秦の実力と始皇帝は何故「統一」を目指したのか

純朴なる敬仲子さんの疑問から始まった会話です
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利亜 @ria__farid

@Historian_nomad @keityusi ( ^д^)<人間も自然の一部という事で。

2015-09-24 18:02:26

本題に戻って

巫俊(ふしゅん) @fushunia

@keityusi 始皇帝が生まれた頃には、秦の領土はもう拡大していて、三国志で言う雍州、益州、荊州と司州(司隷)の大部分を支配する大国になっていました。始皇帝39歳で天下統一ですから、10年じゃなくて40年かけてますね。それと、秦にも封建諸侯がいました。

2015-09-24 02:09:00
敬仲子🐢 @keityusi

@fushunia 最初の韓を滅ぼしてから最後の斉までは10年位で一気にいってますよね。それだけの実力があったにせよ、それをやってしまう動機にはならないと思うんですよ、その前には中華統一国家なんてないので。そこが自分の中でまだ不消化です

2015-09-24 02:15:25
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@keityusi 秦王政時期は秦燕斉同盟VS趙魏韓楚同盟の戦いだったんですが、あまり知られていない気がします。趙魏韓衛楚の五国連合軍が退却して、秦が東郡を再占領すると趙が本土決戦前の状態になりますが、趙が燕の漁陽に猛攻をかけてる間に、秦が趙の業βを陥落させ、六国滅亡が始まります

2015-09-24 17:22:19
敬仲子🐢 @keityusi

@fushunia なぜ統一できたのか、ではなく、なぜ統一しようとしたのか、が不明瞭な点なのです

2015-09-24 17:33:26
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@keityusi 秦がただの盟主国の地位に甘んじようとしなかったのは、戦国時代は覇権を持つ盟主国が寝首をかかれることの繰り返しだったからですね。『呂氏春秋』にその思想が出てきます。そのため、始皇帝は諸侯が結束しないように、裏工作に30万金を投じていました。

2015-09-24 17:42:00
敬仲子🐢 @keityusi

@fushunia あぁ、それで徐々に徐々にの膨張より、寝首をかかれる前に一気に統一して寝首のかきようをなくそうとしたのでしょうか

2015-09-24 17:46:57
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@keityusi 途中で文信侯の呂不韋が殺されていますよね。呂不韋が推挙したロウアイが趙地を占領した広大な地方に封建されてますが、その長信侯ロウアイがすぐに反乱を起こしたので、新封建秩序は無理と悟って、始皇帝は統一策を決意したのだと思います。

2015-09-24 17:51:59
敬仲子🐢 @keityusi

@fushunia ああ、そういう流れは納得です。しかし、それにしても中央集権国家で統一しようとする始皇帝の自信は流石というべきか凄まじいですね。。。

2015-09-24 17:54:55
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@keityusi 韓非子と出会って感動したこととか、他の王族と仲が良いようにも全く見えないので、始皇帝は秦で発達した統治システムだけを信頼したみたいですね。当時は女子にも軍役があったそうですし。

2015-09-24 18:31:56
黒田タケフミ @nisekuro_at

興味深いので一連の流れをリツイートさせて頂きました。 既にご存じかも知れませんが「戦国秦漢時代の都市と国家」江村治樹(白帝社)ISBN4-89174-753-6 などと合せると非常に興味深いですね。

2015-09-25 07:06:32
黒田タケフミ @nisekuro_at

章建てを軽く紹介すると 第三章 都市発達の地域的片寄り 第四章 三晋地域の都市発達の要因 第五章 戦国都市の制度的特質 第六章 三晋都市住民の性格 第七章 都市における「市」の役割 ときて

2015-09-25 07:07:00
黒田タケフミ @nisekuro_at

第八章 秦の天下統一と都市 ここでなぜ秦は天下統一が可能であったのか、兵力・軍事制度について触れたあと東方諸国滅亡の原因で諸説を紹介しつつ、

2015-09-25 07:07:49
黒田タケフミ @nisekuro_at

この時代の東方諸国の文献史料は焚書により失われてしまった以上考古学史料に基づいて考えてみると、として江村氏の新しい視点による秦の統一過程の分析が繰り出される。

2015-09-25 07:08:01
黒田タケフミ @nisekuro_at

独自の通貨発行力(権でなく)を駆使するほどの、一つ一つが都市国家と言えるほどの強大な都市群をもつ三晋地域を押さえるまで秦は苦労したが、この地域を押さえてしまえばこれらの都市群の持つ資力が手に入る。(これらの都市群による秦の統一過程への邪魔が入らない)

2015-09-25 07:09:43
黒田タケフミ @nisekuro_at

そうなればこれほどの強大な都市群によるネットワークを持たない他の東方諸国は併呑するのにさほど時間はかからなかった、と読み解く。

2015-09-25 07:09:56
黒田タケフミ @nisekuro_at

この本は全編このあたりに興味のある人にとっては面白く読める筈のものなので興味があれば手元に一冊。おすすめです。

2015-09-25 07:10:55
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@nisekuro_at リツイートありがとうございました。三晋の都市の話はどう説明しようかと考えていましたが、ご解説もありがとうございます。三晋の韓・魏・趙の三国は、戦国時代の魏の墓から出土した『竹書紀年』では、それぞれ鄭・梁・邯鄲と都市名で呼ばれていて、都市の重要性を感じます

2015-09-25 15:37:27
巫俊(ふしゅん) @fushunia

「キングダム」の連載が始まったとき、違和感を感じたのは、秦が弱い国だという設定になってることでした。「蒼天航路」の曹操のように、少数の兵力での戦いを好む展開にしたかったのかもしれませんが、「李牧」「秦の景公」と読み切りが続いたあと、いきなり少年始皇帝と仲間たちの連載が決まったので

2015-09-26 01:59:44
巫俊(ふしゅん) @fushunia

李牧はマニアック過ぎるとか、「始皇帝」じゃないと売れないとか、そういう事情があったんじゃないかと想像していました。「キングダム」の中で、楚が秦の3倍の領土面積だと誇る場面がありますが、歴史上では、秦王政が即位したとき、既に拡大していた秦の領土面積は、とっくに楚を圧倒していましたし

2015-09-26 02:09:26
巫俊(ふしゅん) @fushunia

ということで、マンガを読む世代の感覚では、素寒貧の創業者の若者の始皇帝がなんと強大な六国に打ち勝って、誰も成し遂げることができなかった天下統一に成功したというイメージが定着してるのかもしれないです。そういう話をするなら、始皇帝の29世代前の祖先くらいから、始めると言いかも(^^;

2015-09-26 02:27:45
巫俊(ふしゅん) @fushunia

これもあんまり知られてないっぽいですが、西周金文(西周時代の青銅器の銘文)には、「秦夷」という宮廷奴隷が出てきて、「西門夷、秦夷、京夷」「戍秦人、降人、服夷」といった名前が列挙されています。彼らはその名前から察して、戦争捕虜やそれに近い階層の人たちと認知されていたようです。

2015-09-26 02:35:05
巫俊(ふしゅん) @fushunia

白川静の『金文通釈』を見ていて、この「秦夷」に出会ったときは、ドキっとしたんですけど、この後、2012年に情報が開示された清華大学所蔵戦国竹簡「繋年」に、「成王伐商蓋,殺飛廉,西遷商蓋之民于朱圉,以御奴虘之戎,是秦之先」と書いてあって、飛び上がるくらいびっくりしました。

2015-09-26 02:40:27
巫俊(ふしゅん) @fushunia

つまり、21世紀になってから出土した年代記(戦国時代に書かれたもの)に「繋年」(けいねん)という書があって、そこに西周の成王(武王の子)が山東省のあたりに親征したときの話が書かれていて、このとき周に連れて来られた戦争捕虜の「商蓋の民」が秦の王室の祖先だと書かれていました。

2015-09-26 02:46:49