夏目陽による『小説のストラテジー』と『小説の自由』の比較

小説論。
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なつめ @natsume_yoh

佐藤亜紀『小説のストラテジー』と保坂和志『小説の自由』を同時に読んでいるけれどかなりスリルある読書

2009-11-16 19:58:07
なつめ @natsume_yoh

佐藤亜紀と保坂和志の小説論で共通している部分もあるし(フィクションは運動により生まれる)、共通していない部分もある。その共通していない部分が熱い

2009-11-16 20:01:20
なつめ @natsume_yoh

佐藤亜紀の小説の把握の仕方は5章まで読む限り1章で行なった絵画の解釈とほぼ同一で、細部から全体の構成を立ち上げ、また細部の読みに反映するという方法を取っている

2009-11-16 20:04:49
なつめ @natsume_yoh

だけど、保坂和志は全体の構成の部分にそれは仮想的にしか得られないという。音楽において視覚的な構造(シンメトリであるとか)を耳で聞き取ることが出来るとは限らない

2009-11-16 20:11:27
なつめ @natsume_yoh

そして時間の中で展開されるという意味で、音楽は小説に似ている。それらはどりょくをしても絵画のような視覚的な一挙性は得られないという。

2009-11-16 20:14:25
なつめ @natsume_yoh

ここらへんに保坂和志の小説論の肝がありそう。このあと保坂和志は視覚化されない思考について書くし、メタレベルを欠いた小説について書く。

2009-11-16 20:19:41
なつめ @natsume_yoh

佐藤亜紀はたぶんこの視るに近いんだろうけれど保坂和志は考えるに近いと思う。

2009-11-16 20:22:44
なつめ @natsume_yoh

だから『小説の自由』の後半部分は確かに構成、文章についてであるものの、それが根本的に「考える」を主題にしている点だと思う。

2009-11-16 20:27:17
なつめ @natsume_yoh

青木淳悟『クレーターのほとりで』は保坂和志の解釈に従うなら佐藤亜紀風の解釈では厳しいことになるんだろうなあ。「全体として何と呼べばいいか」わからない小説だから、細部から全体を立ち上げることが出来ない

2009-11-16 20:34:45
なつめ @natsume_yoh

だけど佐藤亜紀はけっこう観賞に対して徹底的な立場を取っているから、ちゃんと聴けば(見ればor読めば)わかるよって感じで厳しい

2009-11-16 20:37:16
なつめ @natsume_yoh

個人的にはメタレベルのなさが見通しのきかなさとか整理のされてなさに繋がるのかなと思う。

2009-11-16 20:38:43
なつめ @natsume_yoh

まあ、あとで読んで考えよう

2009-11-16 20:39:22