【織田家?】織田廟宗家とは

【参考文献】 安土町史編纂委員会編『安土町史 史料編1』安土町教育委員会 1983年 篠川直編『柏原織田家臣系譜』1891年 東京新聞(神奈川版) 2004年5月21日
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のいまご @noimago

当代の曽祖父である十代目の宗敦。「織田山城守信民公養子ニシテ、実ハ津田内蔵助頼道ノ養子ナリ」とある。津田家は織田高長の五男、津田頼房を祖とする家。まず津田頼道の養子となって織田信民の養子になったという意味か。九代目までは正しく織田家の出であったが、それがここで途切れてしまう。

2015-10-11 00:23:08
のいまご @noimago

十代目の実家は柏原織田家の家臣、田中家。田中宗彝の孫とある。『柏原織田家臣系譜』で田中宗彝を確認できる。孫は宗教(通称は喜多治)、宗致(通称は甫)の二人。後者には琢磨という養子の記載もあるので、十代目はおそらく前者と考えられる。

2015-10-11 00:29:56
のいまご @noimago

維新後の詳細は割愛するとして、十代目は明治38年(1905)12月16日、48歳で亡くなった。後を継いだのは十一代目の三郎。三郎は十代目の実子ではなく、甥である。詳しくは「元山上藩稲垣公ノ代官田中宗成三男」とある。

2015-10-11 00:39:55
のいまご @noimago

十一代目の詳細はよく分からないが、昭和20年(1945)に亡くなったと十二代目が語っている。資料を読むと、十代目のときに樺太に渡り、漁業を営んでいたようだが、十一代目は十二代目を樺太に残して安土に帰り、十二代目の実母もほどなく亡くなり、十二代目は養父母に育てられたという。

2015-10-11 00:48:45
のいまご @noimago

そして十二代目の語りを読むに1980年代半ばであろう、自分が安土城跡内の土地百坪の所有者であると判明したことから、現在に至る…らしい。

2015-10-11 00:53:40