「痛覚」のない病・・・多様性を失うとどうなるか

権力者は自分と同じ思想で国を染め上げたいと願いがち。しかし多様な意見、報道の自由を失った国は滅びの道を歩む。なぜなら、民主主義国において多様な意見と報道の自由は、人間の痛覚にあたり、君主制における諫言に位置するからだ。
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shinshinohara @ShinShinohara

世にも不思議な奇病がある。全く痛みを感じない病気。少し羨ましい気もするが、命に関わる。この病気の子供は痛みを感じないために限界を知らず、平気で高いところから飛び降りて骨が折れる。死に至りかねない大ケガをしても痛くない、恐ろしい病気。痛覚という生命維持のシグナルが欠如している。

2015-09-28 21:52:46
shinshinohara @ShinShinohara

痛い、苦い、かゆい、寒い、熱い。これらの不快な感覚は、私たちを嫌な気分にさせる。しかしこれらの感覚が自分のおかれている状況を正確に教えてくれるから、私たちは生命を維持できる。もしこれらの不快な感覚を嫌って心地よい快感だけを求めたとしたら、私たちは生命を維持できない。

2015-09-28 21:55:57
shinshinohara @ShinShinohara

政治にも「痛覚」は非常に重要だ。君主制の時代には勇気をもって「諫言」する臣下を持つことが優れた君主の証とされた。「そんなことを続けては大変なことになりますよ」たとえ君主にとって不快な忠告でも敢えてする臣。「良薬は口に苦く諫言は耳に痛し」とも言う。諫言は君主の痛覚にあたる。

2015-09-28 21:59:40
shinshinohara @ShinShinohara

もし耳に心地よい言葉だけを語る臣下だらけになったら、君主は自分の状態を正確に把握できなくなり、道を誤るようになる。痛覚を失った子供が骨折しても遊び続けるように、国が危機に陥っていても腐敗堕落をやめられなくなる。諫言は、君主にとって生命維持に必須の痛覚だった。

2015-09-28 22:02:25
shinshinohara @ShinShinohara

民主主義の時代に諫言に相当する役割を果たすのが言論の自由であり、多様な意見。権力者が嫌がるような意見が出てくることが、民主主義国にとっての「痛覚」になる。もしこの痛覚を失えば、痛みを知らない子供のように、諫言する臣下を持たない君主のように、滅びの道を歩むことになるだろう。

2015-09-28 22:08:34
shinshinohara @ShinShinohara

報道の自由と多様な意見を認めないことは「痛覚」を失うことに等しい。権力者と同じ意見しか言えないような空気、権力者におもねるような人間しか出世できない社会システムは、権力者にとって心地よいだろうが、それは痛みを拒否して麻薬に耽溺する中毒患者の姿と瓜二つ。

2015-09-28 22:11:29
shinshinohara @ShinShinohara

今の日本は「痛覚」を拒否し始めていないか。報道の自由が失われ、多様な意見が政治に反映しない社会は、痛覚の訴えを無視する麻薬常習者のような状態。やがて正確な情報を得ることができなくなり、もっと耳に心地よい言葉(おべっか)を求め、歯止めが利かなくなるだろう。こうして国は滅ぶ。

2015-09-28 22:16:08
shinshinohara @ShinShinohara

痛覚を取り戻せ!痛みもかゆみも苦さも寒さも熱さも、私たちの生命を維持するために重要なシグナルであるように、報道の自由と多様な意見は、社会の、国にとっての「痛覚」である。痛覚を失えば命が危ぶまれるように、多様性を失った国は危うい。痛覚を失うな!痛覚を恐れて甘言にすがるなかれ!

2015-09-28 22:19:06