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私家版ハイデガースタディー 欄外 隠者氏の無限後退するボンセンス

ハイデガーは、空間を時間に止揚する弁証法を退けるが、日本では戦前の西田からニューアカに到るまで、弁証法を擁護するためにハイデガーに対する偏向を語る。そういう話をしてたら、ニューアカすら読んでいない隠者君が、実証こそ釈迦の言う明証だといわんばかりだ。それは権威が教養を解体し、解説書しかないからだ、という。確かにデカルトは普遍論争を無限遡行として切り捨てているが、隠者氏は、ラビ的な一般論で無限遡行しているように、私には見える。彼のボンセンスとは弁証法が成立しない、そういう話題になったので、切り抜いておく。 http://t.co/pF5ze9zQAI の話題をしたら、ハイデガーの明証性も陰謀論のようで、実証的でない、という形而上学を隠者さんが語り始めたので、前後の文脈丸ごとの切り抜き。 とはいえ、単なる対話は体系的ではない。http://togetter.com/li/878618 からの欄外注的な会話であるに過ぎない。
人文 弁証法 明証性 デカルト ハイデガー 方法的懐疑
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大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
カントが時間を潜勢した霊魂の不滅として語るために、ヘーゲルは眼前時間と神をマルクスは時間の永遠と人間の無力を語る。それを非本来的なお喋りとするハイデガーは存在の不証明を要請したデカルトに応えて、時間を有限と規定し直し人間の有力を語る。 pic.twitter.com/DO6T8vEvHa
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大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
「私家版ハイデガースタディー08 時間を現勢的有限の規定とするとき人間は有力化する」をトゥギャりました。 togetter.com/li/878618
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
あえて140字で約言に興じているからね。動力学に対する数学が存在証明(神学)ではないという問題が、そんな文字数で収まらないから、現実的に日本では文系理系という派生が起こったようなものだからね。しかし、ハイデガーでは単に有限時間の問題として一文化されている。@doctor0621
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
「存在証明しないこと」をどのように実現できるかといえば、時間に死という限界、つまり死後に他人が継承する永遠時間などない、と時間を再規定すればよい。これは常識的に日本人が動揺するほどの問題ではないのだが、存在証明ということを課せられた彼らにとっては大問題。@doctor0621
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
逆説すれば、死後に継続する時間は、時間ではない、という再規定は、単に存在証明をしない、あるいは存在証明はできない、ということの謂(言い換え)なので、文字通りに受け取る必要があるわけでもない。日本語的に言い直すと、デカルト的要請は方便なのだ。@doctor0621
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
以上は、ハイデガーの『存在と時間』を補う『カント書』にある、有限時間という問題と、それを踏まえてカントを読みなおしている菊池健三の近刊『カントと動力学の問題』から得た霊感に過ぎませんが、今日本にあるパニックは、単なる反知性主義に収まらないのでしょう。@doctor0621
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
ハイデガーは、日本の教科書的には無神論的実存主義だが、最近はハイデガーを実存主義とは語らない。実存とはデカルトの自我をモノのように対象化して無限後退しないことだが、しかしそれを境地のように対象化して、さらに無限後退を加速させることでもない。なお~ @doctor0621
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
なお、ハイデガーの永遠時間の拒否という問題は、主著の『存在と時間』のヘーゲル批判の箇所が一番分かりやすい叙述です。第81~82節あたり。ベルクソンの時間規定の問題 twitter.com/sunamajiri/sta… は注で欄外化されてます。@doctor0621
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
今日、日本にパニックがあるのだとすると、それはよく言われるような反知性主義には収まらない。それは自我という規約を、境地のように誤解する、一種の信仰のようなもので、その解体の停滞という具体的な問題は、むしろ楽観すべきだ。twitter.com/sunamajiri/sta…
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
存在証明はやめましょう、という規約のことであるデカルト的懐疑(デカルト的要請)というのは、実存主義のように自我を境地に無限後退させることではなく、むしろハイデガーのように規約解体に直面することであるに過ぎない。twitter.com/sunamajiri/sta…
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
結論から言うと、存在証明を断念する規約は、境地というより方便なのであって、無神論的実存主義のように、存在証明が真に排除されたわけではない。しかし、デカルトの規約を境地として受け止める実存主義では、却って存在証明が単純にできなくなる、というだけなのだろう。
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
要するに、デカルト的規約を真に受けるかどうか、言い換えると自我を境地として語るかどうか、という問題だが、たとえばヤスパースの実存開明と対比させると、いかにハイデガーがデカルトを規約として捉えているか、が判明になる。
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
なぜこの話を、日本のパニックとして語るかというと、フォロワーさんにある混乱が、この一点に凝集されているからだ。デカルト的な規約を、一つの境地として受け止めるのか、それとも方便として受け止めるのか。ウィトゲンシュタインが遠回しに触れたこの問題に直接触れたのはハイデガーだけだろう。
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
じつは昨晩、中嶋さんと温泉の食堂でした哲学談義は2つで、一つがデカルトを境地として語ることは実存主義か、もう一つはキルケゴールとヤスパースは有神論的だが、ほんとうにハイデガーは無神論的なのか、という話だったのだ。twitter.com/sunamajiri/sta…
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
なお、ここで(あるいはほとんどいつも)問題にしているハイデガーというのは、戦後のことではなく、戦前の『存在と時間』から『カント書』に到る、時間規定の解体、つまりデカルト的方法の規約の解体、という問題だ。
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
もちろん、ヤスパースとの対比は、来月シンポのある初期ハイデガーを現代思想の着手点とする問題(『存在と時間』までの成立史の問題)で、『存在と時間』破綻後から、カント書に到る規約解体の問題(いわゆる内的必然性の問題)とは、書誌的に厳密に異なるのだが、当然、問題としては必然的に同じ。
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
たとえば、菊池健三 twitter.com/sunamajiri/sta… が、三批判書にある超越論性を、より大きな動力学という視点、潜勢的霊魂論の永遠時間の規定と捉えられたのも、批判書の前後を縦断するからで、ハイデガーの内的必然性=規約解体の問題も、カント書までは縦断的であるべきだ。
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
カントとハイデガーがテクスト性となるのは、重箱ではなく、規約(潜勢的霊魂論の永遠時間の規定)と、規約解体(永遠時間を解体する霊魂の現勢的規定)という、縦断的な論点なので、それを把捉できないものは、テクストクリティカルではない。
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
テクストというのは本来的に、神の契約しか記述できないので、方法的懐疑以降、テクストのキャノン(神聖化)とは、主に規約解体(現勢的時間による霊魂という根源の再規定)の問題としてしか直面することができない。要するにリセットのことである。
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
ちょっと余談だが、契約が人と人との契約であることができないのは、こうしたリセットをまつまでもないのだが、それは方法的懐疑と一つも矛盾していない。
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
たとえば、永井均が、ウィトゲンシュタイン的な欄外でハイデガーの規約解体に言及的なのだが、ハイデガーはウィトゲンシュタインのように規約解体に迂遠に触れてるのではなく、そのものを遂行している。
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
ところで、冒頭の反知性主義に収まらない、というのは、内田樹などのホフスタッターになぞらえた現在の日本の知的パニックについてなのだが、それらはすべて無神論的転倒、つまりヘーゲルを有神論的、ハイデガーを無神論的と誤解する転倒に見える。
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
知性とはスピノザの知性改善論や、カントによるデカルトの悟性解釈という古典の問題であるよりは、現代的なハイデガーによる解釈学的転回を受け止める知性に厳密化されるべきで、ホフスタッター的反知性主義と曖昧化されるのは得策ではない。twitter.com/sunamajiri/sta…
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
その言い方では、おそらく少し言葉遊びが含まれているのだが、彼らの事象そのものとしての時間、つまり自然そのものとは、いわばそのとおり。@BeTakada 生命で在れる時間が有限で有る、単にそれだけの事象ではないのか。
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