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私家版ハイデガースタディー08 時間を現勢的有限の規定とするとき人間は有力化する

語りえないものは、非本来的な語りによって、語らされないものだが、ハイデガーが注目したカントの図式論、超越論的時間規定とはより単純に、永遠時間を語る時、本来の自由が語れない、という問題である。 まず、近刊の菊池健三『カントと動力学の問題』を読む。意識や自我では、霊魂と時間を非実体と規定できない。この霊魂と時間の規定の相剋は、菊池によるとカントでは霊魂を潜勢させる永遠の時間という規定性。それに対して、ハイデガーでは霊魂を現勢させる有限な時間の規定だ。 カントが時間を潜勢した霊魂の不滅として語るために、ヘーゲルは眼前時間と神を、マルクスは時間の永遠と人間の無力を語る。それを非本来的なお喋りとするハイデガーは、存在の証明を休戦するとしたデカルトの要請に応えて、時間を有限と規定しなおし人間の有力とする超越論的想像力を語る。そこでは当然、霊魂という規定は現勢の規定となる。 続きを読む
人文 菊池健三 カント書 存在と時間 ハイデガー カント
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大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
純粋思考というのは現実の可能性のことで、宗教的な決定論のことではないですよ。神ではないということです。日本では宗教がないからか、保守派が無教養を晒すようだけど。@J_J_Kant 法哲学や政治哲学というのはやはり現実的妥当性の枠内~だから純粋思考からすれば全く不徹底な妥協の産物
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
ハイデガーがカントの動揺を収め可能性の中心に言及するときに、デカルトの自我という規定性をバッサリと切り捨てるのだが、それがこの一般的人間という規定なんだろうね。カントが想定した超越の地平を見えなくしてしまうということなんだろう。twitter.com/inja650rr/stat…
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
たとえば、柄谷行人はカントをデカルト化して読み、ハイデガーの規定性をバッサリ切り捨てるのだが、それによってはカントが切り捨てたような起源論に陥ってしまう。twitter.com/sunamajiri/sta… それに終止符を打つには、どの規定性を選択すべきなのか、という問題。
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
デカルト自身はそうでしょうけど、ドイツ語圏ではライプニッツ~ヴォルフの形而上学の近代化のようなことが起こったそうだからねー。それを取り戻すためには自我を規定から外し根本から見直す、ということが起こったんでしょう。@inja650rr デカルト先生はそれに気が付いているのではないか
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
そこで大切なのは、カントをライプニッツに戻すような読みが問題なんでしょう。そのためには、カントが自我から時間に根本的に規定性を変更し、超越論に至った、という道筋に忠実でなければならない。そうでないと隠者さんのいうような自我一般などということになってしまう@inja650rr
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
肝心なことは、一般性を実体化させないことです。自我が一般化してしまうと、霊魂まで一般化してしまう。相対的に霊魂という規定が非一般性として語られるのはそのためです。カント以降、一部西欧人が仏教に惹かれ、ハイデガーに皮肉られるのは、そういう点です。@inja650rr
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
そうそう。戦後のアメリカ支配の原因となった戦前に回帰すればするほど、ますます支配されるという。回帰するのではなく、未来に向かって自立するのでなければね。(^-^)/ @J_J_Kant 日本は自立しなければならないと思う。しかし、自立は戦前回帰じゃないよ。
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
そうです、ハイデガーがカントの時間規定というのも端的に、カントの三種の綜合(直感、再生、概念による再認)を綜合する図式になると、過去のトラウマによって未来が決定論や終末論になることに打ち勝ち、未来の突破口が現在に現れる、という意味です。@J_J_Kant 「未来へ向けての自立」
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
だから、ライプニッツを斥け、規定性を問題にしたカントが、デカルト以降は源泉として聖典化するのです。ここみてください。山本義隆を引いて、遠隔作用と魔術がデカルトまでは同一の規定だが、カントがそれを克服したという話。@J_J_Kant pic.twitter.com/bd04TqALqX
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大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
書物を敵対視したデカルト以降の懐疑を完成に近づけたハイデガーは、カントについては規定性の一点だけを綿密に論証するので読みづらいのだが、その菊池氏は、カントの全生涯をあえて大雑把にとらえることで、ハイデガー以上に明晰に、それがなんであるのか言い当てています。@J_J_Kant
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
LINE RT @LitoSnowfield お薦めの菊池さんの本を尼村でポチりましたよ twitter.com/sunamajiri/sta…
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
ハイデガーのようにカントをテクスト的に解体するというよりは、そのもの(つまりプラトニズムに対するアリストテレス的な霊魂という規定の時間性)についてカントから引き出しているので、読みやすいはずだよ。twitter.com/sunamajiri/sta… @LitoSnowfield
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
簡単にいえば、カントは霊魂というアリストテレスの規定性を、実体化させた近代形而上学(霊魂は身体という実体だという命題、つまりモナドロジー)を、デカルト的な自我規定から斥けようとしてるのだが、ハイデガーはそれをテクスチュアルに確定したに過ぎない。(続く)@LitoSnowfield
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
(承前)それに対して、菊池健三はハイデガー(のカントのテクストクリティーク)に一切触れずに、超越論的時間規定というアリストテレスの霊魂の規定そのものを言い当てており、それが言い当てられない動揺が現代思想の混沌であったにすぎないので、すべて問題解決! @LitoSnowfield
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
これによって何が可能になったかというと、デカルト以後、物理学の遠隔作用(磁力と重力)と魔術の背反の関係が確定的になり、デカルトの自我規定が一般的自我ではなく、霊魂として非実体化し完成したということなのだ。twitter.com/sunamajiri/sta… @LitoSnowfield
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
菊池はハイデガーとはテクストクリティークが対照的だ。ハイデガーは三批判書の中の純理の中のA版の中の図式論をアルキメデスの点のようにテクストクリティークしていくが、菊池はカントの生涯の講義から、図式論=霊魂論の可能性を言い当てている。@LitoSnowfield
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
こうした自我の非一般化、つまり霊魂の非実体化、もっというと霊魂の非身体化という規定性によって、カント以後の動揺がすべて片付けられている。たとえば疎外論(神は人間の模造だ)とか物象化論といった、現代思想を動揺させ続けている無神論が確定的に斥けられている。@LitoSnowfield
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
ハイデガー的な厳密さがないが、かといってその厳密さを批判するだけしか能がない柄谷行人のヤマカンが、単なる無神論を徘徊するだけなのに対して、菊池健三はカントに忠実な、何であるかを言い当てている。それは神を模造することでも霊魂を実体化させることでもない。@LitoSnowfield
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
菊池健三『カントと動力学の問題』の初期書評。ハイデガーとは対照的なアプローチで、図式論=霊魂論という近代以後の規定性の問題に挑む。 facebook.com/kaoru.ohmoto/p…
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
神は人の模造だという疎外論の類も、霊魂という規定が身体のような実体だ、という誤解から派生しただけね。カントは生涯の形而上学講義で、脳の解剖学の話ばかりして、どこにも霊魂の実体なんかないじゃないか。だから超越論的統覚は霊魂だという。それが純粋理性批判。@LitoSnowfield
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
隠者さんが超越論がわからない twitter.com/inja650rr/stat… という。それは霊魂は身体のような実体ではなく統覚のことだ、というカントの超越論を誤解した、霊魂は実体だというロマン主義から、その後の思想的バイアスの反照でしかない。@LitoSnowfield
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
菊池健三に戻ると、こうした規定としての霊魂=統覚の超越論性を、死力やモナドとして、霊魂を単純実体化するライプニッツ~ヴォルフによる形而上学の近代化を、ニュートン力学を比喩として扱うことで、魂の活力化とするのが、カントの動力学なる外延というもの。@LitoSnowfield
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
この死力=単純実体(モナド)として潜勢するのではない、活力としての超越論的統覚が霊魂である、というカントの言い方は、ハイデガーで言えば、霊魂としての自我は眼前の実体として対象化できない、という対象関係の時間関係への超越論性になるというだけなのだ。@LitoSnowfield
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
カントが三種の綜合(想起、再認、概念)を図式論とする超越論的時間規定とは、ハイデガーが言うように、霊魂というアリストテレスの規定は自我のように眼前に対象化させる規定ではなく、単純に時間の規定であるということ。霊魂は自我を対象化させない概念の規定なのだ@LitoSnowfield
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
ハイデガーで言えば、時間規定とは、対象関係(対象化すること)の規則を規定する範疇であるだけなので、霊魂というアリストテレス的な規定は、デカルト的なコギトを対象化させない純粋時間ということになるのだ。だからこそ、これは自他性という問題を孕まないのだ。@LitoSnowfield
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コメント

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri 2015年9月26日
(大幅増量)語りえないものは、非本来的な語りによって、語らされないものだ。ハイデガーが注目したカントの図式論、超越論的時間規定とは、時間が永遠という非本来になる時、本来の自由が語れない、という問題である。
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri 2015年9月26日
リード文追加→意識や自我で、霊魂と時間という非実体を規定できない。この霊魂と時間の規定の相剋は、菊池によるとカントは霊魂を潜勢させる永遠の時間という規定性。それに対して、ハイデガーは霊魂を現勢させる有限な時間の規定だ。
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri 2015年9月26日
紹介文追加→意識や自我では、霊魂と時間を非実体と規定できない。この霊魂と時間の規定の相剋は、菊池によるとカントは霊魂を潜勢させる永遠の時間という規定性。それに対して、ハイデガーは霊魂を現勢させる有限な時間の規定だ。
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri 2015年10月1日
後半大幅増量(^-^)/ まとめを更新しました。
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