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岸和田のだんじり・和泉の名物蟹祭りと、掃守氏・掃守郷について

なぜ岸和田のだんじりの時に、蟹祭りがあって、蟹を食べるのか。その由来について、古語拾遺の掃守氏から読み解く考察を、例によって私、偽が、解釈したり質問したりしたものをまとめたものです。 さらに追加で、部民制についても、詳しく教えていただきました。
歴史 平安時代 だんじり 蟹祭り
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マティウス陛下の語りを、私、偽が解釈してみたり質問してみたりしているまとめです。歴史に詳しい方はマティウス陛下の文章だけを読んでいったほうが、テンポよく読めると思います。

Kaiser Matthius @Ryu_Yas0417
岸和田の秋祭り 年に一度の大祭り 和泉の名物蟹祭り いよいよ岸和田だんじり祭りが始まる。この囃子唄に唄われるように、祭りの食卓には泉州近海で獲れた渡り蟹がご馳走として並ぶ。
Kaiser Matthius @Ryu_Yas0417
それにしても何故蟹なのか。勿論美味しいというのが一番の理由なのだろうが、私は『古語拾遺』を思い出さざるを得ない。
@niseusa
古語拾遺…なにそれって感じなのですが、百科事典マイペディアの解説によると、というか丸コピですが、以下の通りです。 斎部広成(いんべのひろなり)著の歴史書。1巻。807年成立。
@niseusa
朝廷の祭祀をつかさどっていた忌部(いんべ)(斎部)氏は大化改新後中臣(なかとみ)氏に押されて勢いが振るわなかったため,衰運回復を図って天地開闢(かいびゃく)から天平(てんぴょう)年間までの祖先の功業を記した。
@niseusa
807年ですが、これが大同2年のことですね。 ちなみに大化の改新は西暦でいうと646年ですから、150年くらい前から押されてたんでしょうか。どうにもならなくなって訴えようと作ったのかな…。
Kaiser Matthius @Ryu_Yas0417
@niseusa 『古語拾遺』については、朝廷祭祀の主導権を巡って中臣氏と斎部氏の争いがあり、大同2年当時、祭祀の官職を中臣氏に独占され劣勢にあった斎部広成が、失地を回復すべく平城天皇に斎部氏の正統性を主張するために同書が著したとする愁訴陳情書説が主張されていました。
Kaiser Matthius @Ryu_Yas0417
@niseusa ですが、現在では朝廷が行なった法制整備のための事前調査に対して、斎部氏が提出した報告書であるという説が有力となっています。確かに中臣氏と斎部氏との間に、伊勢神宮の奉幣使を巡る相論があったのですが、大同元年8月10日に斎部氏に対して勝訴の裁定がありました。
Kaiser Matthius @Ryu_Yas0417
@niseusa ですので、『古語拾遺』が平城天皇に上程された大同2年2月13日はこの裁定の後です。勝訴の後に陳情を出すのは不自然ですから、「愁訴陳情書説」は説得力を欠くことになりますね。
Kaiser Matthius @Ryu_Yas0417
@niseusa 当時の政治過程を見るに、平城天皇は式(律令の施行規則)を制定する方針を持っており、それは平城天皇の弟である嵯峨天皇に受け継がれ、弘仁11年(820年)4月に『弘仁式』が編纂されました。
Kaiser Matthius @Ryu_Yas0417
@niseusa 『古語拾遺』の跋に、同書を奉呈した大同2年を「造式の年」(式の編纂開始の年)としているので、このことから、『古語拾遺』は造式のための調査報告書だった可能性があります。
Kaiser Matthius @Ryu_Yas0417
@niseusa なお、この『古語拾遺』には『古事記』『日本書紀』にはない独自の伝承があります。掃守連氏の祖先伝承もその一つです。
@niseusa
古語拾遺…なるほど、中臣に押されて作った説はどちらかというと古い説で、報告書であった、という見方、それも、820年に編纂される『弘仁式』…つまり、律令の施行規則を作るための報告書だった、という説があるんですね。
@niseusa
まって古語拾遺、実は結構貴重というか、ものすごく重要というか、すごい資料なのでは…。さらりと触れてたからそんなに重要なものじゃないと思ってた!
Kaiser Matthius @Ryu_Yas0417
@niseusa 一時期は史料としての信憑性に乏しいと言われていたのですよ。最近はこの史料に注目する学説も増えてきているようですが。
Kaiser Matthius @Ryu_Yas0417
古代の岸和田は和泉国和泉郡に属した。平安時代の承平年間(931年‐938年)に編纂された辞書『和名類聚抄』には和泉郡内10郷が列記されており、その中に掃守郷(かもりごう)がある。
@niseusa
和泉国和泉郡…大阪南部の、和泉市・ 泉大津市・岸和田市・泉北郡忠岡町 だそうです。おお、岸和田入ってる!
Kaiser Matthius @Ryu_Yas0417
この掃守郷の郷域は現在の岸和田市加守町、下松町、上松町、西之内町、宮前町、春木地区、藤井町、別所町、沼町、上野町、下野町などの一帯と推定されている。
Kaiser Matthius @Ryu_Yas0417
『新撰姓氏録』によると掃守郷には掃守首(連)氏が居住したという。この「掃守」の読み方について、『古語拾遺』は興味深い話を伝えている。
@niseusa
『新撰姓氏録』(しんせんしょうじろく)は、平安時代初期の815年(弘仁6年)に、嵯峨天皇の命により編纂された古代氏族名鑑。京および畿内に住む1182氏を、その出自により「皇別」・「神別」・「諸蕃」に分類してその祖先を明らかにし、氏名(うじな)の由来、分岐の様子などを記述するもの。
Kaiser Matthius @Ryu_Yas0417
天祖彦火尊、海神の女豊玉姫命を娉ぎたまひて、彦瀲尊を生みます。誕育したてまつる日に、海浜に室を立てたまひき。時に掃守連遠祖天忍人命、供へ奉り陪侍り。箒を作りて蟹を掃ふ。仍りて鋪設を掌る。遂に職と為す。号けて蟹守(今の俗に借守と謂ふは、彼の詞の転れるなり)と曰ふ。
Kaiser Matthius @Ryu_Yas0417
これによると、掃守部(掃部)の伴造・掃守連氏の遠祖天忍人命は、彦瀲尊(神武天皇の父)誕生の日、海浜に立てた産屋に近づく蟹を箒で掃いて守った。よって、鋪設を職掌とし、「蟹守(カニモリ)」と呼ばれたという。
@niseusa
伴造…とものみやつこ なんですが、すみませんこれちょっとよくわからないです。豪族についてる名前の一部みたいなの?
@niseusa
天忍人命…あめのおしひとのみこと 蟹を掃く人です。
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