佐賀県の名前の由来「とてつもなく高い木」の高さは3867メートルもあった?

『肥前国風土記』に出てくる「栄国」(さかのくに)の地名の由来。佐賀県の古代史、戦国史など。
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巫俊(ふしゅん) @fushunia

高さ634メートルの東京スカイツリーに夕日が当たると、影が3.01キロメートル伸びて、荒川を越えます。

2015-10-01 04:18:45
巫俊(ふしゅん) @fushunia

さて『肥前国風土記』に出てくる「佐賀の世界樹」に夕日が当たると、その樹の影が養父郡の草横山にかかったとあります。 佐賀新聞によると、草横山は現在の九千部山(佐賀・福岡県境)と伝えられているとのこと。 saga-s.co.jp/news/saga/1010…

2015-10-01 04:19:15
巫俊(ふしゅん) @fushunia

「巨木伝承と太陽観測」というサイトには、この世界樹が生えていた場所の推定位置が記載されていて、 net-site.co.jp/app-def/S-102/… 佐賀県佐賀市大和町大字久池井 とのことです。

2015-10-01 04:19:34
巫俊(ふしゅん) @fushunia

計算してみました。佐賀市大和町大字久池井にある北春日小学校から九千部山山頂までは、18.3キロメートルです。 東京スカイツリーの高さと夕日が当たった時の影の長さが分かっているので、

2015-10-01 04:19:50
巫俊(ふしゅん) @fushunia

佐賀の世界樹の高さは3867.4メートルです。 富士山の標高が3776メートルですから、佐賀の世界樹は富士山より大きい!

2015-10-01 04:19:59

佐賀県の歴史って、知らないことだらけです。そういえば、

佐賀の戦国史 @sagasengoku

【あと3日】佐賀の戦国史 第六回 ~肥前千葉氏と戦国前夜~ ■日時:10/4、13:00~15:30 ■料金:500円(冊子資料付)■場所:佐賀城本丸歴史館//元寇をきっかけに肥前に土着した下総千葉宗家の長男の一族は、室町時代中期に最盛期を迎え、応仁の乱で東軍として出兵します。

2015-10-01 02:02:32

佐賀の戦国史講演会まで、あと3日じゃないですか

佐賀の戦国史 @sagasengoku

★冊子資料完成★ 10月4日、講演会場にて入手できます。全48ページ。関連年表付。 pic.twitter.com/MFFRazvDdg

2015-09-27 12:10:38
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アニメーション風の動画告知も有り!

佐賀の戦国史 @sagasengoku

【PV】佐賀の戦国史 第六回 ~肥前千葉氏と戦国前夜~ ★グラフィックデザイン総括:さにをん氏@oni3ino の製作★ ひとつの物語になっています。素晴らしい力作に大感謝!!背中を向けた日足紋の男は、つまり・・// youtube.com/watch?v=0x7f49… /#拡散希望

2015-09-19 18:46:49
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佐賀の戦国史 @sagasengoku

【PV】佐賀の戦国史 第六回 ~肥前千葉氏と戦国前夜~ ★グラフィックデザイン総括:さにをん氏@oni3ino の製作★ ひとつの物語になっています。素晴らしい力作に大感謝!!背中を向けた日足紋の男は、つまり・・// youtube.com/watch?v=0x7f49… /#拡散希望

2015-09-19 18:46:49
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巫俊(ふしゅん) @fushunia

元寇に際して、東国から九州に下向してきた御家人の千葉氏が、肥前国小城郡、佐賀郡、杵島郡などに勢力を伸ばし、「佐賀県」のまとまりの母体になったそうです。

2015-10-01 04:38:27
巫俊(ふしゅん) @fushunia

肥前国って、長崎県と佐賀県がありますから、不思議だったんですよね。山や半島が多い肥前国内でも、一番大きな平野(佐賀平野)から、あの竜造寺隆信や鍋島直茂が出てくると。佐賀藩の礎を築いた鍋島直茂は、子どもの頃、その千葉氏の養子になっていたそうです。

2015-10-01 04:43:47
巫俊(ふしゅん) @fushunia

鎌倉時代の千葉氏は伊賀国守護だったし、「忍びの国伊賀」の悪党たちを手懐けながら、鎌倉時代末期の動乱では、京都に向かったそうです。「忍び」という言葉の初出は『太平記』なので、まだ忍者はいませんが、その元になる伊賀の国人集団が生まれていた頃です。

2015-10-01 04:48:42
巫俊(ふしゅん) @fushunia

大内、大友、少弐といった戦国勢力の九州北部での争いの中で、その後背地というか、南の千葉氏の領域のなかでも、彼らの代理戦争が起こるとか。竜造寺氏はそうした中で、北からの侵攻を佐賀で跳ね退け、台頭してくるそうです。

2015-10-01 04:59:13

佐賀県といえば、縄文末~弥生早期の「支石墓」が出土しています。

巫俊(ふしゅん) @fushunia

支石墓っていうのは、五島列島をふくむ長崎県で活躍していた漁民の集団がつくった3メートルくらいの板石を支柱で支えた墓で、RPGで魔界のゲートによく出てくる遺跡みたいな雰囲気があるアレ(ドルメン)に似てます。

2015-10-01 05:02:34

長崎県の支石墓人骨は、縄文型で、少数の外から来た青銅漁民が縄文人と暮らした

巫俊(ふしゅん) @fushunia

彼らが、遼東半島や朝鮮半島西海岸の同じ支石墓の漁民集団と交流していて、いち早く、日本に青銅器文化を持ってきたのです。さいしょは青銅のナイフからです。稲作もついでに持ってきたんじゃないかと言われています。

2015-10-01 05:03:57
巫俊(ふしゅん) @fushunia

そのことは、togetter.com/li/865408 「古代日本語の話とか」に私のツイートをまとめて頂いています。「倭」(わ)という名前の起源は、古代の日本語で舟のことを「ワニ」と呼んだことに由来するという説もあるようです。中国側がさいしょに接触したのは、海の民の倭人でした

2015-10-01 05:07:50
巫俊(ふしゅん) @fushunia

そして、面白いことに、遼東半島(長江文明から北上した稲作集団の海の泰が、ここで青銅器文明と接触した)に起源している支石墓の文化は、日本だと、長崎県と福岡県の糸島半島、佐賀県、熊本県などに分布していて、九州の西側の海に集中しているんですよね

2015-10-01 05:10:25
巫俊(ふしゅん) @fushunia

一方で、福岡県の福岡平野からは、支石墓が1例も無いそうです。石がある場所に墓をつくるという条件があるそうですが、長崎県、佐賀県、熊本県と福岡県糸島半島の共通点って、古代に「肥君」(ひのきみ)氏が分布していたところなんですよね。肥前、肥後の「肥」(火)の国は、海でつながっていると

2015-10-01 05:13:34
巫俊(ふしゅん) @fushunia

肥君の一族は、筑紫の磐井の盟友だったようですが、直前でヤマト朝廷の継体天皇の側についたようです。私は邪馬台国は「九州北部から近畿地方までの交易利益連合」(古代の宮処は王とともにどこにでも移動する)で、狗奴国は長崎県~熊本県の交易利害が一致しない勢力だと考えてました。

2015-10-01 05:18:18

話を戻して