被ばく手帳くれないか 規制解除へ 楢葉町住民の不安 「東京新聞」2015年9月1日
- karitoshi2011
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東京新聞:被ばく手帳くれないか 規制解除へ 楢葉町住民の不安:ふくしま便り:東日本大震災(TOKYO Web) tokyo-np.co.jp/article/featur…
2015-09-26 08:36:26一部引用) 東京電力福島第一原発の事故で福島県楢葉町に出されていた避難指示が五日で解除される。町では住民の帰還に拍車をかけようと用意された華やかなイベントがめじろ押しだ。だが、その陰で「解除は早すぎないか」と不安げに漏らす住民も少なくない。不安の元は何か。町を歩いてみた。
2015-09-26 08:38:55一部引用) (前略) それぞれの思いで故郷の復活を楽しみにしている。 だが、今回の解除決定には、必ずしも賛成の住民ばかりではなかった。政府の原子力災害現地対策本部は、もともと八月上旬の解除を目指してきた。 続く)
2015-09-26 08:40:01引用続) ところが住民側から「買い物もできないし、病院もない。生活基盤が整っていないままでの帰還は早すぎる」と反対の声が続出。これに対し、国と町は、商店街や診療所の体裁をなんとか整え、半ば強引に九月五日の解除日を設定した経緯がある。 (続く) @karitoshi2011
2015-09-26 08:42:08引用続き) なぜ、これほどに急ぐのか。住民たちは「東京五輪もあるし、規制区域の存在自体が体裁が悪いからじゃねえべか」と、しらけた顔でいる。(続く) @karitoshi2011
2015-09-26 08:55:32引用続き) 住民が早期解除に不安を抱く理由は、隣接する広野町の例を目の当たりにしているからだ。広野町は原発事故のわずか半年後、二〇一一年九月三十日に規制解除となった。(続く) @karitoshi2011
2015-09-26 08:56:16引用続き) 同町の住民で、今もいわき市の仮設住宅で暮らす阿部憲一さん(53)は「放射線量も高いのに、住民の意向調査も何もなかった。勝手に国と町が決めたんだ。原発の事故処理の最前線基地にするために広野町は必要だったんだ」と推測する。(続く) @karitoshi2011
2015-09-26 08:56:58引用続き) 実際に、広野町は、乱雑なプレハブ宿舎が立ち並ぶ原発作業員の町となった。解除からしばらくして広野町民は、東京電力が支払う精神的苦痛に対する慰謝料(月額一人当たり十万円)の対象でもなくなった。原発事故被災者ではなくなったのだ。(続く) @karitoshi2011
2015-09-26 09:03:02引用続き) 四年が経過して、事故前の住民約五千人のうち約二千二百人が町に帰還したが、多くは経済的な理由からだという。一切の補償がなくなったため、放射能汚染を知りつつも自宅に戻るしか道がなくなったのだ。(続く) @karitoshi2011
2015-09-26 09:03:43〔この部分、特に重要!〕 引用続き) 阿部さんは、こう話す。 「解除したとたん、役人が一切姿を見せなくなったのに驚いた。そのとき私たちは悟ったんだ。解除は役人と東電にとって、一丁上がりってことです」 @karitoshi2011
2015-09-26 09:06:07引用続き) 楢葉町の住民は、この轍(てつ)を踏むまいという気持ちが強い。 楢葉町では解除を前にした住民説明会で「町民に被ばく手帳を交付してほしい」という要望も出た。その理由を匿名を条件に男性(65)が説明してくれた。 (続く) @karitoshi2011
2015-09-26 09:06:57引用続き) 「私らは原発事故で放射能被ばくをした。これからも低線量被ばくは続くだろう。原発事故の被災者である事実は、楢葉町が規制にかかっていようがいまいが変わらないんだ。この点を明確にしておかないと、いつのまにか忘れられてしまう。それが恐ろしいと思う」(福島特別支局長 坂本充孝)
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