「気づき」を守る重要性・・・データ・資料の追及はは「気づき」後の専門家による作業・・・

ネット上の見解には批判的な意見がつきやすいが、中でも「証拠となるデータや資料を示せ」というのが多い。データ・資料を重視する姿勢は大切だが、そもそも「これまで気づかれていなかった」ことの場合、データや資料をその人に求めるのが間違っている。データや資料を求めるなら、提示された「気づき」を受けた専門家に任せた方がよい。「気づき」を提示した人には「よく気付いた」という評価だけで十分。
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shinshinohara @ShinShinohara

ネットで見解を述べると「データを示せ」「資料はあるのか」といった類の批判をする人がいる。それらがなければ何の価値もない、と全否定しにかかる。 確かにデータや資料に基づく姿勢は大切。データや資料が不十分な間は「興味深い一見解」くらいにとどめて、信じ込まないことが大切、ではある。

2015-10-14 18:33:50
shinshinohara @ShinShinohara

しかしこうした批判をする人たちの中には「データや資料を集める人は、何をきっかけにデータや資料を集めようとするのか?」という基本的なことが分かっていない人がいる。データや資料がなければ価値を全否定する、と言う人は、まさに分かっていない人だと言ってよい。

2015-10-14 18:35:45
shinshinohara @ShinShinohara

詳しくは津田敏秀「医学的根拠とは何か」をお読みいただいた方がよいが、データや資料集めをする動機、きっかけは「気づき」なのだ。イギリスでこれらが発生した際、「この地域の住民に患者が多い気がする」という気付きをきっかけに調査し、データを集めた結果、原因となる水源を特定できた。

2015-10-14 18:37:55
shinshinohara @ShinShinohara

したがって、「気づきもしない」ことに関しては、データもとられていなければ資料もあるはずがない。「気づき」がなければデータを集める動機も生まれないし、資料も作成されない。まず最初に必要なのは、「もしかしたらこんなことが起きているのではないか」という気づきなのだ。

2015-10-14 18:39:27
shinshinohara @ShinShinohara

私が見解を述べるのは、まさにこうした「気づき」をもとにしている。「気づき」でしかないから、根拠となるのは自分自身の体験や伝聞など、卑近な例を出す程度しかできない。しかしその「気づき」に一定の合理性があり、納得いく部分があれば、専門家が調査するきっかけとなり得る。

2015-10-14 18:41:05
shinshinohara @ShinShinohara

私はあいにく、農業の専門家でしかない。自分の専門分野についてはなるべくデータや資料にあたるようにしているが、そのほかの分野については、調査するためのノウハウも持っていない。だから異分野について断定的なことを言えるわけではない、というのはその通りである。

2015-10-14 18:42:13
shinshinohara @ShinShinohara

ただ、私はネットの活用法の一つとして「異分野であろうと素人であろうと、専門家が気づきにくい角度からの「気づき」を得ることができた場合、その気付きを広く伝える」ことは、専門家が有意義な調査研究を開始するのを容易ならしめる上で、非常に有効だと考えている。

2015-10-14 18:44:28
shinshinohara @ShinShinohara

専門家と言えど「神」ではない。「気づき」が得られないことには、どんなデータを回収すればよいんか、どんな資料を当たればよいのか、そもそも調査研究を開始するきっかけが得られない。しかし素人であろうと異分野であろうと、「気づき」を与えられさえすれば、専門家は力を発揮できる。

2015-10-14 18:45:50
shinshinohara @ShinShinohara

だから私は、素人であることを承知の上で、専門家でないことを承知の上で、「私から見たらこのように見える」という「気づき」、見解を文章と言う形で示し、世に問うようにしている。中には荒唐無稽、幼稚に見えることもあるだろう。そこは素人のやること、笑って流してもらうしかない。

2015-10-14 18:47:23
shinshinohara @ShinShinohara

しかし門外漢からの「気づき」の提供は、威力を発揮することがよくある。私は農業の研究者だが、様々な方からヒントをもらい、研究に活かしてきた。ロボット工学、人工知能、下水処理、茶のテイスティング、においの専門家、自動車製造、自転車日本一周旅行、経済学者、主婦、事務職・・・。

2015-10-14 18:50:17
shinshinohara @ShinShinohara

異分野では当たり前のことが、自分の専門分野では知られていないことがよくある。イノベーション論の経済学者であるシュンペーターも、異分野との融合でイノベーションは生まれる、と主張している。専門外からの意見、門外漢からの意見、素人の意見を「気づき」として利用することが大切。

2015-10-14 18:52:23
shinshinohara @ShinShinohara

「専門家でないなら黙れ」「データも資料もないのなら主張に何の価値もない」という主張は、極論と言わねばならない。もちろん、専門家でもなく、データも資料も十分に示せないなら、その見解は「仮説」でしかなく、信じ込むべきではない。しかし一顧だにしないという姿勢は極端と言わねばならぬ。

2015-10-14 18:54:05
shinshinohara @ShinShinohara

ガリレオ・ガリレイは、身をもって実験科学の強さを示したことで知られる。彼の方法論は、5段階で表現できる。観察・推論・仮説・検証(実験)・考察である。観察した結果、こういうことが起きている気がする、と推論し、「こうではないか」と仮説を立てる。その後、検証(実験)と考察が行われる。

2015-10-14 18:56:07
shinshinohara @ShinShinohara

振り子が揺れているなあ(観察)、往復にかかる時間は一定のような気がする(推論)、もしかしたら振幅大きさに関わらず往復にかかる時間は一定なのではないか(仮説)、安静時の自身の心拍をもとに往復時間を調べてみる(検証(実験))、紐の長さごとにどうだったか、データを見直す(考察)。

2015-10-14 18:59:33
shinshinohara @ShinShinohara

専門家でなくても、門外漢であっても、素人であっても、専門家の代わりに役立つことができるのは、観察・推論・仮説までの3段階だ。検証(実験)・考察は専門家の手に委ねる必要はあるが、「気づき」を得て、「こうではないか」と仮説を提示することは、門外漢であっても推奨されるべき。

2015-10-14 19:01:16
shinshinohara @ShinShinohara

専門・素人を問わず、たくさんの目で観察し、気づいたことを「仮説」として提示すれば、さまざまな調査研究が加速するだろう。専門家や研究者は、一般の方が提示してくれた「気づき」ネタを拾って仕事をどしどしやればよいことになる。やがて、データと資料に基づいた知見をたくさん得ることができる。

2015-10-14 19:04:05
shinshinohara @ShinShinohara

データや資料に基づくためには、まず「気づき」が必要であること。「気づき」や「仮説の提示」は、専門家でなくても推奨されるべきこと。その点は、もっと多くの方に知っていただきたいものである。

2015-10-14 19:05:19
shinshinohara @ShinShinohara

データや資料の提示が不十分だと、主張に何の価値もない、と断ずるのは極論である、というコンセンサスが欲しい。データと資料を提出しろ、と言い渡すことが、相手より優位に立つような気がしているのなら、勘違いだと言わねばならない。

2015-10-14 19:07:20