報道されている殺人セクトの所業と開き直りには、驚きもない。生き延びた人の今後のためにも、これまでと同じく、自分が参加する街頭行動では、陰惨な化石セクトと妥協なく対峙する。若者を魔の手に渡さない。ただ、とりわけ自分のようなレフトが言うべきことが、もうすこしある。まだ掴みきれない。
2015-09-30 02:21:55最近の街頭行動におけるセクトの拒否について、左から抵抗感が語られるとき、そこには大きく分けて、リベラルなものと、ほんとうに左派的なものがある。かんたんに列挙して反論すると
2015-09-30 02:28:51「差別的だ」:違う。セクトは、「過激だから」といった漠然とした"属性"イメージで排除されているのではない。彼らは、現在も誇っている数々の殺人事件と継続方針のために排除される。殺人事件の具体性を知ればたいてい終わる抵抗感。属性差別を受けているマイノリティとの類比は論外。
2015-09-30 02:35:29「表現の自由の侵害」:違う。表現の自由はつねに複数形である。セクトのいない現場、表現を作りたい人(主催)と、わざわざそこに入って行って、デモの趣旨と継続可能性を破壊する表現を目指す人(セクト)の自由は衝突する。一方のみ擁護するのは間違い。ゾーニングは最低ラインの妥協案。
2015-09-30 02:37:47「治安権力との対決」:違う。セクトの、戦術的に一切無益な、パターン化された逮捕劇は、対決ではない。持ちつ持たれつの癒着である。「国家権力」と群衆のあいだには不分明な緊張関係が生じるが、セクトはそれを簒奪、矮小化して自己延命する。セクトがいるかぎり必要な対峙は持続しない。
2015-09-30 02:40:39以上は、セクトを拒否することへの「違和感」のうち、リベラルの範囲内で出てくる話。その先に、レフトに特有の「違和感」がある。
2015-09-30 02:44:09それは、彼ら(左の知識ある人々)が大昔に諦めた大義の、"汚れているからこそ尊い残滓"のようなものを、生き残った化石セクトに託し、裏切らない自分の密かな矜持のように思ってしまうこと。自分から見ると、これこそほんとうの問題。
2015-09-30 02:44:36このタイプの人々は、セクトの暴力の実例を見つめても、彼らの狼藉を言われても、情けなさを示されても、決して切らない。「ふだんは口にすることも本気で言うこともない、どこかで信じているはずの大義がいつか直面するはずの対決」の汚れ仕事をセクトに託し、裏切らない自分を慰めているからだ。
2015-09-30 02:47:26そういう人たちは、メランコリーに陥っているのである。実は、もはや大義を信じていない。「自分たちは大義をどこかでまだ信じているはずだ」と思い続けたいだけである。こういう人にとって最大の脅威は、現実に大義に近づこうとする動きだ。
2015-09-30 02:51:39セクトのような敗北の化石のなかに「世間に理解されない汚れ」があって、「それを自分はどこかで見捨てない」というポジションは、ほんとうに大義orientedな運動が出てくると保てなくなる。
2015-09-30 02:52:40書いたことは、「いまの運動」を批判するすべてのタイプの人に当てはまるわけではありません。レフトである自分にとって、その無理解が悲しく感じられる人々には、当てはまるかもしれない。
2015-09-30 02:56:12