- millionsage
- 1166
- 2
- 0
- 0
教員はご褒美に飢えている。だから、笑顔笑顔とやたら言う。せめて笑顔が見たいから。ほんとうの笑顔でなくちゃ価値はないのに、うっかり、にせものの笑顔にもすがりついて喜んでしまう。子どもはそれを見透かすから、冷静でなくてはいけないのにね。寂しいと飛びついてしまう。
2015-10-10 19:44:19教員はご褒美に飢えている。だから、組体操の成功が見たい。子どものドヤ顔が見たい。笑顔が見たい。保護者の感動の涙が見たい。見たいから見えない。泣いてる子どもも、怖がっている子どもも、心配する保護者も。視界の中で小さく小さくなって見えない。分かっていない。見えてないことを知らない。
2015-10-10 19:51:27教員はご褒美に飢えている。ご褒美がもらえると思って教員になったのに、いつまでたってもご褒美がもらえないことに気付く。「仕事の成果は子どもが大人になったときに出る」なんて言われちゃって、目の前の子どもがちっとも良くならないように見えるのを、しんどい気持ちで支え続ける。
2015-10-10 19:53:33笑顔をくれない子どもを、できるようにならない子どもを、自分を信じてくれない子どもを、どうしたら愛せるだろうと思いながら毎日を試行錯誤でやり過ごす。努力しているようには見えないかもしれない。そこに感情的な声が浴びせられることがある。この努力に報いが欲しいと思う日がある。
2015-10-10 19:57:58展覧会、発表会、運動会、私は否定しない。子どもの励みになるように、自分の適正や興味を知るために、あるいは具体的な目標となるように、あれらは利用するものだ。
2015-10-10 20:03:27展覧会、発表会、運動会。子どものためのものだけど、やってみて分かる。教員はご褒美が味わえる。子どもが何かやり遂げる姿。誇らしげな笑顔。喜ぶ保護者。上司や先輩も褒めてくれる。何か良いものをもたらしたのだと思い上がる。
2015-10-10 20:07:30この子たちの成長は、喜びは、私のお陰だ、手柄だと思いたい。思い込む。うっとりする。とても気持ちがいい。気分がいい。報われたように感じられる。普段、文句を言うあの保護者だって泣いているじゃないかと、それは私の力だと、黒い満足感に包まれる。
2015-10-10 20:10:58もっと泣かせたい。保護者を。もっとすごいと思われたい。自分が。子どもは「成長」しているんだ。だってこんな難しいことができるようになったじゃないか。私のお陰だ。感謝しているだろう。尊敬するだろう。教員は物語の虜になって、子どもたちを見失った自分に気付かない。
2015-10-10 20:16:45やらせたらできた。だから、大丈夫。保護者は泣いているし、子どもの顔は自信と誇りに満ちているし、校長は褒めてくれたし、下の子たちは来年は自分たちもやりたいと目を輝かす。だから、自分は正しい。正しいことをしている。欲しかったご褒美が手元にある。
2015-10-10 20:21:01段数に制限をつけることが、子どもの可能性を制限するというならば、可能性を制限されたという子どもたちは力を伸ばすことができないのか。3段の学校は6段の学校に劣るのか。3段の教員は5段の教員に劣るのか。3段の子どもたちは6段の子どもたちに劣るのか。傲慢ではないか。
2015-10-10 20:25:23教員はしばしば集団で夢を見る。もらいたいときにもらえなかったご褒美を、与え合い、約束し合って、辛い日を耐えようとする。子どもを置き去りにして。
2015-10-10 20:33:07学校が危険に関心が無いわけではないことは、アレルギー対応の歴史から見ても分かる。アレルギーの子どもは給食を出してもらえなかった。弁当を持参した。学校が除去食の要望に難色を示したのは、作業が煩瑣であること以上に、事故を恐れたからだ。
2015-10-10 20:37:01除去食を出したって、遊具を存続させたって、ご褒美はもらえない。子どもも保護者もきっと当たり前の顔をする。だから、安全を優先することにためらいはない。
2015-10-10 20:40:56アレルギーの事故も、遊具の事故も、組体操の「事故」も、一人の子どもにとっては同じように重大なはずなのに、教員の集団がつくる感覚はアンバランスだ。
2015-10-10 20:42:27