そもそも「学校」側は、子どもたちをも「生徒」という学校組織の一員と捉えていないか? これを当たり前だと思っているのは、やはりどこかおかしいのだ。

某市立図書館の「学校が始まるのが死ぬほどつらい子は、学校を休んで図書館へいらっしゃい」ツイートから2週間が過ぎ、現場にいる子どもたちや学校関係者以外の「外野」の人間たちのお喋りも、一旦冷めた様子。子どもたちの自殺が多い日とされる、魔の9月1日が無事に過ぎたことを願うが。
2015-09-12 04:41:38
私は図書館のツイートに一定の理解を示す者だが、リアクションとしてはむしろ批判するものがどういった感じなのかに興味が湧いたのだった。まあ結果的に、子どもに逃げグセがつくだの公共機関として相応しくないだの、オモロないもんばっか。図書館なんて首吊りやすい場所やんかぐらい言えんかw
2015-09-12 04:49:12
私は、図書館側がああいうツイートをせざるを得ない特別な事情があったのではないかと、勝手に忖度する。波風立つのは予想できたわけで、それだけに決して軽々しいものではないだろう。教育機関として同列に並ぶ「学校」を「図書館」が暗に批判した形でもあり、我々が考えるよりインパクトが大きいかも
2015-09-12 05:07:13
「いじめ」問題の最終解決は、社会学者の内藤朝雄がいうように、学級制度の廃止と現行の学校制度の解体しかないだろう。学力試験は一種の公的な認証試験として、別の試験場で行う。一定の学力を得るためには、「学校」でも「塾」でも独学でも、どう勉強しようが構わない。
2015-09-12 05:21:12
それでは集団生活を営むにあたっての社会性をどこで身に着けるか、ということになるが、各種のボランティア活動や文化活動などへの参加で事足れるし、社交的マナーなども一定の試験を課すことにより身に付けさせられる。今ある学校制度は必然的なものでなく、ただ単に効率的なものにすぎない。
2015-09-12 07:01:04
「学校」関係者が、子どもたちの将来に責任を持つという意思を示すのは当然だが、それが現行の学校制度・運営などを硬直化させる言い訳に使われてはならない。
2015-09-12 10:38:18
殊に、「社会に出たらもっと厳しい、不条理なことがたくさんある」ともっともらしいことを宣ったりして、学校内部の虐め・体罰などの不法行為が放置され隠蔽されるのをよしとする傾向、更に「子供たちに対する責任」を盾にとり「学校」を聖域化するのは、組織腐敗の最もたるものと断言していいだろう。
2015-09-12 10:46:39
そもそも「学校」側は、子どもたちをも「生徒」という学校組織の一員と捉えていないか? これを当たり前だと思っているのは、やはりどこかおかしいのだ。虐められていない子どもでも「学校に行くのが死ぬほどつらい」と思ったりするのは、組織の一員に無理矢理させられる生理的拒否感なのではないか?
2015-09-12 11:54:09
集団生活 ≠ 「組織」の一員。不登校、登校拒否、ではなく、「組織」への強制加入拒否。「組織」内部のイザコザは抑圧され隠蔽される。それが一企業であれば「組織」の不条理に耐えれば給料が保障される。それが「学校」であれば「組織」の不条理に耐えれば「教育」が保障される。。。。。(*_*;
2015-09-12 12:07:14
一日のうち半日以上「学校」に拘束され、その狭い環境の中での人間関係に汲々とする。子どもがそこから逃げ出そうとするのは、むしろ、子どもが本質的にもっと広い世界を求め、知識や経験を得て、成長する欲求があるからだ。大人たちの施す「教育」は、子どものこういう欲求に応えることができるか。
2015-09-12 15:58:18
もっと言えば、「逃げる」力のない子どもが虐めのアリジゴクに余計にハマってしまうのでは。個々人の間の諍いやそれに端を発する暴力はゼロにできない。明らかに不法行為であるものは峻厳に摘発するのを徹底化する一方で、それまでには子どもの精神が持たぬかもしれないし、摘発できぬ陰湿な虐めもある
2015-09-13 09:25:02
子どもの「心」を守る最後の一線は、大人たちが子どもを「逃がす」ことしかないだろう。教育機関において、いわば「閉鎖系」である学校と、「開放系」である図書館の差異性が、今回の出来事で露わになったとも言えるのではないか。
2015-09-13 09:36:04