「虚構」と「現実」の力関係から見るミステリの評価軸のシフト(私的観察に基づく「高度経済成長期」との関連)

「読者層」の意識の変容によるミステリの潮流の見直しについて( http://togetter.com/li/882575 )を私的観察から補足
4
じねん @jinensai

受け手の意識のシフトはやはり重要な要素。(録画でサブカル見おわた)

2015-10-11 19:02:51
じねん @jinensai

(人類が宇宙行って月に降り立つとか、未来感溢れる万博とかが現実世界で次々起こってたら、希望に満ちた現実世界をベースにしたミステリが優勢になるか…。荒唐無稽はむしろ夢としてSFに収斂していくわな…。)(録画でサブカル見おわた)

2015-10-11 19:26:03
じねん @jinensai

『日本沈没』が74年の推理作家協会賞なのも、送り手と受け手が相互交流空間として列島全域を「共有」していたと考えれば、あながち間違ってはいないんじゃないか。無意識は時に真実を射抜くものでもある。(録画でサブカル見おわた)

2015-10-11 19:39:27
じねん @jinensai

自分史的に振り返ると、小学校の頃はむしろSF寄りだったかもな…。自宅の少年少女文学全集でヴェルヌやウェルズに親しんでたし、学級文庫の宇宙ものやTVのタイムトラベラーとかにも入れ込んでたし。1年生の時に月面着陸、2年生の時に万博だから、時代の空気にあてられてたことは否めない。(続

2015-10-11 21:47:56
じねん @jinensai

承)転機はどこかと考えると兄の購読してた中学一年コースの『胡蝶幻太郎シリーズ』(池田雄一 文/柳柊二 画/胡蝶幻太郎役=千葉真一・実写)だった気がする。「問題篇」と「解答篇」に分けられており、胡蝶幻太郎と推理勝負できる趣向で、千葉さんの実写と柳さんの画のコラボが凝っていた。(続

2015-10-11 21:57:07
じねん @jinensai

承)今にして思えば、千葉さんの写真と柳さんの画という組み合わせ自体が虚実のグレーゾーンそのものだったわけで、送り手と受け手が作品空間を「共有」する仕組みになっていたことは興味深い。自分のルーツがどこにあったか分かることは、ものの考え方を自覚的にとらえる上で貴重な体験だ。(続

2015-10-11 22:02:35
じねん @jinensai

承)それが1971で、1972には『太陽にほえろ!』、1973頃に『刑事コロンボ』(←兄の紹介)とハマって、読書の方では『仮題中学殺人事件』(辻真先)と『蜃気楼博士』(都筑道夫)に出会う。中学校に上がると、兄の影響で推理小説も書き始め、この頃にはミステリに完全に転んでいた。(続

2015-10-11 22:09:47
じねん @jinensai

承)中学3年~高校1年には『横溝正史シリーズ』(Ⅰ、Ⅱ)にどっぷりハマり、高校2年の誕生日に、やはり兄から『駈け出した死体』と『義眼殺人事件』(ペリイ・メイスン・シリーズ/E・S・ガードナー)をプレゼントされてのめり込む。要所要所で兄が絡んでるのが改めて驚きである。(続

2015-10-11 22:15:47
じねん @jinensai

承)中学頃には「高度経済成長期」が頭打ちになってて、先行き不安が広がる中、UFO、ノストラダムス、オカルトと木曜スペシャル全開な状況にブルース・リーという訳分からん状況が訪れていた。この頃に虚実の逆転は始まっていたのかも知れない。「現実>虚構」でも、方向は斜め上にズレていた。(続

2015-10-11 22:24:26
じねん @jinensai

承)現実がしらけてしまったことが、結果的に横溝の「お化け屋敷」の再登場を促したのかも知れない。乱歩亡き後の巨星として「権威づけ」に担ぎ出されたという一面もあるだろう。大学1年の冬に長編に取り組んでいる最中に訃報を聞き、一生涯書いて、不朽のものを残そうと心に誓ったものだ。(続

2015-10-11 22:36:08
じねん @jinensai

承)かといって既にトリックは出尽くした感があり、雑誌も中間小説が多く一人歩きしたリアリティーが虚実のバランスが「現実<虚構」に傾いても惰性で続いてるという状況。どうしたもんかなあと思い悩んだものだ。新本格黎明期より前で、試行錯誤を繰り返しながら自分のスタイルを模索したものだ。(続

2015-10-11 22:47:00
じねん @jinensai

承)現在の作風に連なる「集団ディスカッション推理」を言い出したのもこの頃(1982~1984)だった。当時は完全に眼高手低だったので、なかなか思うにまかせず、そうこうしてるうちに新本格ブームが到来するという順番。歓迎してはいるが、世界を閉じてしまう傾向には首肯しかねている。(続

2015-10-11 22:56:04
じねん @jinensai

承)閉じてしまうことでグレーゾーンを往還しづらくなる。そこに生ずる一種の「汽水域」が「淡水」と「海水」に分離されると、シジミの漁獲量が落ちるような事態が起こり得るだろう。「あーどうせ解決するんでしょ。好きにすれば?」という無関心が怖い。接「点」を「線」そして「面」に広げたい。(続

2015-10-11 23:06:22
じねん @jinensai

承)なので、その実践を心掛けているわけだ。難しいが、やりがいはある(と、自分にプレッシャー)。さて、まずはブックトーク用のレジュメ作って、アウトプットして確認した方針に則って新作をキチンと書き切ろう。昨夜の「飾画」合評会では「邪馬台国」の仮説にいい反応を頂けたし、手応えは有る。

2015-10-11 23:20:06
蔓葉信博🌿 @tsuruba

【メモ】2011年の話題。そして過去の自分からツッコミが入ってびっくり。【Link】「日常の謎」TL - Togetterまとめ togetter.com/li/157133

2015-10-12 01:16:49
じねん @jinensai

言霊の観点から区分け自体に「大したことない」「他愛ない」といった低い評価が含まれてしまうのが問題。趣味・嗜好の違い程度のフラットなことを階層的に語らないよう心構えは必要だと思う。てか他に適切な用語や区分け直しはできないものだろうか。 twitter.com/tsuruba/status…

2015-10-12 07:32:17
じねん @jinensai

(読前と読後でいわゆる「世界線」がどの程度変わってしまったかが、衝撃度としての真の大きさなわけで、「人死に」がその指標に使えるとは全く思えない。)

2015-10-12 07:41:48
じねん @jinensai

自分史の振り返りで気づいたことは「虚構」と「現実」が相互乗り入れする汽水域=グレーゾーンの有り様の問題だった。高度経済成長期に予測不能な面白空間だった「現世」をミステリが主戦場にしていた頃、「夢」を補完していたのがSFと仮定すれば収まりが良いかも知れない。

2015-10-12 09:56:58
じねん @jinensai

物心ついてからの見聞なので、実際はもっと遡るかも知れないが、ドラマのラストワンカットって、大概「この作品はフィクションであり登場する人物、設定は架空~」云々だったように記憶している。リアタイで見てた『太陽にほえろ!』とか正にそうだった。

2015-10-12 10:05:22
じねん @jinensai

70年代後半からの明るい未来を想定できない不安社会が、勧善懲悪の時代劇や特撮ヒーロー、あるいは刑事ドラマの需要の基盤になっていたかも知れない。「現世」と「夢」を跳躍するツールが仮面や仮装(桃太郎侍)、変身、拳銃携帯許可証といったものではなかったか。

2015-10-12 10:15:43
じねん @jinensai

都筑道夫が「名探偵よ復活せよ」と呼び掛けたのも1975で、時代の空気とも符節が合っている。彼の誤算は、荒唐無稽なトリックを「現世」に呼び戻すことにあったが「現世」自体変容していたことだろう。予測不能な面白空間なら名探偵は縦横に活躍できたが、既にそこは世知辛い空間になっていた。

2015-10-12 10:31:02
じねん @jinensai

さて、話を少し戻すと高度経済成長期の60年代に「現実」が「虚構」に先行してゆく暗示的不可思議を描くアンチミステリー『虚無への供物』があり、70年代後半には「現実」と「虚構」のイニングが入れ換わる『匣の中の失楽』があるわけで、都筑の『黄色い部屋は~』がその中間なのは非常に暗示的だ。

2015-10-12 14:42:31
じねん @jinensai

従来、奇書の類いに祭り上げて評価の埓外に置かれることの多かった両作も、虚実の力関係から解きほぐすことでミステリの評価軸に組み入れることが可能になるのではないか。『匣の中の失楽』が連載されたのが幻影城なのも示唆的だ。連城の『戻り川心中』も虚実の観点から解析し直すことが可能だろう。

2015-10-12 14:58:42
じねん @jinensai

「現実」が世知辛くなることで虚実を跳躍する名探偵の活躍する舞台は「現実」から区切られた限定的な空間へ引き寄せられる。都筑が一例として提示した「吹雪(嵐)の山荘」あるいは「絶海の孤島」テーマだ。後続作家がそこへ雪崩をうつことになるとは都筑さんも想像が及ばなかったかも知れない。

2015-10-12 15:06:22
じねん @jinensai

その際に参考とされたのが横溝の因習の檻で世間から隔絶されたムラである。横溝がその瓦解をテーマにしていたことは脇へ寄せられ、設定だけが「お化け屋敷」の決まり事として受容されることになる。評価軸がここ(70年代後半)で大きく変容するのだ。一方で「虚構」はミルク色の霧を不要とし始める。

2015-10-12 15:18:04