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2015年9月16日

水害・治水・利水と日本の暗い歴史

水害や治水の歴史には日本の闇が詰まっている
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NaOHaq(苛性ソーダ) @NaOHaq

. @yuruhuwa_rikusi 昔から水害の多かった地域(例えば岐阜県南部の輪中地域など blog.livedoor.jp/laterralaterra… )の農家では洪水に供えて軒先に舟が常備されてたりします pic.twitter.com/XJhaBmpKGi

2015-09-11 19:23:33
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じょえ @joeokubo

上げ舟か。昔から洪水が多い濃尾平野あたりの文化かと思っていたけれど関東にもあるのね。 / 輪中 - Wikipedia ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BC%AA…

2015-09-11 19:23:58
NaOHaq(苛性ソーダ) @NaOHaq

@joeokubo 気になって調べてみたところ、上げ舟という習慣自体は各地にあるようですね 徳島県吉野川流域 d1.dion.ne.jp/~sentaka/kawad… 佐賀県筑後川流域 kasen.net/@9/chikugo/oki…

2015-09-11 19:49:56
風°良こう@大大阪新時代へ @pla5155

昔住んでたところの近所の家にも軒先に舟が常備されてました。なんで置いてあるのか分からなかったけど、洪水になったときに使うためだったのか‥ どおりで台風のときに、右岸の堤防を切るか左岸を切るか議論になる訳だ‥ twitter.com/NaOHaq/status/…

2015-09-11 19:50:32
NaOHaq(苛性ソーダ) @NaOHaq

@pla5155 中学の社会科の授業で、木曽川の堤防は徳川家のある尾張藩側だけ相対的に高く作られてた、なんてエグい話を聞かされたことがあります…… < 右岸の堤防を切るか左岸を切るか

2015-09-11 19:58:02
NaOHaq(苛性ソーダ) @NaOHaq

ひでぇ^^;;;;; / "尾張藩の洪水を防ぐために、美濃国は御囲堤に対し3尺(約1m)低い堤防しか築いてはならないという不文律が存在したと言われる。" / 御囲堤 - Wikipedia ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%A1…

2015-09-11 20:05:44
風°良こう@大大阪新時代へ @pla5155

@NaOHaq 確かにエグい話ですね。私のは父から聞いた話で50年くらいまえですが、恐ろしく増水して堤防が危なくなったときに町会の集まりでこのような議論をしたとのことでした。長らく信じてなかったのですが、↓のような研究もあるので‥ library.jsce.or.jp/jsce/open/0090…

2015-09-11 20:07:04
千夜ちゃんを養って幸せな家庭を築く @xLUN

@NaOHaq 忠節橋のあたりも、北側は南側より低く作る不文律あったそうよ。ソースは祖母(故)

2015-09-11 20:08:09
NaOHaq(苛性ソーダ) @NaOHaq

水害の話になると盛り上がる岐阜県美濃地方民

2015-09-11 20:10:32
NaOHaq(苛性ソーダ) @NaOHaq

輪中地帯でも上流と下流のいざこざが大変だったらしいしなぁ……

2015-09-11 20:14:45
NaOHaq(苛性ソーダ) @NaOHaq

"しかし一方で、この「御囲堤」の建造は、木曽川右岸、つまり美濃側における悪夢のような300年間の始まりでもあったのです" "「美濃の諸堤は、御囲堤より低きこと三尺たるべし」" / 御囲堤の功罪[美濃の不文律]―濃尾用水拾余話 suido-ishizue.jp/nihon/12/03.ht…

2015-09-11 20:19:36
あらきムラムラ @arakissunne

@nekoguruma 濃尾三川(木曽、長良、揖斐)に囲まれた低地帯で、輪のように集落を堤で囲んだ→これが輪中ですな そんなとこなので水害前提なのですよ

2015-09-11 21:02:36
歴史 言語@እንጀራ【愚かな存在▼】【🐝💧🎠】 @histoire_langue

木曽三川と呼ぶほうがしっくりくるんだけど…… 輪中って学校で習うことだと思ってたけど、東海以外だとどうなんだろう…… twitter.com/arakissunne/st…

2015-09-11 21:05:37
ののまる @nonomaru116

むかし親父が同じような船どっかからもらってきて涸沼に繋いでたけど、大水でどっかに流れてしまったんなよなw

2015-09-11 21:06:03
あらきムラムラ @arakissunne

@nekoguruma ですな。また、土地が肥沃(水害が起こる→新しい土が常に供給される)だというのもあってわざわざ集落作るんでしょうけどね。対策は考えて手は打つ、という。他の低地帯も同じ発想でしょう。そのリスク考えても収穫の大きさは魅力だったんでしょうな。

2015-09-11 21:06:05
ののまる @nonomaru116

まぁ、うちの場合は水害避難用じゃなくてただの親父の趣味だったんだけどさw

2015-09-11 21:06:40
あらきムラムラ @arakissunne

俺は濃尾三川で習ったので………その方が自然かな、と

2015-09-11 21:08:05
ooi@n_m @JDSDE214

@nekoguruma ちなみに、所謂下流地域とかだとクリークが発達してるところがあって、そういう所は家に船着き場があるとか、ああいう田舟というか、農作業用の運搬船を持ってるところが結構あった、ウチもそうだった。そう言う背景とかで教える内容も多少違うんでないのかな。

2015-09-11 21:10:27
歴史 言語@እንጀራ【愚かな存在▼】【🐝💧🎠】 @histoire_langue

@arakissunne mjsk 私としては三川は伊勢長島も流れるものだから美濃尾張だけの名称はちょっと……あと濃尾三川という呼び名も聞いたことがない

2015-09-11 21:12:26
あらきムラムラ @arakissunne

@histoire_langue 木曽三川の方がググっても確かに上には出てきますけどね…… 濃尾三川での「濃尾」は国名の美濃尾張ではなく、川が形成している濃尾平野の「濃尾」ですよ

2015-09-11 21:13:58
NaOHaq(苛性ソーダ) @NaOHaq

@arakissunne @nekoguruma 木曽三川河口域についてはやや事情が複雑だったようです…… / 御囲堤の功罪[美濃の不文律]―濃尾用水拾余話 suido-ishizue.jp/nihon/12/03.ht…

2015-09-11 21:16:05
Tamon @Tamon0703

@NaOHaq 薩摩藩がやった宝暦治水事業のときも、木曽川と長良川を区分する締め切り堤防で、本当は完全に締め切った方が治水効果が高いとわかっていながら、そうすると木曽川の水位が高くなって尾張藩側の洪水が起きやすくなるとして、半端な構造にさせられていましたね。

2015-09-11 21:16:13
歴史 言語@እንጀራ【愚かな存在▼】【🐝💧🎠】 @histoire_langue

@arakissunne うーん、それでも「美濃尾張」ですよねー……まあ、これ以上愚痴は言いますまい、納得行くものをどうこういうタワケはおるまい。 まあ、所詮は揖斐から川二本離れたあたりですからね、そんなとこの田舎もんのあれです、普段木曽三川いいよるだけですんで

2015-09-11 21:18:55
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コメント

Tamon @Tamon0703 2015年9月16日
上で、宝暦治水事業の締め切り堤防を、木曽川と長良川を区分と書いてしまいましたが、調べてみたら長良川と揖斐川の区分のようでした。油島締切堤のようです。
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撃壌◆ @gekijounouTa 2015年9月17日
薩摩藩に輪中作ってもらった縁もあって、岐阜は鹿児島と姉妹県協定結んでるんだよねぇ。それにしても宝暦治水エグい… https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E7%94%B0%E9%9D%B1%E8%B2%A0#.E5.AE.9D.E6.9A.A6.E6.B2.BB.E6.B0.B4
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Tsuyoshi CHO @tsuyoshi_cho 2015年9月17日
さすがに素敵とは思わんが、「良い備えだな」とはまあ思う、経緯的に嬉しくない役目を引いてたとしてもそれはまあそれだし。。
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Karasu @karasu15794066 2015年9月17日
小学生の頃だったか、本宮ひろ志の描いた宝暦治水の漫画読んだ記憶が。とにかく人が死にまくる漫画だった。
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sho_Yal @YaltSho 2015年9月17日
水害に限らず昔の防災は「ある程度被害が出るのはしょうがない」が前提で、その中で何は絶対守るか、何は妥協するかって話の上ですよね。先の震災と津波の時に喧伝された「津波てんでんこ」の教えも元はそうでしょう。現代はあまりにも被害ゼロを目指しすぎているような。
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Sひろし @1970er 2015年9月17日
薩摩藩の宝暦治水は明治時代の脚色部分も多かったのが最近判明している。興味のある方はこちらを読まれたし 『薩摩義士という軛 宝暦治水顕彰運動の虚実』(水谷 英志) http://www.amazon.co.jp/dp/4864762015/ref=cm_sw_r_tw_dp_yFP-vb01DPAGP
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Sひろし @1970er 2015年9月17日
あと岐阜では根強く話の残る「お囲い堤は三尺高い」も伝承の域でしかないという指摘があったはず。
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Sひろし @1970er 2015年9月17日
「忠節橋のあたりも、北側は南側より低く作る不文律」というのは初めて聞いたが、9.12水害の時に河川事務所が災害出動した自衛隊を街の中心部のある南側堤防に全部回したという記録はある。(ただし、北側に自衛隊員がいたという噂も聞いている)
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Sひろし @1970er 2015年9月17日
ちなみに私の家は長良川の北側だったんで、この記録を見た時は暗然としました。9.12の時は、堤防は近くでは切れなかったものの、結局堤防内に溜まった雨だけで床上浸水になりましたが…降りすぎ(排水機場はまだ整備中だったらしい)
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まつき @matukimatuki 2015年9月18日
現名古屋市周辺でも、「小田井人足」って言葉がある。名古屋市の北方と西方には、市境付近を庄内川が流れている。庄内川が溢れそうになると、名古屋の城下を守るために、城下から見て外側に当たる地域の農民を動員して、外側の堤防をわざと壊した。もちろん、自分たちの住む地域を危険にさらす工事を、好き好んでやる農民は少なく、出来る限りサボタージュした。そうした地域のひとつが、今は地下鉄の駅にも名前が着いている「小田井」。
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まつき @matukimatuki 2015年9月18日
転じて、「小田井人足」は、「怠け者」という意味を持つようになった。
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まつき @matukimatuki 2015年9月18日
堤防の外側を切らしたというのが史実かは怪しいけど、「小田井人足」って言葉は使われていた(いる)のは、史実。 http://blogs.yahoo.co.jp/marst28/48511158.html http://www.cbr.mlit.go.jp/shonai/kihon/tanto/kasen/suigai/otai/
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こぎつね @KogituneJPN 2015年9月23日
日本海側の飛騨地方は「同じ岐阜」だと思わない方がいい。あそこは事実上北陸の一部です
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