu_Yas0417
記紀神話に根拠を持たない八幡大神。おそらくは豊前国宇佐郡の土着の神であった宇佐八幡神が何故皇室の祖先神・守護神となりえたのか。それを考えるうえで重要なのが、奈良時代の宇佐八幡宮と朝廷の結びつきである。以下、それを見ていきたい。
@niseusa
ここから、先ほどの2つのうち【天平勝宝元年(749年)の八幡大神入京】の話に入っていくわけですね…!
Kaiser Matthius @Ryu_Yas0417
養老4年(720年)、大隅国の隼人が国司を殺害し反乱を起こした。朝廷は大伴旅人を征隼人持節大将軍に任命して反乱の鎮圧にあたった。その際、大伴旅人は八幡神の助力を祈願したとされる。
@niseusa
大隅国(おおすみのくに)…鹿児島県東部。桜島の東側です。北九州の方から軍を進めて、ちょうど道中に宇佐八幡宮がありますので、そこで祈願したんでしょうね。
Kaiser Matthius @Ryu_Yas0417
朝廷と宇佐八幡宮が初めて公的に関係を結んだのは天平9年(737年)、新羅との間に緊張関係が生じた折で、この時八幡神は伊勢・大神・住吉・香椎の各神社とともに幣帛を受けている。伊勢神宮以外は新羅征伐に関する伝承をもっており、そうした関係から奉幣されたのであろう。
@niseusa
幣帛(へいはく)…天皇や国家などから神に奉献することを指すのですが、ここでは古代で貴重だった布を奉献したことを指すそうです。絹、かな?
Kaiser Matthius @Ryu_Yas0417
宇佐八幡宮はこれをきっかけに朝廷との結びつきを深めるが、それがさらに強まったのは、天平12年(740年)10月、藤原広嗣の乱に際して、聖武天皇が持節大将軍大野東人に乱の平定を祈願させたことによる。
@niseusa
藤原広嗣の乱…ちょうど藤原4兄弟が相次いで天然痘によって亡くなり、そのあと藤原氏の勢力が大きく後退、広嗣は大宰府に赴任。これに不満を持った広嗣が大宰府から挙兵。大宰府は福岡県西部にありますので、これも比較的近いところで起きた乱に対しての祈願のようです。
Kaiser Matthius @Ryu_Yas0417
翌年閏3月、平定の報賽(祈願成就の謝礼の奉納品)が朝廷から宇佐八幡宮に奉納された。奉納されたのは、秘錦冠一頭、金光明最勝王経・法華経各一部(国分寺に納められた経典と同じ)、度者10人、封戸、馬5疋。この他、三重塔の造営も行われている。
Kaiser Matthius @Ryu_Yas0417
これらを見ると、何れも神社というよりは寺院への施入物といってよく、宇佐八幡宮の特異性を窺わせる。つまり、これは神仏習合が進む中で神社の境内に立てられた寺院いわゆる神宮寺が宇佐八幡宮にあったことを示しているのだ。
@niseusa
ほんとだ、法華経とか金光明最勝王経とか入ってる上に、寺院に建てる三重塔まで造営されてるんですね。
Kaiser Matthius @Ryu_Yas0417
宇佐八幡宮こそ、神仏習合の先鞭をつけた神社である。朝鮮の土俗的な仏教の影響を受け、6世紀末には既に神宮寺を造っていたという。宇佐八幡神に奉仕する神職団は僧形で、医療に携わりシャーマンとしても活躍する巫僧集団であった。
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コメント

@niseusa 2015年9月6日
まとめを更新しました。
@niseusa 2015年9月8日
まとめを更新しました。
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